今回も東海道五十三次踏破の旅。
この日午前中は品川宿から川崎宿までを歩き、午後はここ川崎宿から神奈川宿を目指す。
では、ライカM11をぶら下げて、出発!
小土呂橋跡

午後のスタートは川崎宿の中心地、小土呂橋の交差点から。

ここは江戸時代、新橋堀と呼ばれる幅五メートルほどの用水があり、小土呂橋という橋が架けられていたとのこと。
交差点にはその説明とともに、昭和六年当時の写真を拝見することができた。

現在は親柱が残されていて、少しだけ往時をしのぶことができる。

旧東海道の小川町通りを歩く。
すでに我が静岡では見られない、かに道楽の看板が懐かしい。かつて静岡にいた蟹は足が優雅に動いていたと記憶しているが、じっと動かない・・・。寿命か??
川崎宿京口跡

現在、まいばすけっとになっているこの場所は、江戸時代の川崎宿の京側口。

店の入り口には説明書きがあり、それによると幕末にはこの場所に外国人警護のための第一関門があり、この先保土ヶ谷まで十九箇所設置されていたとのこと。
余談だが、ここまでの道中、まいばすけっとなる店舗がやたら多い。静岡ではまったくないこの店舗、調べてみるとイオングループの小型スーパーマーケットらしい。
なるほど、イオングループのマックスバリューは大型駐車場を備えた郊外型。電車社会の都心では駐車場が無い、まいばすけっとを展開しているのか。
芭蕉句碑

少し歩くと芭蕉句碑がある。
うーん、筆記体で何が書いてあるのかさっぱりわからぬ・・・。

説明の看板によると、
「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」
と書いてあるようだ。
松尾芭蕉は元禄七年(1694年)5月に伊賀(三重県)に帰還する際、川崎宿に立ち寄り、角弟たちとの惜別の思いを句にしたとのことで、芭蕉はこの五ヶ月後に亡くなる。

芭蕉句碑を過ぎると京急本線と並走して、

その先の踏切を横断して、その先を斜め左に向かうのが旧東海道になる。

少しだけ分かりずらいが、旧東海道標石があったら間違いなし。

現在は鉄道により湾曲するこの道だが、江戸時代は先ほどの川崎宿京側入り口からこの先の市場村(現横浜市)まで、八丁(870m)の長い直線になっており、八丁堀と呼ばれていた。

市場上町の交差点を過ぎると市場村(現横浜市)。東京の中心から横浜まで歩いてきたとは、我ながら驚きだ。
熊野神社

程なくして右手にあるのが熊野神社。
徳川家康が江戸入府の際に、武運長久(戦での幸運が長く続くこと)を祈願した神社だそう。
市場の一里塚

熊野神社から少し歩くと、市場の一里塚がある。
江戸日本橋より五里目(19.6km)になる一里塚。ここまで四つの塚はすでに撤去されていたが、五つ目にして初めて現存する一里塚と出会うことができてちょっと感激。
市場の一里塚には稲荷神社が祀られていて、武州橘樹郡市場村一里塚の碑があった。
庚申堂・下町稲荷

市場の一里塚の筋向かいには小さなお地蔵さま・・・ではなく、宝暦四年(1754年)建立の青面金剛像が安置されている庚申堂がある。

そのとなりには下町稲荷。
金剛寺

さらに下町稲荷の先には、東国八十八ケ所霊場第十番札所の金剛寺があるも、山門は閉められていたので拝観できず。

そして坂道の先には立派なアーチ橋が見えてきた。これは鶴見川橋。
かつては鶴見橋と呼ばれていた橋は、橋上から大山箱根連山が望める景勝地だったそうで、橋の際には茶屋があり賑わっていたという。

うーん、今日は曇り空で大山箱根連山は見えなかった。残念。
鶴見橋関門旧跡

鶴見川橋を渡ると、左手に碑。
こちらは、先に紹介した外国人警護のための十九の関門のひとつがあった場所になる。


鶴見川を渡って以降は整備されたキレイな道路になり歩きやすい。
寺尾稲荷道道標

そんなキレイな道路に、馬上安全寺尾稲荷道の碑が建てられている。

横には説明書きがあり、それによると、この道は馬術上達や馬上安全の祈願で知られる寺尾稲荷社へ向かう道との分岐点で、その他多くの重要道へつながる大切な分岐でもあったらしい。
江戸時代の馬といえば現在のクルマに相当する重要な移動手段。現在で言う、交通安全提唱の地ということなのか。

さらに歩くと右手に鶴見図書館があり、旧東海道の地図とこの付近の説明書きがある。

その後、街並みにはビルが建ち並ぶエリアになり、鶴見区の中心街に。

そして右手に鶴見神社の鳥居が見えた。
信楽茶屋跡

またも旧東海道の説明書き。この辺りは川崎宿と神奈川宿の間の間の宿として賑わい、その多くの茶屋の中でも一際大きかった信楽茶屋は、米饅頭や竹皮包みの梅干、塩漬け生姜が名物だった。
江戸時代の旅人は江戸からこの辺りまで一日で歩いてきたそう。たくさん歩くと塩分や甘い物が食べたくなったのだろう。
鶴居堂跡

現在不動産屋さんになっているこの場所は、江戸時代に鶴見堂という薬屋を営んでいた黒川四郎左衛門の屋敷があった場所(店舗はこの先のベルロードにあった)で、苦楽丸という咳の特効薬が有名だったらしい。

店舗は黒川薬局として昭和二十年代まで営業をしていたとのことで、その写真を見ることができる。

鶴見堂を過ぎると、京急鶴見駅を右手に見ながらその横のガードをくぐり、

斜め右のベルロード鶴見商店街へ向かう。
サボテン茶屋跡

ベルロードに入るとすぐに目を引く洋風の建物があるが、ここが江戸時代にサボテン茶屋があった場所。
店主が長崎から持ち帰ったサボテンが大きく育ち名所になったそうだ。
今見てもおかしなカタチをしているサボテンなので、江戸時代はさぞ奇妙な植物に見えたことだろう。

店舗の前には仙人掌(サボテン)茶屋跡『みぎにひだりにつのを出して世の中を見たるもおかしさぼてんの茶屋』と書かれた碑があった。

そのままベルロードを歩き、国道15号線を横断し、

生麦の魚河岸通りに入る。
国道駅

右手に見えてきたのがJR鶴見線の国道駅入り口。

改札までのガード下の歩道は昭和を感じさせるレトロな雰囲気で、多くの映画の撮影地として有名な場所だ。
先の戦争で機銃掃射による銃弾の跡があることでも知られているが、残念ながら確認できなかった。

引き続き旧東海道の道幅を残す魚河岸通りを歩く。海岸線は遠くなったが、今なお魚屋が軒を連ねる街道だった。
道念稲荷神社

鳥居が並ぶこちらの神社は道念稲荷神社。
疫病が流行った時、萱で作った蛇体に悪霊を封じ込めて海に投げ放ったという伝説があるそうだ。

道念稲荷神社を過ぎると左側に巨大な工場。こちらはGLPという会社の横浜工場らしい。住宅街に突如現れた要塞のような建造物にかなりの違和感を感じた。
生麦事件発生場所

この辺り生麦という地名だが、生麦といえば生麦事件があまりにも有名。その発生場所はこの場所らしく、説明看板が立っていた。

参勤交代で江戸に向かう薩摩島津藩一行がこの場所に差し掛かった時、横浜から来た馬の遠乗りを楽しむイギリス人四人と遭遇し、列を乱された島津藩士が、「無礼者!」と四人に斬りかかり、イギリス商人のリチャードソンが死亡し三人が負傷する事件だった。
その後イギリスは薩摩藩を攻撃し、薩英戦争が勃発。イギリスの近代兵器や文明に圧倒された薩摩藩は、倒幕開国へと方針を転換し、明治維新、日本の近代化への道を促進させた。
そんな歴史的事件の場所がここだと思うと、とても感慨深い。

生麦事件発生場所の後は、左手に巨大な生麦ジャンクションが張り出し、右手には古くからの民家が並ぶミスマッチな情景。

こんな古き良き時代を残すたばこ屋さんもあり、おかしな感じ。

そして左側にキリンビールの横浜工場が見えてきた。キレイに整備された工場内の公園を見ながら、気持ちよく足を進める。
生麦に麦酒(ビール)の工場とは・・・キリンビールさん、やっぱり地名を意識してこちらに工場を?

そして旧東海道は首都高速の下をくぐる。
生麦事件碑

その首都高速下のキリンビール敷地内に生麦事件碑がある。

説明板によると、この場所は、先ほどの事件現場で斬られたリチャードソンが落馬してとどめを刺された場所らしく、明治十六年に鶴見の黒川荘三が遭難碑を建てたとのこと。

生麦事件碑の先で国道15号線にふたたび合流。

マンションが居並び、多くのクルマが行き交う道を進む。
子安の一里塚

ここは子安の一里塚があった場所。先ほどの市場の一里塚から一里(約4km)で、江戸日本橋から六里目(約15km)の地点になる。
参考にしている『ちゃんと歩ける東海道五十三次』という本によると、この付近に解説があったようだが、掲げられていた建物はすでに取り壊されていた。
西洋野菜栽培とトマトケチャップのふるさと碑

国道沿いにこれまで見てきた碑とは違う、一風変わった赤茶色の碑があった。
これは西洋野菜栽培とトマトケチャップのふるさと碑。
慶応二年(1866年)子安村の堤春吉が西洋野菜の栽培を始め、明治二十七年に清水興助がトマトケチャップの製造を開始した場所だそうだ。
なるほど、トマトケチャップを連想する赤色にしたわけか。

そして旧東海道は新子安橋の下をくぐる。
長延寺跡

旧東海道から一本道を入り、京急神奈川新町駅前の神奈川通東公園に立ち寄る。

ここは神奈川宿の江戸側口にあった長延寺の跡地。

その後、この地はオランダ領事館になった。
幕末に横浜港が開港されると、各国の公館を建設する間がなく、急遽神奈川宿の寺院を領事館にしたが、こちらの長延寺もそうだったのだろう。
さあ、ここから神奈川宿。足が少々だるくなってきたが、本日の目的地はあと僅か。
神奈川宿に入ると寺院が続く。

こちらは良泉寺。

そして、旧東海道を一本入って能満寺。

そのとなりには神明宮がある。

ふたたび旧東海道に戻る。時刻は午後5時が近づき、だいぶ暗くなってきた。
歩みの記録(川崎宿→神奈川宿)

ということで本日の目的地である神奈川宿の中心地、神奈川二丁目交差点に到着。

では、Apple Watchのフィットネスアプリのデータから、川崎宿から神奈川宿までの歩みの記録を見ていく。
まずは地図から。
日本橋から川崎宿まではずっと南下してきたが、川崎宿からは西の方向に舵を切る。
最終目的地は西方向なので、やっと京都三条大橋に方向を目指している感じになった。

続いてこちらが詳細の記録。
川崎宿を出発したのが13時31分で、神奈川宿に到着したのが16時57分ということで、3時間30分を掛けて踏破したことになる。
宿間の距離を真っ直ぐ歩くと8.9kmなのだが、歩いた距離は10.4km。
今回は道を間違えなかったが、寄り道が多かった影響でだいぶ距離が伸びたようだ。
上昇した高度は17mとあるが、この区間の道はほぼ平坦で、坂を登っていた感じはなかった。
これまでの区間に比べて心拍数がやや高いのは、昼に青島ビールをいただいた影響・・・。
ということで今回は以上。次回はここ神奈川宿から保土ヶ谷宿に向けて歩いたので、興味のある方は下のバナーからお付き合いを。












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