今回は東海道五十三次踏破の旅の続き。
前回は川崎宿から神奈川宿までを歩き、2週間後の週末となる2025年11月2日は、神奈川宿から保土ヶ谷宿を経由して、その先の戸塚宿を目指す。
まあ、距離にすると三里十八町で実測14.4km(寄り道をするのでもっと伸びるはず)なので、たいした長さではないが、保土ヶ谷宿を過ぎるとあの有名な権太坂があるので少しだけ心配。
ということで、今回も静岡発の最初のひかり号で新横浜駅へ行き、横浜線で東神奈川駅で下車。

そして8時30分に前回の到達点である、神奈川二丁目交差点にやってきた。
では、本日もライカM11を首からぶら下げて、午前の行程である保土ヶ谷宿に向けて出発進行!
復元高札場

まずは旧東海道の国道15号線を歩く。
そして、まいばすけっと(首都圏ではこの店舗が実に多い)の交差点を右折して、本日最初の目的地に寄り道を。

こちらが復元された高札場。高札場とは、江戸時代に幕府や領主が、民衆に法令や通達を知らせるために木札に書いて掲げた施設。
実際にはこの先の神奈川警察署の西側にあったそうだが、こちら神奈川地区センターの一角に復元されたそうだ。
往時は江戸日本橋からここまでに多くの高札場があったと思うが、レプリカとはいえ、ここで初めて見ることができてちょっと感激。
成仏寺

そのすぐ先には成仏寺がある。
こちらは、shi=し、tsu=つ、など、ヘボン式ローマ字を日本に広めた、ヘボンさんの宿舎として使われたお寺。ヘボンさんはアメリカ人宣教師で医師でもあったそうだ。
今、この記事もhebonshiki ro-maji de kaiteiru。
尚、ヘボンさんはこの場所で、日本初の和英辞典を編集した。

ここから旧東海道に戻ってもいいのだが、全線踏破が目的なので、先ほどの高札場を見ながら元来た道を戻り、旧東海道に戻る。
変な拘りだと言ってやってくだされ・・・。
神奈川町本陣跡

神奈川警察を過ぎてすぐの場所にあったのが、石井源左衛門が務めた神奈川町本陣の跡地。

歩道に説明書きがあるので分かりやすい。

そして滝の橋を渡り、すぐの交差点を横断して国道15号線の向こう側に渡る。
青木町本陣跡

こちらが先ほどの説明が気にもあった神奈川宿のもうひとつの本陣、青木町本陣があった場所になる。
鈴木源太左衛門が務めた青木町本陣は現在立派なマンションになっていた。
ここからふたたび写真前方の歩道橋を渡り、進行方向右側の歩道へ。

この先が横浜駅ということで、片側4車線の国道に上を走るのは首都高速。そして周りには超高層のビルヂングと、まさに都会の風景。我が静岡市では見たことのない景色だ・・・。

いや、都会にもこんなほっこりした壁画があり、田舎者はちょっと安心。
旧東海道はあの方向に歩道橋を下り、

右折して宮前商店街の看板をくぐる。
州﨑大神

宮前商店街に入るとすぐにあるのが州﨑大神。
こちらの神社の創建はなんと建久二年(1191年)!で、源頼朝が安房神社の御分霊を祀ったのが始まりとのこと。
江戸時代よりずっと前、頼朝さんの名前が出るとはびっくり。
なお、この鳥居の前は神奈川湊だったそうだ。海岸線は何処へ・・・。
甚行寺

幕末の横浜港開港以来多くの外国人がやってきて、公使館の建設が間に合わず、横浜の多くの寺院を公使館にしたとのこと。
前回紹介した長延寺はオランダ領事館になり、こちら甚行寺はフランス公使館に充てられたそうだ。

甚行寺の先で宮前商店街の看板をくぐって右に曲がり、日本橋以来の国道1号線に合流する。

そして青木橋で東海道本線と京急本線の上を跨ぎ、今度は正面の階段を登り次の目的地へ。
本覚寺

坂を登って着いたのが嘉禄二年(1226年)創建の本覚寺になる。
前回紹介した生麦事件で殺害されたリチャードソンの遺体がこちらに運び込まれ、検視後、先ほど紹介したヘボン医師が斬口を縫合した。

そんな本覚寺は横浜港開港後、アメリカ領事館に充てられたそうだ。

山門の外はご覧の通り横浜のビル群が広がるが、それを見下ろす本覚寺は都会の中のオアシスといったところか。

本覚寺の参道を下り、この角を右折する。

曲がった先はこんな感じの街道が続く。
東横フラワー緑道

すぐにある歩道が東横フラワー緑道。
こちらは元々東急東横線があった場所だが、平成十六年に線路が地下化され、元の線路は歩行者専用道路に姿を変えた。

すぐ先には六時から二十一時半まで通行可能な高島山トンネルがあり、休日の午前中だが多くの方が利用していた。

説明書きもあり、にわか鉄道ファンの私も楽しめそうだが、今日は長い行程なので先を急ぐ。
大綱金刀比羅神社と神奈川の一里塚跡

東急フラワー緑道のすぐ先にあるのが大綱金刀比羅神社。

階段脇には趣のある木造家屋があり、境内にはご覧の通り、迫力ある木彫りの天狗が出迎えてくれた
また、この参道口には神奈川の一里塚があったそうだ。
江戸日本橋から七里目(約28km)だが、寄り道ばかりの旅なので、間違いなく1.5倍は歩いているはず・・・。
江戸日本橋を出発してからは海岸近くを歩いて来たが、ここで初めての坂道になる。
田中屋

その坂道の途中にあったのがいかにも高級そうな料亭があった。
こちらが田中屋。
田中屋の前身はさくらやという屋号で、文久三年(1863年)に創業した。
幕末の文久三年(1963年)に田中屋初代がさくらやを買い取り、以来江戸時代から現在まで営業を続けている貴重な老舗料亭になる。

店舗の前には説明書きがあり、それによるとさくらやは、なんと広重の東海道五十三次の神奈川宿の浮世絵にも描かれており、さらに田中屋になってからは勝海舟の紹介で坂本龍馬の妻おりょうが働いていたことでも有名だったそうだ。

私など庶民では一生食すことはできない料亭だが、遠くから拝むのだけはタダなので、じっくりと見させてもらった。

横浜は小高い山が多く、旧東海道の近くにも山がせせり出ていて、そんな斜面に無理矢理マンションを建てると、こんな感じになるのか。
神奈川台関門跡

こちらは幕末の横浜港開港の折に設置された関門番所跡。実際にはこの場所よりやや西寄りにあったそうだ。
ここまでに何度もあったが、このような立派な石碑はなかった。そんな関門は、明治に入ってすぐの明治四年に廃止された。

神奈川台関門跡の先で坂道は終わり、ここからは下り坂になる。
上台橋

そして坂道を下った先に見えるのが上台橋。

現在は陸橋になっているこの橋が、神奈川宿の京口(西口)だった場所になる。
随分と歩いてきたが、ここまで神奈川宿だったとは、その広さにびっくり。

橋の袂には神奈川宿の歴史を紹介する説明書きがあった。

上台橋の先は旧東海道らしい雰囲気の道が続く。

そしてセブンイレブンの先で左右とクランク状に曲がり、

西口ランプ入口で環状1号線に合流する。

そして浅間下の交差点を渡るのだが、2025年11月の時点では歩道橋が工事のため立ち入り禁止になっていた。

ということで、横断歩道を渡り反対側へ。

そしてあちらに見える浅間下公園を斜めに横断するのが旧東海道。

この公衆トイレ脇の入り口から公園に入り斜めに進む。

公園を抜けたらあちらに見える道が旧東海道になる。
浅間神社

公園を抜けるとすぐに見えてきたのが芝生村の鎮守浅間神社。

参道を登り赤鳥居をくぐり、

我が静岡市の浅間神社と同じような造りの本殿でお参りをする。

境内の崖には、富士山麓に通じるという伝説の、『人穴』と呼ばれる古代の横穴墓があり、東海道を往来する人々が見物する名所だったが、現在は周辺の開発によって無くなってしまった。
いやー、見たかったのに残念。

浅間神社の先はご覧のような道を歩く。

足元には旧東海道を示す銘板があり分かりやすい。
ここまで地域により旧東海道の道しるべは様々ですが、どれも分かりやすくありがたい。
芝生追分

しばらく歩くと、芝生追分に。
今はなんてことない丁字路だが、右手は幕末の横浜開港以降に八王子から横浜に絹が運ばれた絹の道と呼ばれた道で、旧東海道との有名な追分だったようだ。
松原商店街

芝生追分を過ぎるとすぐに松原商店街の看板をくぐる。

インターネットの普及でシャッター街化する商店街が多い中、松原商店街は今でも多くの買い物客がいて、生鮮食品を中心とした商品は道にまで張り出し、昭和の活気が残っていた。
江戸方見附跡

その松原通商店街を抜けると、こちらが保土ヶ谷宿の江戸口(東口)があった場所。

説明板によると土塁が築かれ、竹矢来が組まれていたようだが、今は駐車場になっていた。

こちらが保土ヶ谷宿があった街道。真っ直ぐの道が気持ちいい。

帷子橋を渡ると、

正面に相模鉄道の天王町駅が見えてきた。

相模鉄道本線のガードをくぐり、

その先の雰囲気の良い公園(天王町駅前公園)で一服する。
ちなみにこの公園にある橋は、先ほど渡ってきた帷子橋を当時風に復元したもので、江戸時代はこの場所を帷子川が流れていたそうだ。
旅の持ち物紹介
ここでちょっと旅の持ち物を紹介してみる。

今回の旅を開始するにあたり小ぶりなリュックが欲しいと思い、イタリアのマンフロット製のカメラリュックを購入した。
少々値の張るリュックだが、肩ベルトにしっかりスポンジが入っているので肩に掛かる負担が少なくイイ感じ。長旅には少々値が張ってでもイイ物を身に付けたい。

カメラ室の赤いアクセントもオシャレでしょ?
撮影するライカM11は首に下げっぱなしで、ここに収納するのは宿場までと目的地に到着して以降になる。
ライカM11に装着するレンズは現行ズミクロンM 35mmの一本勝負。
本来ならばズームレンズの方がいいのだが、個人的にライカM11+ズミクロンM 35mmの描写がこの旅には最適だと思い、これだけで乗り切るつもりだ。
まあ、本当のことを言うと、24mmくらいの広角がベストなのだが・・・。
その横にある白いものは、単3乾電池で使えるモバイルバッテリー。
Googleマップを多用したり、カメラで撮影しまくったりと、この旅はiPhoneとカメラの電池消耗が激しく、一日持たない。
なので、本来は大容量のモバイルバッテリーが必要だが、それだと重くなるのでこちらで我慢。

上の荷物室には飲み物とおむすび、薄手のジャンパー、ガイド本、財布を入れている。
ガイド本は『ちゃんと歩ける東海道五十三次』と、『決定版東海道五十三次ガイド』の二冊で、出発前はもちろんのこと、行きの新幹線の中でもしっかりと予習している。
特に『ちゃんと歩ける東海道五十三次』はとても参考になる。前回同様今回もこの後、数人の同業者と遭遇するのだが、ほとんどの方がこの本を片手に旅をしていた。
Amazonリンクを貼っておくので、ご参考にどうぞ。
- 『ちゃんと歩ける東海道五十三次 東』https://amzn.to/3Jza8Qb
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- 『決定版東海道五十三次ガイド』https://amzn.to/3Wy8Esr
歩みの記録

そして天王町駅前公園からしばらく歩くと、西口商店街の入り口へ。
この辺りが保土ヶ谷宿の中心地ということで、ここで午前中の部が終了。
では、いつものようにApple Watchのフィットネスアプリを使い、神奈川宿から保土ヶ谷宿の旅の記録を見ていく。

神奈川宿から保土ヶ谷宿までは、これまでよりも道を曲がる箇所が多かったが、路面にある印とガイド本により特に間違えることなく進むことができた。
それにしても横浜市は広い。三条大橋は遥か彼方だ・・・。

8時35分に神奈川宿を出発し、保土ヶ谷宿に着いたのが11時過ぎ。
神奈川宿から保土ヶ谷宿までの距離は一里九町で実測では5.1kmと短いのだが、今回もたくさん寄り道をした結果7km近くも歩き、2時間35分もかかってしまった。
まあ、先を急ぐ旅でもないので、これからもしっかりと楽しみながら足を進めていくつもりだ。
ということで今回は以上。次回は、この日の午後に歩いた保土ヶ谷宿から戸塚宿までの道のりを紹介していくので、興味のある方は下のバナーから続きをどうぞ。












行けども行けども大都会の街の風景が続くのですね。当たり前と言えば当たり前なんでしょうが・・・。私の住む田舎では、大昔の街道としての雰囲気が残っているところも多々あります。それにしても、街中を歩かれるのは大変でしょうね。お気をつけて・・・。☺️
asamoyosiさん、いつもコメントありがとうございます。励みになります。
今回も大都会でしたが、街道の雰囲気が少しずつ出てきました。
今後、asamoyosiの地元のような街道の雰囲気がさらに出てくることを楽しみに、歩き続けたいと思います。
所々で外国との接点を感じる旅ですね。やはり東京や横浜は国外との窓口だったのでしょうね。
「同じ道を戻ってでも東海道のすべてを歩く」お気持ちわかるような気がします。
ご安全に頑張ってください。応援しています。
gentlestreetriderさん、応援していただきありがとうございます。励みになります。
おっしゃる通り、幕末の横浜は国外との窓口なのだということを、歩いてみて再認しました。
旧東海道は分断された場所もありますが、通れるところは必ず通る、という変なこだわりのもとにやっています。わかってくれてありがとうございます。