今回は旧東海道踏破の旅の続き。
前回、保土ヶ谷宿から戸塚宿の中心地だった戸塚駅までを歩き、二週間後の本日(2025年11月15日)、ふたたびここ戸塚駅に戻ってきた。
ということで、今回はまず、藤沢宿を目指して歩いて行きたいと思う。

快晴に恵まれた中、今回もライカM11をぶらされて、出発進行!
内田本陣跡

戸塚駅を過ぎて清源院入口の交差点を左折。大通りに合流すると、見えてきたのが内田本陣の跡地。現在はスルガ銀行になっていた。

内田本陣の前には説明書きがあり、それによると間口が十八間(約32.8メートル)もあったという立派な本陣だったそうだ。
江戸日本橋からここまで五つの宿場を見てきたが、本陣の跡地が金融機関に変わっていることが実に多い(これで三つ目)。
本陣は地元の有力者が務めていたので、そのまま金融機関になったのか、いや、一般の旅人を泊まらせない本陣は幕末に厳しい経営を強いられたので、担保で取られてしまったのか。
脇本陣跡

戸塚宿には三軒の脇本陣があったそうで、そのうちの一軒は内田本陣の先にあったそうだ。
現在はこの標識のみが立っていた。
澤邊本陣跡

明治天皇戸塚宿行在所阯碑があるこの場所は、戸塚宿のもうひとつの本陣、澤邊本陣跡だった。初代の澤邊宗三は、戸塚宿の開設に尽力したとのこと。
後ろに見えるお宅の表札を見るとなんと澤邊さん。おそらくご子孫の方のお宅なのだろう。
ここまで多くの本陣が様変わりする中、澤邊家は代々土地を守り続けてきたようで、勝手に安心した。
羽黒神社

その澤邊本陣跡の奥には羽黒神社がある。
本日は模様し物が行われていたようで、腹話術の人形?がいて、盛り上がっていた。
八坂神社

八坂神社は通称お天王さまとして親しまれる戸塚宿の鎮守。
元亀三年(1572年)に牛頭天王社を勧請したのが始まりだそう。
鎌倉道道標

八坂神社のすぐ先にあったのが鎌倉道の道標。
宝永四年(1707年)の建立で、名号が刻まれているとのことだが、三百年以上の歳月で私には解読不能だった・・・。
富塚八幡宮

鎌倉道道標の先には戸塚宿の総鎮守、富塚八幡宮がある。境内の富塚が戸塚宿の名前の由来だそうだ。
由緒ある八幡宮は、この日も朝から小さな女の子がご両親に連れられて、七五三のお祝いをしていた。

なかなかの階段があったが、まだ出発間もないため難なく登頂。本日の旅の無事を祈願した。
上方見附跡

ローソン看板のとなりにあったのが、戸塚宿江戸方見附から2.2kmほどの位置にある京側の見附跡。
現在は道の両側に1.5mほどの石の囲いがあり、江戸時代同様に京に向かって左に松の木(写真)、右に楓の木が植えられている。

ありし日の写真がこちら。当時と比べると相当に小ぶりになったが、再現してくれているのは嬉しい。
第六天神社

上方見附の先にあるのが、関東地方を中心に存在する第六天神社があり、その横には藤行翁之碑があった。
庚申塔群

その先には、元禄八年(1695年)建立の青面金剛像などが並んでいた。
大坂

先ほどの上方見附を過ぎた辺りから徐々に登り坂になっているが、ここが大坂と呼ばれる坂道。庚申塔群の先には説明看板が立っていた。

それによると、一番坂登りが一町余り(約109m余り)、二番坂登りが三十間余り(55m余り)あったそうだが、江戸時代に比べると現在は緩やかになったのか、まあまあの坂道で大坂といった感じではなかった。
この大坂は国道1号線との合流付近まで続く。

そしてY時路を左に曲がり、

国道1号線と合流。

国道1号線の歩道を歩き、途中変則の歩道橋を渡る。
本日は晴天。11月中旬なのに汗が出るほどで気持ちよく歩くことができたが、南西に足を進める旧東海道は完全に逆光になるため、明暗差がはっきりと出るライカJPEGの描写だと少し見にくいかも・・・。

そして国道の脇に次の目的地がある。
お軽勘平戸塚山中道行の場碑

こちらはお軽勘平戸塚山中道行の場碑になる。

横にはその説明があり、それによると、これは歌舞伎の演目『仮名手本忠臣蔵』に因む碑。逃避行の場で「鎌倉を出てやうやうと、ここは戸塚の山中、石高道で、足は痛みはせぬや」と勘平が優しくお軽をいたわる名場面の舞台がこの場所らしい。

その後も国道1号線沿いを歩く。
原宿の一里塚

国1の脇に原宿の一里塚の標識がある。明治九年に里程標設置の際に一里塚は撤去されたそうで、現在はこの案内板のみ。

横の仮設の階段を上がると、江戸時代を再現したような建造物がある。おそらく土産物屋か休憩所のような雰囲気だが、現在は建物前の道路を工事をしている関係で休業中のようだった。

その横には祠があった。現在、車では立ち寄れない場所になっているが、歩きならばこんな発見も出来るのだ。
江戸日本橋より十一里(約44km)。すでにフルマラソンよりも歩いてきた。
まあ、実際には寄り道だらけでこの1.3倍ほど歩いたが・・・。
石仏石塔群

一里塚の辺りから道は下り坂になり、下り切った先の原宿町第二歩道橋が次の目的地。

それがこちら。歩道橋の袂に青面金剛像、西國巡礼供養塔、馬頭観音がずらりと鎮座していた。いつの時代のものかはわからないが、狭い敷地に豪華に並んでいた。

その後も国道1号線を進む。
ここは原宿の交差点。原宿は戸塚宿と藤沢宿の間の宿として栄えた地域らしく、現在でも立派な屋敷が数多く建っていたのが印象的だった。

原宿交差点を過ぎると、中央分離帯に木が茂っている。
歴史ある旧東海道。かなり古く植えられたようで、一般的な街路樹と比べると樹齢が相当なもののようだ。
そして道路標識に藤沢までの距離がある。残り一里(4km)、頑張るぞい。
名残り松

そして一本松が現れる。

相当に疲れ果てているこちらは、江戸時代に旧東海道に植えられていた名残りの松。
私が旧東海道で連想するのが松並木というくらい、私の住む静岡では旧東海道に松が多く残っているのだが、江戸からここまではすでに切り落とされていた。
これ以降、松並木がところどころで見られるようになり、往時の雰囲気を感じられるようになる。

その後も国道1号線を歩いていると、大磯宿まで五里の看板があった。
まあ、五里と書かれていても何kmは分かる方は少ないと思うが、旧東海道を歩く私たちにとってはちょっと嬉しい。
大磯宿まで20km。時間と足の具合を考えると、今日はちょっと無理かなあ。
影取立場跡

昭和の雰囲気が漂うこちらのレコード店の脇に、旧東海道の説明書きがあり、それによると、ここは影取立場だった場所で、鎌倉道と交差する交通の要所だった。
立場とは、宿場間が遠い場所に、また峠などの難所などに、休憩施設として茶屋などが設けられた場所になる。

その後道路は三俣になり、旧東海道は国道1号線としばし別れて一番左の道を進む。
諏訪神社

すると、すぐにあるのが影取の鎮守、諏訪神社。
社殿裏の池に大蛇が棲み、池のほとりを歩く旅人の影を食べ、食べられた旅人は次第に弱っていった。
そこで村人が鉄砲で射止め、その村人が住み着いたこの場所を鉄砲宿と呼ぶようになったそうだ。

立派な門のこのお宅、相当なお金持ち?

江戸日本橋からここまで見られなかった畑。

江戸時代には無かった下って登る道。車ではなんてない登り下りだが、歩いてみると「勝手に掘りやがって」と思ってしまう。

そして登り切ったらY字路を斜め左に。

旧東海道はこんな感じの街道になった。
道祖神

そして趣のある歩道に出ると、右側に次の目的地が見えてきた。

こちらに祀られているのは宝暦九年(1759年)像立の道祖神。

今後この辺りで多く見られる、男女双体の道祖神だ。

その後も歩行者専用の雰囲気の良い道を歩く。
晴天で、歩いていると汗が出るほどの天気ですが、木に覆われていてちょうどいい。

そして旧東海道は長かった横浜市をやっと抜け、藤沢市に入る。
旧東海道松並木跡碑

藤沢市に入ると旧東海道松並木跡碑があった。
歌川広重の東海道五十三次藤沢宿の浮世絵には見事な松並木が描かれているが、昭和三十五年ごろから全国を襲った松喰虫の被害で大半が枯れてしまった。
そこで、いにしえの面影を忍ぶとともに、歩道が整備されたことを記念して、この碑を建てたらしい。

なんとか生き残った名残の松とともに新たに植えられた松の木が多くあり、数十年後には江戸時代のような松の街道が再現されそうだ。

ただ、根元がコンクリート(?)で覆われた松も多くあり、成長するのかと疑問に。まあ、行政がやっているので問題ないのかな。

遊行寺坂上の交差点を過ぎると、旧東海道は下り坂になり、藤沢宿まではあと僅か。
道は大坂からずーっと車の大行列で、この後も渋滞はさらに続く。
旧東海道は多くの場所で現在でも主要道だが、沿道には歴史的建造物や痕跡、そして古くからの民家もあり、土地買収が難しく、道を拡幅することができないことがこの渋滞の原因なのだろう。
藤沢の一里塚跡

遊行寺の坂を下った途中にあったのが藤沢の一里塚(別称 遊行寺の一里塚)の標識。
藤沢の一里塚はこの道路の崖上に榎があったようだが、『現在は何も残っていません』との潔い説明書きがあった。
江戸日本橋より十二里(約48km)。
諏訪神社

当地の地名である遊行寺の守護神。
お参りをしたかったのだが、きつそうな階段のため、下から礼のみで失礼する。
江戸方見附跡

そしてここが藤沢宿の東口、江戸方見附があった場所。現在は標識と説明看板が設置されている。

説明板の絵によると、江戸時代、ここには台形状の土手が築かれていたようだ。

その江戸方見附を過ぎたら、こちらの薬局の角を右折する。
ふじさわ宿交流館

角を曲がってすぐにあるのがふじさわ宿交流館。江戸時代を彷彿とさせる趣のある建物だった。

そして交流館の前には、神奈川宿以来の立派な高札場が再現されている。ここまで六つの宿場を巡ってきたが、どこよりも立派な交流館だった。

そのふじさわ宿交流館の丁字路を左折。

ちなみに右手には遊行寺の大きな黒門がある。

そして往時は大鋸橋と呼ばれた真っ赤に塗られた遊行寺橋を渡り、その先の丁字路が本日午前の目的地である藤沢宿の中心地になる。
歩みの記録

それでは最後に本日午前中に歩いた戸塚宿から藤沢宿の道のりを、Apple Watchのフィットネスアプリで見てみる。

まずは地図から。
今回は出発地である戸塚駅でフィットネスアプリを起動するのを忘れてしまい、気が付いたのが大坂を登っている辺り。実際には地図上の戸塚区の書かれた付近からのスタートになる。
戸塚駅からすぐに国道1号線に出て、大坂を登り切り藤沢バイパスに合流。影取立場の先で県道30号線に入り、ひたすら南西へ向かった。

前述の通りアプリ起動が遅れたため、実際には戸塚宿を9時30分に出発して、藤沢宿到着が12時10分ということで、掛かった時間は2時間30分余りだった。
宿場間の当時の距離が二里で、現在もほぼ変わらない7.9km。今回歩いた距離も7.2km+約1.5km=約8.7kmとほぼ変わらなかった。
今回は午後も多く歩く予定で、寄り道を減らしたため、この結果だったと思う。
ということで今回は以上。次回はこの日の午後に歩いた藤沢宿から平塚宿までの道のりを書いて行くので、興味のある方は下のバナーからぜひ。












畑、道祖神、松並木⋯、いい雰囲気になってきましたね。☺️
いつもありがとうございます。
ただ歩いているだけでも結構疲れるのですが、道祖神がホッコリ癒してくれます。
きっと、四百年前の旅人も、同じ気持ちだったはずです。