人気記事:『ミニカーで振り返るF1マシン』シリーズ

新幹線日本坂トンネルは昭和19年から昭和37年まで在来線が使用していた!その痕跡を探る

現在の東海道新幹線日本坂トンネルは、戦前に計画された弾丸列車用のトンネルとして建設された。

弾丸列車計画はその後完全に頓挫することとなるのだが、完成してしまった日本坂トンネルは昭和19年から東海道新幹線が完成する直前の昭和37年まで、東海道本線(在来線)が使用していた過去がある。

ということで、今回はその東海道本線(在来線)が使用していた頃の痕跡を調べてみた。

昭和19年から昭和37年まで現新幹線日本坂トンネルを在来線が使用していた

先日最後に紹介した場所は、東海道本線(在来線)の下り列車で用宗駅を出るとすぐに石部トンネルに入り、焼津市側出口を出てほど近い場所にあるのだが、この区間は昭和19年から昭和37年まで使用されていなかった。

明治時代の東海道本線開通当初から戦後まもなくまで東海道本線の下り列車は、用宗駅を出ると今と同じように石部トンネル(隧道)に入るのだが、トンネル内の線形が今と違い、一度海沿いに出てから今度は磯浜トンネルを抜けて現在線に戻ってきた。

その後時は流れ、東京-下関間に在来線とは別に新線を敷設する、通称『弾丸列車計画』が計画され、昭和16年に弾丸列車用として日本坂トンネルの建設もはじまる。

しかしながら第二次世界大戦の悪化から昭和18年をもって工事は中断されたのだが、日本坂トンネルについては工事が継続され、昭和19年に完成する。

その後、弾丸列車計画が完全に水の泡と消えたため、東海道本線(在来線)は、昭和19年以降用宗駅から石部トンネルを抜けるルートを放棄し、弾丸列車用に掘った日本坂トンネルを通るルートに改めたのだ。

そして東海道本線(在来線)の日本坂トンネル使用は、東海道新幹線工事がはじまる直前の昭和37年9月まで18年近くのあいだ使用されることになる。

では、日本坂トンネルの東海道本線(在来線)使用時の面影は今も残っているのか?

ということで、今回はその痕跡を調べてみることにした。

日本坂トンネルの歴史
昭和16年弾丸列車用として日本坂トンネル着工
昭和19年日本坂トンネル完成
昭和19年12月東海道本線(在来線)で日本坂トンネル使用開始
昭和37年9月東海道本線(在来線)での日本坂トンネル使用終了
昭和37年東海道新幹線用として日本坂トンネルの整備開始
昭和39年10月東海道新幹線用として日本坂トンネルの共用開始(再開)

日本坂トンネル『焼津側』出口で東海道本線(在来線)使用時の痕跡を探る

さて、まずは日本坂トンネルの焼津側から東海道本線(在来線)使用時の痕跡を探ってみよう。

こちらが現在の東海道新幹線日本坂トンネルの焼津側出口で、昭和19年にここから東海道本線(在来線)が出てきたのだ。

トンネルを出て100mほど進むと、東海道新幹線開通の前年である昭和38年9月に完成した新幹線用のガードがある。

そのガードの下り線側に、何やら不自然な古いコンクリートの旧ガードらしき構造物が・・・。

そこから下りのスロープ(写真の白いガード柵の場所)がある。

おそらく旧東海道本線(在来線)は、先のガードの手前から徐々に左に逸れ、このスロープを下りてきたのだろう。

そのスロープを見るために逆側に回ってみよう。

ここがスロープを下りた場所。

この場所は空き地になっており、調べてみると現在はJR東海の土地になっているようだ。

その先の道は緩やかに弧を描いており、

そして、ここで現在の東海道線(在来線)へ合流。間違いない、この道はそのむかし線路が敷かれていたのだろう。

その軌道を地図でなぞると、こんな感じだと推測する。

著作権の関係上お見せすることはできないが、実際当時の地図を見ると、この区間は緩いクランク状になっているため、この軌道で間違いないだろう。

日本坂トンネル『静岡側』出口で東海道本線(在来線)使用時の痕跡を探る

さて、次に日本坂トンネルの静岡側に行ってみることにしよう。

写真左に見えるのが用宗駅の駅舎。

そしてその横に、日本坂トンネルに入る直前の東海道新幹線用防音壁が見える。

どうもこの区間が怪しいので、少し近づいて見てみることにしよう。

用宗駅の向かいにある、このJR東海所有の空き地が怪しい・・・。

焼津側出口に比べると、その軌道を実証する痕跡は乏しかったが、おそらく東海道本線(在来線)は、この部分からスロープを上り、その先にある日本坂トンネルに入っていったのだと推測する。

となると、用宗駅ホームは現在の場所よりもやや東側に位置していたのか、それともホームの形状を変えていたのか、この謎は解明できなかった。

東海道本線(在来線)日本坂トンネル転用後の旧線のその後

最後に東海道本線(在来線)が日本坂トンネルに転用された後の、旧線のその後について書いておこう。

東海道本線(在来線)として昭和19年まで使っていた用宗駅以西の石部トンネルは、昭和23年のアイオン台風で下り線が損傷するが、その後上り線は自動車用として使用された。

実際私が以前お世話になっていた旧大井川町(現焼津市)のモータースの店主は、車検で静岡市の陸運支局に行く際、この自動車用として転用したトンネルを通って行ったと言っていた。

そのトンネルはすれ違いも出来ないほどに細く道も悪かったため、通るのにはかなり難儀したらしい。

そして日本坂トンネルが東海道新幹線用のトンネルとして使用が決まると、東海道本線(在来線)はふたたび石部トンネルを通ることになるのだが、その軌道は昭和19年以前とは違う。

崩れやすい大崩海岸に出るのをやめ、トンネルの途中から右に新たに掘り、磯部トンネルの途中に合流する線形をとり、現在の軌道になるのだった。

こちらは現石部トンネルの焼津側出口だが、昭和19年までは磯浜トンネルの出口だったということになる。

石部トンネルの歴史
昭和19年12月東海道本線(在来線)が日本坂トンネルに移動
昭和23年アイオン台風で石部トンネルの一部が損傷
石部トンネルを自動車用トンネルとして使用
昭和36年5月東海道本線(在来線)再転用に向け石部・磯浜トンネル統合等の工事を開始
昭和37年9月東海道本線(在来線)を石部トンネルに移設

最後に

ということで今回は、日本坂トンネルを在来線が使用していた過去の痕跡を探ってみたが、これが世に言う廃線探索と言うものなのか・・・なかなか楽しかった。

鉄道は100年以上の歴史があり、その過去を調べることで様々なものが見えてくる。

今後もさらに鉄道にどっぷりとハマっていくのであろう。

以上、最後までご覧いただきありがとうございました。

関連記事

ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

52人の購読者に加わりましょう

よかったらSNSでシェアお願いします!




奥が深いモータースポーツ撮影の世界
MOTORSPORT撮影術

モータースポーツ撮影歴18年。腕に覚えは全く無いが、知識だけは豊富なワタクシぴぴが、レース撮影について偉そうに解説します。




コメントを残す

ABOUT US

ぴぴ
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。 一眼レフデビューは2001年頃、CANON EOS7(フィルム機)。腕に覚えは全くないが、年数だけはそこそこ長い。 【一眼レフ遍歴】 CANON EOS 7 → CANON EOS kiss N → CANON EOS 60D → CANON EOS 7D MarkⅡ → CANON EOS 5D MarkⅣ & SONY α7R Ⅲ 【所有カメラ】 CANON EOS 5D MarkⅣ SONY α7R Ⅲ SONYサイバーショット DSC-RX1R 【所有レンズ】 CANON EF100mm-400mm f/4.5-5.6L IS Ⅱ USM CANON EF70-200mm f/2.8L IS Ⅱ USM CANON EF24mm-70mm f/4L IS USM CANON EF50mm f/1.2L USM CANON EF85mm f/1.4L IS USM SONY FE24-105mm F4 G OSS