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【日記27】夢を与えてくれたホンダに感謝!その後は角田裕毅に期待する!

10月2日、ホンダF1撤退の報道。

何でこのタイミングなんだ!とその怒りをブログに書いてみたが、3日経ってだいぶ落ち着いてきた。

そしてあらためて考えてみたら、今回の第4期F1活動は、この複雑なパワーユニットレギュレーションの中よくぞ参戦してくれたと思い、夢を与えてくれたホンダに、感謝の念が湧いてきた。

短いあいだだったけれども・・・。

ホンダがF1に復帰したのは2015年、そう小林可夢偉がF1を降りた翌年だった。

小林可夢偉を応援していた日本のF1ファンは、応援の対象をこぞってホンダに切り替えたと思う。

もちろんドライバーとエンジン(パワーユニット)だと、感情の入り方は違うだろうが、それでも日本を代表する企業、しかもF1で一時代を築いたホンダが、かつてのマクラーレンとふたたびタッグを組んだのだから、第2期F1活動を知るF1ブーム世代としては感情も一入だ。

フェルナンド・アロンソに「GP2エンジン!」と言われても、きっとホンダならば素晴らしいエンジン(パワーユニット)にしてくれるだろうと期待していた。

そして2019年、レッドブルとジョイントし、開幕戦で早々に表彰台に上がり、オーストリアグランプリで表彰台の最上段に上がってくれたあの日は、きっと一生忘れないだろう。

そんな夢を与えてくれたホンダにあらためて感謝したい・・・。

2021年を最後にホンダはF1を去るが、日本人F1ファンのその後の楽しみは角田裕毅。

ホンダが育てレッドブルのF1ドライバー選定を一手に引き受けるヘルムート・マルコが認めた日本人ドライバーで、現在はレッドブルジュニアチームの筆頭株だ。

現在角田裕毅はF1直下のFIA-F2でランキング3位(10月5日現在)で、ランキング4位以内でスーパーライセンスポイントが40ポイントを上回り、F1に参戦できる資格を得る。

彼は近い将来必ずF1に参戦し、日本人としてははじめてF1に勝てる素質を持ったドライバーだと私は考える。

そんな彼がアルファタウリで活躍した後にレッドブルに昇格し、君が代をF1の表彰台で響かせる。

するとまたひょっこりホンダがF1に復帰し、レッドブルにエンジン(パワーユニット)の供給をしはじめるかも!?

そう、2008年に電撃的にF1を撤退し、6年余りで何事もなかったようにF1に復帰したあの時のように・・・。

そんなことを思いながら、しばしの別れと考えよう・・・。

最後に、2000年以降のF1に参戦した日本人ドライバーと、日系コンストラクター・エンジン(パワーユニット)・タイヤを紹介する。

ドライバーコンストラクターエンジン(PU)タイヤ
2000無限
ホンダ
ブリヂストン
2001ホンダブリヂストン
2002佐藤琢磨トヨタホンダ
トヨタ
ブリヂストン
2003佐藤琢磨(16)トヨタホンダ
トヨタ
ブリヂストン
2004佐藤琢磨トヨタホンダ
トヨタ
ブリヂストン
2005佐藤琢磨トヨタホンダ
トヨタ
ブリヂストン
2006佐藤琢磨
井出有治(1-4)
山本左近(12-18)
トヨタ
ホンダ
スーパーアグリ
ホンダ
トヨタ
ブリヂストン
2007佐藤琢磨
山本左近(11-17)
中嶋一貴(17)
トヨタ
ホンダ
スーパーアグリ
ホンダ
トヨタ
ブリヂストン
2008佐藤琢磨(1-4)
中嶋一貴
トヨタ
ホンダ
スーパーアグリ(1-4)
ホンダ
トヨタ
ブリヂストン
2009中嶋一貴
小林可夢偉(16-17)
トヨタトヨタブリヂストン
2010小林可夢偉ブリヂストン
2011小林可夢偉
2012小林可夢偉
2013
2014小林可夢偉
2015ホンダ
2016ホンダ
2017ホンダ
2018ホンダ
2019ホンダ
2020ホンダ
2021角田裕毅?ホンダ
2022角田裕毅?

ご覧のように日本は何らかのカタチでF1と関わってきた。

2022年以降ホンダはしばしF1を去るが、その後は角田裕毅が日本人F1ファンの期待を引き受けることになると私は確信している。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。