10月2日、ホンダF1撤退の報道。
何でこのタイミングなんだ!とその怒りをブログに書いてみたが、3日経ってだいぶ落ち着いてきた。
そしてあらためて考えてみたら、今回の第4期F1活動は、この複雑なパワーユニットレギュレーションの中よくぞ参戦してくれたと思い、夢を与えてくれたホンダに、感謝の念が湧いてきた。
短いあいだだったけれども・・・。
ホンダがF1に復帰したのは2015年、そう小林可夢偉がF1を降りた翌年だった。
小林可夢偉を応援していた日本のF1ファンは、応援の対象をこぞってホンダに切り替えたと思う。
もちろんドライバーとエンジン(パワーユニット)だと、感情の入り方は違うだろうが、それでも日本を代表する企業、しかもF1で一時代を築いたホンダが、かつてのマクラーレンとふたたびタッグを組んだのだから、第2期F1活動を知るF1ブーム世代としては感情も一入だ。
フェルナンド・アロンソに「GP2エンジン!」と言われても、きっとホンダならば素晴らしいエンジン(パワーユニット)にしてくれるだろうと期待していた。
そして2019年、レッドブルとジョイントし、開幕戦で早々に表彰台に上がり、オーストリアグランプリで表彰台の最上段に上がってくれたあの日は、きっと一生忘れないだろう。
そんな夢を与えてくれたホンダにあらためて感謝したい・・・。
2021年を最後にホンダはF1を去るが、日本人F1ファンのその後の楽しみは角田裕毅。
ホンダが育てレッドブルのF1ドライバー選定を一手に引き受けるヘルムート・マルコが認めた日本人ドライバーで、現在はレッドブルジュニアチームの筆頭株だ。
現在角田裕毅はF1直下のFIA-F2でランキング3位(10月5日現在)で、ランキング4位以内でスーパーライセンスポイントが40ポイントを上回り、F1に参戦できる資格を得る。
彼は近い将来必ずF1に参戦し、日本人としてははじめてF1に勝てる素質を持ったドライバーだと私は考える。
そんな彼がアルファタウリで活躍した後にレッドブルに昇格し、君が代をF1の表彰台で響かせる。
するとまたひょっこりホンダがF1に復帰し、レッドブルにエンジン(パワーユニット)の供給をしはじめるかも!?
そう、2008年に電撃的にF1を撤退し、6年余りで何事もなかったようにF1に復帰したあの時のように・・・。
そんなことを思いながら、しばしの別れと考えよう・・・。
最後に、2000年以降のF1に参戦した日本人ドライバーと、日系コンストラクター・エンジン(パワーユニット)・タイヤを紹介する。
年 | ドライバー | コンストラクター | エンジン(PU) | タイヤ |
---|---|---|---|---|
2000 | 無限 ホンダ | ブリヂストン | ||
2001 | ホンダ | ブリヂストン | ||
2002 | 佐藤琢磨 | トヨタ | ホンダ トヨタ | ブリヂストン |
2003 | 佐藤琢磨(16) | トヨタ | ホンダ トヨタ | ブリヂストン |
2004 | 佐藤琢磨 | トヨタ | ホンダ トヨタ | ブリヂストン |
2005 | 佐藤琢磨 | トヨタ | ホンダ トヨタ | ブリヂストン |
2006 | 佐藤琢磨 井出有治(1-4) 山本左近(12-18) | トヨタ ホンダ スーパーアグリ | ホンダ トヨタ | ブリヂストン |
2007 | 佐藤琢磨 山本左近(11-17) 中嶋一貴(17) | トヨタ ホンダ スーパーアグリ | ホンダ トヨタ | ブリヂストン |
2008 | 佐藤琢磨(1-4) 中嶋一貴 | トヨタ ホンダ スーパーアグリ(1-4) | ホンダ トヨタ | ブリヂストン |
2009 | 中嶋一貴 小林可夢偉(16-17) | トヨタ | トヨタ | ブリヂストン |
2010 | 小林可夢偉 | ブリヂストン | ||
2011 | 小林可夢偉 | |||
2012 | 小林可夢偉 | |||
2013 | ||||
2014 | 小林可夢偉 | |||
2015 | ホンダ | |||
2016 | ホンダ | |||
2017 | ホンダ | |||
2018 | ホンダ | |||
2019 | ホンダ | |||
2020 | ホンダ | |||
2021 | 角田裕毅? | ホンダ | ||
2022 | 角田裕毅? |
ご覧のように日本は何らかのカタチでF1と関わってきた。
2022年以降ホンダはしばしF1を去るが、その後は角田裕毅が日本人F1ファンの期待を引き受けることになると私は確信している。
コメントを残す