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【空想】鈴鹿の各コーナーを所縁のドライバー名に変更してみた!

日本が世界に誇る鈴鹿サーキットは長い歴史の中で多くの名場面の舞台になりました。

特に1987年から開催されたF1日本グランプリでは、世界有数のドライバーが神がかりなドライビングテクニックで、驚きの走りやオーバーテイクを披露しました。

そんな鈴鹿の日本グランプリで印象に残る走りをしたドライバーを、各コーナーの名称にしたら。

まあ鈴鹿サーキットは富○スピード○ェイのように、コロコロとコーナー名を変えたりはしませんが、ちょっと空想でゆる〜く考えてみたいと思います。

では1コーナーからいってみましょう!

1コーナー → サトルコーナー

1990年の日本グランプリ。

ティレルを駆る中嶋悟選手は因縁の相手デレック・ワーウィック選手を追いかけ、ホームストレートでマシンをアウトに振り、1コーナーへ大外刈りでオーバーテイクを決めました。

インを刺すのがオーバーテイクのセオリーですが、このアウトからの大外刈りに私は驚きました。

そんな印象に残る大外刈りですが、当時解説をしていた今宮純さんは、

「日本時代には何度もアウトからオーバーテイクを決めたんです」

と発言。

実際に調べてみると、星野一義選手、松本恵二選手、ジェフ・リース選手など国内レースのトップドライバーを何度も大外刈りでオーバーテイクを決めています。

そんな鈴鹿1コーナーの大外刈りですが、その後2005年の最終ラップでフィジケラ選手を抜いたライコネン選手のオーバーテイクなど鈴鹿追い抜きの新定番になりました。

ただ元祖は中嶋悟選手なので1コーナーはサトルコーナーで決まりでしょ!?

S字コーナー → セバスチャンS字

『鈴鹿サーキットは神の手で作られたコース』

2009年に初めて鈴鹿を制したセバスチャン・ベッテル選手が語った言葉です。

その後も鈴鹿を愛し続け、レッドブル時代には日の丸カラーのヘルメットを用意したほど。

2022年、最後の鈴鹿のレースでは予選終了後に場内に響いたベッテル選手の日本語での無線、

「ありがとうございます、鈴鹿」

場内は一瞬静まり返り、その後大歓声に変わりました。

そんな鈴鹿を愛し、日本のファンから愛されたセバスチャン・ベッテル選手に敬意を払い、セバスチャンの頭文字になぞりS字コーナーをセバスチャンS字に変更してみてはいかがでしょう?

逆バンク → アーバインコーナー

アーバインコーナー

1997年の日本グランプリの決勝2周目で、4位を行くエディ・アーバイン選手が前を行く3位のミカ・ハッキネン選手と2位のミハエル・シューマッハ選手をまとめて追い抜いた伝説の追い抜きから命名。

フジテレビの解説をしていた鈴木亜久里さんが、

「あんなラインがあるの?」

と驚くと、ゲスト解説のマッチが、

「あるんですよ」

とすかさず返答。

まあ、あのレースはフェラーリのチームプレイで、タイトルを狙うシューマッハ選手がわざと遅く走りアーバイン選手に抜かさせたのですが・・・。

ダンロップコーナー → ビアンキコーナー

ダンロップコーナーはF1が開催される直前の1987年夏まで大きなダンロップブリッジが架かったのが、このコーナー名の由来。

そのダンロップコーナーはビアンキコーナーでお願いします。

理由については今回のおちゃらけた記事では書けませんが、もちろんみなさんのお察しのとおりです。

ヘアピン → カムイヘアピン

ヘアピンは可夢偉選手の名前で異論なしでしょう。

2010年の日本グランプリ。

BMWザウバーに所属していた小林可夢偉選手は、13周目にハイメ・アルグエルスアリ選手、18周目にエイドリアン・スーティル、44周目には同じくアルグエルスアリ選手、48周目にはルーベンス・バリチェロ選手、49周目にはニック・ハイドフェルド選手と、抜きどころのない鈴鹿サーキットで5回のオーバーテイクを成功させました。それもすべてヘアピンで。

ということでヘアピンはカムイヘアピンに変更をしてもらいたいです。

でも小林可夢偉選手はトヨタ系ドライバー。

ホンダの子会社の鈴鹿サーキットでは・・・無理かな。

まっちゃんコーナー → ロレックスガスリーコーナー

雨の中行われた2022年の日本グランプリ。

2周目のまっちゃんコーナーでカルロス・サインツ選手がまっちゃんコーナーでクラッシュし、タイヤバリアに設置された1mほどの大きなロレックス看板がコース上に舞い落ちてしまいます。

後続を走っていたピエール・ガスリー選手はそのロレックス看板にヒット。

そのままフロントウイングに絡まり、ガスリー選手はロレックス看板をピットガレージまでお持ち帰りする羽目に・・・。

この珍事に因み、まっちゃんコーナーをロレックスガスリーコーナーに変更してみてはいかがでしょう?

西ストレート → アグリストレート

鈴木亜久里

1990年の日本グランプリで日本人初のF1表彰台を獲得した鈴木亜久里選手。

そんな彼のマシンにはランボルギーニ製のV型12気筒エンジンが搭載されていました。

鈴鹿サーキット最長の直線を誇る西ストレートで奏でるランボルギーニのエンジン音はフェラーリV12を凌ぐ、甲高い素晴らしい音色でした。

ということで西ストレートは鈴木亜久里選手の表彰台を祝してアグリストレートに名称変更しましょう。

130R → マクニッシュコーナー

2002年日本グランプリの予選。130Rで大きなクラッシュが発生しました。

トヨタのマシンを駆るアラン・マクニッシュ選手が超高速の130R出口でスピンを喫し、外側のタイヤバリアに激突し、さらに外側のガードレールも突き破るという恐ろしいクラッシュでした。

幸いマクニッシュ選手は翌日のフリー走行には出走したものの、その後の決勝はドクターストップがかかり出走を断念。マクニッシュ選手グランプリ最後のレースは欠場という残念な結果でした。

FIAはこの事故を重くみて、130Rが危険なコーナーと判断。翌2003年に改修され85Rと340Rの難易度の低い複合コーナーに変貌しました(130Rという名称は継続)。

ということで、130Rの形状を変えたきっかけとなったマクニッシュ選手の事故に由来して、このコーナーはマクニッシュコーナーに変更してみてはいかがでしょう?

日立アステモシケイン → タクマシケイン

佐藤琢磨

鈴鹿のシケインといえば、2004年日本グランプリの予選で見せた佐藤琢磨選手の4輪ドリフトが強烈に思い起こされます。

土曜日の予選が台風によりキャンセルになり、日曜日の朝に順延。

その日曜日の予選では路面が所々濡れているもののドライタイヤで各マシンがアタック。

琢磨選手もドライタイヤでアタックし、シケインでマシンが大きくスライドしスピン・・・するかに思われたましたが、4輪ドリフトをして最小限のロスでシケインを見事にクリアしたのでした。

当時私も現地で観戦をしていましたが、ファンは悲鳴から大声援に変わり、4番手タイムをマークし、会場のボルテージは最高潮になったのを覚えています。

シケインは名場面が多くありますが、2000年代の日本グランプリを盛り上げた立役者の琢磨選手にちなんで、シケインは日立アステモの契約終了を待ってタクマシケインに変更してみてはいかがでしょう?

最後に

ということで鈴鹿サーキットの各コーナーの名称は下記のように変更されました(もちろん嘘です)。

旧名称新名称
1コーナーサトルコーナー
S字コーナーセバスチャンS字
逆バンクアーバインコーナー
ダンロップコーナービアンキコーナー
ヘアピンカムイヘアピン
まっちゃんコーナーロレックスガスリーコーナー
西ストレートアグリストレート
日立アステモシケインタクマシケイン

どうでしょう、結構しっくり来るでしょ!?

デグナーカーブとスプーンカーブのエピソードが無いんですよね。

どなたかこの両コーナーのエピソードとそれに因む名称があれば教えてください。

今回はゆる〜く書いてみましたが、最後までご覧いただきありがとうございました。

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奥が深いモータースポーツ撮影の世界
MOTORSPORT撮影術

モータースポーツ撮影歴18年。腕に覚えは全く無いが、知識だけは豊富なワタクシぴぴが、レース撮影について偉そうに解説します。




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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。