ドライバーの才能を測る上でもっとも重要なのは一発の速さ。
もちろん決勝でミスのない安定した走りで結果を出すことは重要ですが、一発の速さがなければF1には残れません。
そんなF1ドライバー元来の速さが如実に現れるのが予選結果。マシンの力量が現れるのも予選ですが、一発の速さがあるドライバーは、マシン性能以上の結果を出します。
さて、そんな予選での歴代日本人F1ドライバーの成績は?
ということで今回は、日本人歴代F1ドライバーの予選最高位を、ランキング形式で見ていきたいと思います。
では、第10位からいってみましょー!
【歴代10位】中野信治 予選最高位12位
- 予選最高位・・・12位
- グランプリ・・・1997年フランスGP
- サーキット・・・マニクール
- 所属チーム・・・プロストグランプリ
中野信治選手は1997年から1998年にかけてF1に参戦したドライバー。
現在はDAZNでF1の解説をしているので、若い世代でもご存知の方が多いと思います。
そんな中野信治選手のF1予選最高位は12位で、歴代日本人F1ドライバーで10番目の予選順位です。
12位を記録したのは1997年のフランスマニクールサーキット。
所属するプロストグランプリから目と鼻の先にあるサーキットで、地の利がありこの成績を達成できたのですが、オリビエ・パニス選手の怪我でこのレースからチームメイトに抜擢されデビューしたヤルノ・トゥルーリ選手が予選で6位に入ったこともあり、中野信治選手の12位という記録はあまりクローズアップされませんでした。
決勝はリタイヤ。
中野選手は一発の速さよりも決勝での安定した走りが武器で、事実後年はWECなどの耐久レースで活躍したドライバーでした。
【歴代9位】星野一義 予選最高位11位
- 予選最高位・・・11位
- グランプリ・・・1977年日本GP
- サーキット・・・富士スピードウェイ
- 所属チーム・・・コジマ
第9位は1977年の日本グランプリでスポット参戦ながらも予選最高位11位に入った星野一義選手です。
所属するチームは・・・コジマ??
コジマエンジニアリングは当時の国内レースに参戦していたチームで、1976年のF1開催に照準を絞りF1マシンを開発し参戦。そして翌1977年には新たなマシンを開発し2戦目のスポット参戦でした。
当時のF1の予選方式は金曜日午前(このグランプリでは中止)と午後、土曜日午前の3回で、星野選手は金曜日の時点でなんと6位につけていました。
ロータスのマリオ・アンドレッティ選手やマクラーレンのジェームス・ハント選手、フェラーリのカルロス・ロイテンマン選手の中に、コジマの星野一義選手・・・当時のグランプリ関係者やヨーロッパのファンもさぞかし驚いたことでしょう。
結局土曜日の予選ではタイムを伸ばすことはできず11位に終わり、決勝ではタイヤのマッチングに苦しみ2周遅れの11位で終わることになるのでしたが、日本一速い男はF1でもその速さの片鱗を見せたのでした。
【歴代8位】長谷見昌弘 予選最高位10位
- 予選最高位・・・10位
- グランプリ・・・1976年F1インジャパン
- サーキット・・・富士スピードウェイ
- 所属チーム・・・コジマ
第8位は1976年初のF1日本開催で10位に入った長谷見昌弘選手。
長谷見選手が所属するチームは、星野一義選手の項でも書いた純国産チームのコジマでした。
1977年の予選でも金曜日予選で6位に入ったコジマのマシンでしたが、デビュー戦の1976年はさらに鮮烈で、金曜日午前の予選1回目では4番手タイムを記録し、海外の報道陣は度肝を抜いた。
金曜午後の予選2回目ではさらにペースを上げるも、最終コーナーでクラッシュしてマシンが大破。
結局土曜の予選3回目の出走は叶わなかったが、金曜午前のタイムで予選10番手を獲得しました。
予選2回目でクラッシュしたマシンを決勝に出走するために、現在も富士スピードウェイの西ゲート横に存在する近藤レーシングガレージで徹夜の作業を行ない修復が完了したものの、決勝ではマシンバランスに苦しみましたが、最下位ながらも完走を果たしました。
このF1インジャパンでの長谷見選手とコジマの伝説は、今でもF1ファンに語り継がれる有名なエピソードですね。
【歴代7位】鈴木亜久里 予選最高位6位
- 予選最高位・・・6位
- グランプリ・・・1993年ベルギーGP
- サーキット・・・スパフランコルシャン
- 所属チーム・・・フットワーク(アロウズ)
日本人歴代F1ドライバーの予選順位ランキング7位は鈴木亜久里選手。
1993年のスパフランコルシャンで行われたベルギーグランプリで、予選6位を記録しています。
この年の第9戦から投入したマクラーレン製のアクティブサス(マクラーレンが搭載するものとは異なりスペックダウン版)とパワーアップした無限エンジンの効果で金曜日の予選で5番手タイムを記録。さらに翌土曜日のフリー走行で3位に入りました。
結局土曜日の予選で6位になり、当時のトップドライバーであるデーモン・ヒル選手やミハエル・シューマッハ選手と肩を並べるタイムを叩き出しました。
決勝では一時5位を走行するも、16周目に突然ギアボックスが壊れ、残念ながらリタイヤに終わりました。
鈴木亜久里選手は一発のタイムでは歴代の日本人の中でもかなり速かったドライバーでした。
【歴代6位】中嶋悟 予選最高位6位(2回)
- 予選最高位・・・6位(2回)
- グランプリ・・・1988年メキシコGP、1988年日本GP
- サーキット・・・エルマノスロドリゲスサーキット、鈴鹿サーキット
- 所属チーム・・・ロータス
日本人F1ドライバーの予選順位ランキング第6位は、日本人初のフルタイムF1ドライバーの中嶋悟選手です。
予選最高位は6位。
ちなみに先ほどの鈴木亜久里選手も最高位は6位でしたが、中嶋悟選手は2度記録しているので上位とさせていただきました。
1度目の6位は1988年のメキシコグランプリ。
メキシコグランプリが行われるエルマノスロドリゲスサーキットは標高2300メートルの高地にあり、ターボエンジン勢が圧倒的に有利だった恩恵もあり、ホンダ製のターボエンジンを搭載する中嶋選手は予選で6位に入り、当時の日本人予選最高記録を更新しました。
2度目の予選6位は1988年の日本グランプリ。
2度目の地元レースとなる鈴鹿の予選で、チームメイトの3度のF1ワールドチャンピオン、ネルソン・ピケ選手とまったくの同タイムを記録。
ただピケ選手の方が先にタイムを出したため、規定によりピケ選手が5位、中嶋選手が6位となりました。
決勝ではスタートでエンストをしてしまい、最後尾近くまでダウンをするも、決死の追い上げで7位になり、「エンストがなかったらなあ」と嘆いたファンも多くいました。
中嶋悟選手は日本のレースでは敵なしで、歴代でもトップクラスの実績でF1に上り詰めたドライバーでしたが、デビューが34歳と遅すぎました。
20代でF1に参戦していたならば、さらに好成績をあげることができたことでしょう。
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