【レーシングチーム紹介】第1弾 TEAM IMPUL(チームインパル)

モータースポーツ中毒者のぴぴと申します。

モータースポーツといえばヨーロッパを起源として発展してきましたが、日本国内のモータースポーツも長い歴史とともに現代では文化として定着してきました。

文化として定着した背景には、自動車メーカーのモータースポーツへの参入もさることながら、モータースポーツに情熱を捧げた国内レーシングチームの存在があったからだと考えます。

そこで今回から新シリーズとして、国内の有力レーシングチームを紹介してみたいと思い、第1弾は星野一義監督率いるチームインパルを取り上げていきます。

母体は1983年設立のホシノレーシング

2019年4月撮影 チームインパル御殿場ファクトリー

チームインパルの母体はホシノレーシングで、『日本一速い男』と言われていた星野一義選手(当時 現監督)が1983年に当時の有力レーシングチームであるチームヒーローズレーシングから独立し設立しました。

星野一義選手(当時 現監督)の出場した国内トップカテゴリーを中心に参戦し、星野一義が現役を退いた後も引き続きスーパーフォーミュラやスーパーGTなど、国内のトップカテゴリーに参戦し有力チームのひとつとして活躍しています。

JGTC時代はR34日産スカイラインGT-Rで参戦 Mさん提供

日産との結びつきが非常に強く、GTカーやツーリングカーなどの箱車レースでは過去にスカイラインGT-RやフェアレディZ・プリメーラなど日産車両を使用し、現在もスーパーGTに日産GT-Rで参戦しています。

JGTC・スーパーGT全レースに出場

2016年8月撮影 スーパーGT第5戦 富士スピードウェイにて

チームインパルは国内レース最大の人気を誇るスーパーGTと前身の全日本GT選手権も含め、全レースに出場している唯一のチームで、常に上位争いをしてきました。

そのスーパーGTには青のカルソニックカラーで参戦し、チームインパル=カルソニックブルーというイメージが定着しており、メインスポンサーが数年毎に変わるチームが多い中、カルソニックの長年のサポート※がチームの安定した強さにつながっています。

※ 2009年にメインスポンサーから撤退したが翌2010年復帰

SUPER GT GT500 データベース【2018年終了時点】

2019年1月5日

GTカー・ツーリングカーでは伝統的にカーナンバー”12″を使用します。

トップフォーミュラでは一時期4台がエントリー

2018年8月撮影 スーパーフォーミュラ第4戦 富士スピードウェイにて

チームインパルは、国内トップフォーミュラで過去最多の勝利数を誇る星野一義氏がチーム代表を努めることもあり、トップフォーミュラには特にチカラを入れているチームです。

フォーミュラニッポン時代には一時4台ものマシンを参戦させ、『チームインパルに加入しないとチャンピオンを取れない』とまで言われた時期もあり、全日本F3000選手権では4回、全日本選手権フォーミュラニッポンでは7回ものドライバーズチャンピオンを獲得してきました。

日本トップフォーミュラ データベース 【全日本F2000・全日本F2・全日本F3000・フォーミュラニッポン・スーパーフォーミュラ】

2018年11月11日

日産との結びつきが強いチームですが、日産が参戦していないスーパーフォーミュラではトヨタエンジンを搭載し参戦しています。

フォーミュラカーのカーナンバーは伝統的に”19″”20″を使用します。

国内有数の人気を誇るレーシングチーム

2012年11月撮影 JAFグランプリ 富士スピードウェイにて

現在国内で最も人気を誇るモータースポーツであるスーパーGTの中でも、一番の人気は日産勢※だと言われています。

※ ぴぴ調べ

その人気の日産勢4チームの中にあって、ワークスチームであるニスモとともに人気を二分するのがチームインパル※です。

※ ぴぴ調べ

2017年7月撮影 ファンにサインをする星野一義監督 スーパーフォーミュラ第4戦 富士スピードウェイにて

星野一義監督は常日頃から「環境は俺がつくる、ドライバーは全開!で思い切り走ってくれ」と言い、レース中はピットで机を叩きながらドライバーを鼓舞しますが、近年の監督トークショーやインタビューでは冗談を交えながらファンを楽しませてくれます。

星野一義監督の現役時代からつづく勝利への飽くなき情熱とその愛嬌のある人柄が、ファンの心に響いているのでは、と私は考えます。

現在の参戦カテゴリー

2019年3月撮影 スーパーGT公式テスト 富士スピードウェイにて
  • 全日本スーパーフォーミュラ選手権 (2013-)
  • スーパーGT (2005-)

過去の参戦カテゴリー

2016年12月撮影 全日本ツーリングカー選手権で最強を誇ったR32スカイラインGT-R ニスモフェスティバル 富士スピードウェイにて
  • 全日本F2選手権 (1983-1986)
  • 全日本F3000選手権 (1987-1995)
  • 全日本選手権フォーミュラニッポン (1996-2012)
  • 富士グランチャンピオンレース (1983-1989)
  • 全日本F3選手権 (1985 1988-1992)
  • 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権 (1983-1987)
  • 全日本ツーリングカー選手権 (1987-1997)
  • 全日本GT選手権 (1994-2004)

最後に

R33スカイラインGT-Rを駆る星野一義 Mさん提供

ミハエル・シューマッハのチームメイトとしてフェラーリF1ドライバーを務めたエディ・アーバインをして、「日本には星野がいる」と言わしめた、一時代を築いた伝説のドライバー星野一義監督が率いるチームインパル。

これからも情熱的な指導の下、そのアグレッシブで貪欲な彼のようなドライバーを育ててもらいたいと同時に、強いチームインパルがまた帰ってきてほしいと切に思います。

【レーシングチーム紹介】第5弾 CERUMO(セルモ)

2019年6月26日

【レーシングチーム紹介】第4弾 NISMO(ニスモ)

2019年6月12日

【レーシングチーム紹介】第3弾 TOM`S(トムス)

2019年6月1日

【レーシングチーム紹介】第2弾 Nakajima Racing(ナカジマレーシング)

2019年4月28日

最後までお読みいただきありがとうございました。

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モータースポーツ撮影歴18年。腕に覚えは全く無いが、知識だけは豊富なワタクシぴぴが、レース撮影について偉そうに解説します。




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モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。 一眼レフデビューは2001年頃、CANON EOS7(フィルム機)。腕に覚えは全くないが、年数だけはそこそこ長い。 【一眼レフ遍歴】 CANON EOS 7 → CANON EOS kiss N → CANON EOS 60D → CANON EOS 7D MarkⅡ → CANON EOS 5D MarkⅣ & SONY α7R Ⅲ 【所有カメラ】 CANON EOS 5D MarkⅣ SONY α7R Ⅲ SONYサイバーショット DSC-RX1R 【所有レンズ】 CANON EF100mm-400mm f/4.5-5.6L IS Ⅱ USM CANON EF70-200mm f/2.8L IS Ⅱ USM CANON EF24mm-70mm f/4L IS USM CANON EF50mm f/1.2L USM CANON EF85mm f/1.4L IS USM SONY FE24-105mm F4 G OSS