1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はリジェが1979年のF1に参戦するために開発した、リジェJS11を取り上げていこうと思う。
ザックリ見出し
マシンデータと戦績
まずはリジェJS11の主要諸元をチェック。
年式 | 1979年 |
カテゴリー | F1 |
コンストラクター | リジェ |
マシン名 | JS11 |
デザイナー | ジュラール・ドゥカルージュ |
エンジン | フォードコスワースDFV |
つづいてリジェJS11の戦績を見てみる。
コンストラクター | デパイユ | イクス | ラフィット | |
---|---|---|---|---|
シーズン順位 | 3位 | 7位 | 17位 | 4位 |
シーズンポイント | 61P | 20P (22P) | 3P | 36P |
優勝 | 3回 | 1回 | 0回 | 2回 |
表彰台 | 8回 | 2回 | 0回 | 6回 |
ポールポジション | 4回 | 0回 | 0回 | 4回 |
ファステストラップ | 3回 | 1回 | 0回 | 2回 |
リジェ最高傑作のマシン
1976年から1996年までF1に参戦したリジェが、もっとも輝いたのが1979年から1980年のシーズンで、マシンは両年ともにJS11が使われた。
リジェは1976年のF1参戦以来、ジャック・ラフィットの1台体制だったが、1979年にパトリック・デパイユが加入し、参戦以来はじめて2カーエントリーとなる。
またエンジンも参戦以来マトラV12を使用していたが、この年からF1で多数のチームが使用するコスワースDFVにスイッチ。
デザイナーのジュラール・ドゥカルージュは、ロータス78のグランドエフェクト効果を理解し、シャシーを狭くそして剛性のあるものにしなければならないとの思いでリジェJS11を設計する。
完成したリジェJS11は非常に高い戦闘力を発揮し、ラフィットが開幕のアルゼンチングランプリと第二戦のブラジルグランプリで2連勝を飾ると、第5戦のスペイングランプリではデパイエも優勝し、年間3勝を挙げ、コンストラクターズ選手権では3位に入った。
デパイユはモナコグランプリの後にハングライダー事故で両足を骨折して戦線を離脱したため、その後のレースは往年の名ドライバーであるジャッキー・イクスがシートを引き継いだが、思ったような活躍はできず、イクスはこの年を最後にF1から身を引いた。
この年一気に躍進したリジェは、翌1980年もJS11を使用して2勝を挙げる。
結局リジェはF1で9度の勝利を手にするのだが、そのうちの半分以上の勝ち星はこのJS11での勝利だった。
では、そのリジェJS11のミニカーを詳しく見ていこう。
リジェJS11のミニカーを実車のように撮る!
それでは1/43のリジェJS11を撮影していこうと思う。
もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。
リジェのF1参戦以来、ラフィットのマシンのカーナンバーは26。
そしてこの年から2カー体制となったため、デパイユ(イクス)のカーナンバーとしてはじめて25も使用することになる。
そう、リジェといえば、1976年から1995年まで使用したこのカーナンバー25、26が定番の番号だった。
アルミ地が剥き出しのリヤウイング。
当時はまだカーボンが使われておらず、ボディやウイングの素材はアルミだった。
事後をした時のことを考えると恐ろしい・・・。
リジェJS11のメインスポンサーは同郷のタバコブランドであるジタンだが、ミニカーにも及ぶタバコ広告規制の問題からデカールが省かれている。
このマシンの象徴的なブランドだけに残念でならない。
ロータス78により、F1にグランドエフェクトという発想がもたらされたが、当時はまだその仕組みについて理解ができなかったデザイナーもいたという。
しかしリジェのデザイナーであるジュラール・ドゥカルージュは、その効果を理解した上でJS11をデザインし、大きなダウンフォースとポイントを稼いだ。
サイドポッド下の跳ね上げ部分とサイドスカートの形状から、ウイングカーの構造がよく分かる。
なかなか見ることのできないマシン底面が確認できるのも、ミニカーの良いところと言えるだろう。
リジェJS11をスターティンググリッドに移動し、この年4度獲得したポールポジションの位置に止める。
奥に見えるのは、クレイ・レガッツォーニのウィリアムズFW07。
当時のF1マシンは、前述のとおりアルミ板を使ってデザインされていたため、今のマシンに比べると角ばっていたのだが、このリジェJS11は丸みを帯びたデザインで、他のマシンとは一線を画す。
マシン下部でダウンフォースを稼ぐためか、今では考えられないのだが、クーリングを考えてエンジンは剥き出しになっている。
そのエンジンだが、この写真を見ると、左にオフセットされ、ロールバーから伸びたエンジンカウルは右側に?
いやいや、レンズの歪みでした・・・。
すべてのリジェのマシンのマシン名にはJSと入るが、これはリジェのオーナーであるギ・リジェの親友で、ホンダF1で事故により亡くなった、ジョー・シュレッサーを偲び、頭文字を使用している。
以上、1/43のリジェJS11を実車のように撮影してみた。
今回登場したミニカー
今回撮影に登場したミニカーを紹介する。
【ixo製】リジェJS11
デアゴスティーニのF1マシンコレクション26号で、製造はイタリアのixoが担当している。
【ixo製】ウィリアムズFW07
デアゴスティーニのF1マシンコレクション68号でixo製。
【ixo製】フェラーリ312T3(1979)
デアゴスティーニのF1マシンコレクション61号でixo製。
【ixo製】アロウズA2
デアゴスティーニのF1マシンコレクション73号でixo製。
【ixo製】アルファロメオ177
デアゴスティーニのF1マシンコレクション59号でixo製。
【ixo製】ロータス80
デアゴスティーニのF1マシンコレクション106号でixo製。
今回の撮影機材
今回ミニカーを撮影したカメラ機材を紹介する。
カメラ | キヤノンEOS R5 |
レンズ | キヤノンRF35mm F1.8 IS STM |
スピードライト | キヤノン430EX Ⅱ |
三脚 | ベルボンEX-Macro |
最後に
リジェといえばフランスのF1チームだが、このチームは古くからフランスのドライバーや企業にこだわる、ナショナリズムに溢れたチームだ。
歴代のドライバーラインナップを見ると、開幕戦からフランス人コンビで迎えたシーズンは21年中じつに10回に及ぶ。
またエンジンも然りで、フランスのマトラやルノーを搭載したシーズンは11回。
燃料やオイルの供給先も、エルフやアンタルのフランスメーカーが16シーズンに渡り供給。
メインスポンサーも、フランスのタバコブランドジタンや宝くじのロトなどが、毎年サポートしていた。
以上、今回は1/43のリジェJS11を実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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