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ロータス100T 最強ホンダターボ搭載も空力性能が時代遅れだったピケ中嶋のマシン【ミニカー#81】

1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はロータスが1988年のF1に参戦するために開発した、ロータス100Tを取り上げていきたいと思います。

マシンデータと戦績

まずはロータス100Tの主要諸元をチェック。

年式1988年
カテゴリーF1
コンストラクターロータス
マシン名100T
デザイナージュラール・ドゥカルージュ
マーティン・オジルビー
エンジンホンダRA168E
主要諸元表

つづいてロータス100Tの戦績を見てみる。

コンストラクターピケ中嶋
シーズン順位4位6位16位
シーズンポイント23P22P1P
優勝0回0回0回
ポールポジション0回0回0回
ファステストラップ0回0回0回
戦績表

最強ホンダ製ターボエンジン搭載も・・・

前年のロータス99Tにひきつづき当時最強のホンダ製ターボエンジンを搭載するロータス100Tは、リジェやラルースでも活躍したジュラール・ドゥカルージュとマーティン・オジルビーが設計を担当した。

前年型ロータス99TではのちにウィリアムズFW14が搭載して大きな武器となるアクティブサスペンションを時代に先駆けて搭載していたが、まだ開発途中でうまく機能しなかったため、このロータス100Tでは一般的なパッシブサスペンションに戻されている。

フロントダンパーはドライバーの脚の上に配置され、レギュレーションでペダル位置が前輪車軸より後方に移動されたため、フロントノーズはロータス99Tよりもかなりスリムになりより近代的なデザインになった。

ドライバーラインナップは、アイルトン・セナがマクラーレンに移籍したため、入れ代わりで前年ウィリアムでワールドチャンピオンになったネルソン・ピケがカーナンバー1とともに加入し、中嶋悟とコンビを組むことになった。

1988年は名門ロータスにとって厳しいシーズンとなる。

アクティブサスペンションからパッシブサスペンションに戻したためデータの蓄積が古く、またロータスの体制や設備が時代遅れになりつつある上に、ピケの契約金が高かったために資金不足も深刻だった。

同じホンダ製エンジンを搭載するマクラーレンが16戦中15勝というずば抜けた成績を収めたのに対し、ロータス100Tはピケの3位が最高成績と燦々たる結果だった。

では、そのロータス100Tのミニカーを詳しく見ていこう。

ロータス100Tのミニカーを実車のように撮る!

それでは1/43のロータス100Tを撮影していこうと思う。

もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。

前年ウィリアムズでワールドチャンピオンになったネルソンピケは、カーナンバー1とともにロータスに移籍したため、多くチャンピオンを獲得してきた名門ロータスが最後にカーナンバー1をつけたマシンがロータス100T。

当ミニカーは決勝が雨となった1988年イギリスグランプリをモデル化したと思われるため、ウエットタイヤが装着される。

1987年からタバコブランドのキャメルがロータスのメインスポンサーだが、タバコ広告が規制されているイギリスグランプリではCOURTAULDS(コートールズ)のロゴがマシンの各所に描かれている。

しかしイギリスグランプリではキャメルのロゴであるラクダのマークだけは描かれていたが、ミニカーにも及ぶ現代のタバコ広告規制の影響で削除されており非常に残念だ。

イギリスグランプリの舞台は現在とは違い超高速だったシルバーストンサーキットだが、それでもリヤウイングが箱のような巨大さで、ホンダパワーの大パワーをマシン下部のディフューザーではなくウイングによって押さえつけていることからも当時のロータスが空力で遅れをとっているのがわかる。

ロータス100Tは、チャンピオンのピケをもってしても予選3位が最高だったが、今回はポールポジションの位置に置いてみたが・・・違和感がある。

奥に見えるのは、同じホンダ製ターボエンジンを搭載するセナのマクラーレンMP4/4。

1988年シーズンは同じホンダエンジンを搭載するマクラーレンMP4/4が全16戦中15勝をあげた大活躍のシーズンだったが、その影でピケのロータス100Tは開幕戦のブラジルグランプリと第2戦のサンマリノグランプリでマクラーレンの2台に次ぐ3位に入る。

しかしその後は失速し、7戦でリタイヤを喫し完走しても入賞できないレースもあった。

チームメイトの中嶋悟は入賞が開幕戦の6位のみと、さらに厳しいシーズンを送った。

結局ドライバーズランキングはピケが6位中嶋が16位で、コンストラクターズランキングではマクラーレン、フェラーリ、ベネトンに次ぐ4位と、最強エンジンを搭載しながらも低迷した。

ロータス100Tは100T/1から100T/5までの5台が製造された。

100T/1は中嶋悟のメインマシン、100T/2はピケのメインマシンとして使用され、100T3はTカー(スペアカー)に、100T/4は前半の数戦で中嶋悟のマシンとして使われ、100T/5はビルシュタイン製の電子制御ダンパーが装着されたロングホイールベース仕様であったがテストでクラッシュしており、グランプリで使用された実績はなく、その後ホンダコレクションホールで動態保存されている。

そのため、今回モデル化された100Tはイギリスグランプリでピケが決勝で使用したマシンのため100T/2で、私たち日本人がデモ走行で目にするロータス100Tは100T/5になる。

以上、1/43のロータス100Tを実車のように撮影してみた。

今回登場したミニカー

今回撮影に登場したミニカーを紹介する。

【ixo製】ロータス100T

デアゴスティーニF1マシンコレクションの92号で、イタリアのixoが製造を担当している。

【ixo製】マクラーレンMP4/4

デアゴスティーニF1マシンコレクションの記念すべき創刊号で、ロータス100Tと同じくイタリアのixoが製造している。

最後に

前述したとおり、同じホンダ製ターボエンジンを搭載したロータス100TとマクラーレンMP4/4だが、成績は大きく異なった。

以下の表はロータスがホンダエンジンを搭載した1987年と1988年に、同じホンダエンジンを搭載したウィリアムズ(1987年)・マクラーレン(1988年)との差だが、ロータス以外の2チームはチャンピオンを獲得している。

ロータスウィリアムズマクラーレン
19873位
(64P)
1位
(137P)
19884位
(23P)
1位
(199P)

理由はミニカーを見比べれば歴然で、ゴードン・マレーがデザインしたマクラーレンMP4/4は細いノーズとエンジンを極限まで低く搭載して全高を抑えたスマートな造形に対し、ジュラール・ドゥカルージュのロータス100Tは全体がずんぐりとした旧態然とした佇まいでいかにも重そうだ。

結局ドゥカルージュはシーズン終了を待たずにロータスを追われ、中堅チームのラルースに移籍した後古巣のリジェを最後にF1を退き、ロータスもこの年を最後にホンダエンジンを失うと翌年から低迷期に突入し、名門は1994年をもってF1を撤退するのだった。

以上、今回は1/43のロータス100Tを実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。