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マクラーレンMP4/4 セナプロストの最強タッグとホンダターボで16戦15勝を達成した史上最強マシン【ミニカー#82】

1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はマクラーレンが1988年のF1に参戦するために開発した、マクラーレンMP4/4を取り上げていきたいと思います。

マシンデータと戦績

まずはマクラーレンMP4/4の主要諸元をチェック。

年式1988年
カテゴリーF1
コンストラクターマクラーレン
マシン名MP4/4
デザイナーゴードン・マレー
スティーブ・ニコルズ
エンジンホンダRA168E
主要諸元表

つづいてマクラーレンMP4/4の戦績を見てみる。

コンストラクタープロストセナ
シーズン順位1位2位1位
シーズンポイント199P87P
(105P)
90P
(94P)
優勝15回7回8回
ポールポジション15回2回13回
ファステストラップ10回7回3回
戦績表

セナプロ最強コンビで16戦15勝の史上最強マシン

マクラーレンMP4/4(実車)
ホンダコレクションホールにて

マクラーレンMP4/4をデザインしたのはブラバムから移籍した鬼才と呼ばれていたゴードン・マレーで、この年から当時最強を誇っていたホンダ製ターボエンジンを搭載した。

ドライバーはすでに2度のチャンピオンを獲得していたプロフェッサーアラン・プロストと、ロータスから移籍してきた新進気鋭の若手アイルトン・セナで、当時考え得る最強のコンビだった。

ドライバー、デザイナー、エンジンと当時の最強ラインナップが揃ったマクラーレンは、1988年に全16戦中15勝を挙げて、他を寄せ付けぬ強さでWチャンピオンを獲得している。

ちなみにこの16戦中15勝 勝率93.8%は、2020年現在でも上回るマシンは現れていない。

ブラバムから移籍したゴードン・マレーは、前年のマクラーレンMP4/3の大柄なスタイルから一変し、自身が1986年にブラバムでデザインしたブラバムBT55(あだ名はフラットフィッシュ)のような極端に全高を抑えたマシンをデザインした。

当時としては異例なほどに強く寝かせたドライビングポジションで、ホンダ製ターボエンジンも可能な限り低く搭載して低重心化を図った。

フロントサスペンションはモノコックを低くしたため、一般的なプッシュロッドをレイアウトできず、少数派のプルロッドにしている。

ホンダエンジンが強すぎる故にFIAはこの年を最後にターボエンジンを禁止する。

そしてこの年は燃料搭載量を195Lから150Lに45Lも下げられ、燃費性能が問われることとなるのだが、ホンダはそれをも技術力でそれをカバーしてこの年も最強エンジンを誇っている。

では、そのマクラーレンMP4/4のミニカーを詳しく見ていこう。

マクラーレンMP4/4のミニカーを実車のように撮る!

それでは1/43のマクラーレンMP4/4を撮影していこうと思う。

もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。

マクラーレンMP4/4のカーナンバー12は、伝説のF1ドライバーであるアイルトン・セナが、自身初のチャンピオンを獲得した記念すべきマシン。

現在のF1マシンのリヤディフューザーは非常に複雑な形状だが、ご覧のとおり当時はまだそれほど複雑ではなく、どちらかというと前後のウイングでホンダ製ターボエンジンの巨大なパワーを地面に押し付けていた。

この低く構えたデザインがマクラーレンMP4/4の最大の特徴。

本来ならばマールボロのロゴがエンジンカウルやノーズ、リヤウイングやコクピットサイドなどに多くあしらわれている(冒頭の実車写真を参照)のだが・・・ミニカーにも及ぶタバコ広告規制のため残念ながら省略されている。

マールボロのロゴ以外ではホンダやシェル、グッドイヤーなどのサプライヤーメーカーのみで、マールボロがいかに多くの資金をマクラーレンに調達していたのかがわかる。

長くマクラーレンのメインスポンサーを務めたマールボロだったが、1997年を最後に関係を解消し、その後マールボロはフェラーリに舵をとることになり、マクラーレンは同じタバコブランドのウエストと提携することになる。

この年15回も獲得したポールポジションの位置にマシンを止める。

その15回のポールポジションのうちセナが獲得したのが13回と、僚友のプロストを圧倒する予選のパフォーマンスだった。

奥に見えるのは、同じホンダ製ターボエンジンを搭載するロータス100T。

前方のロータス100T同様マクラーレンMP4/4も大きなリヤウイングを装着する。

しかしこの年からレギュレーションでターボの最大ブースト圧を4バールから2.5バールに引き下げられ、燃料搭載量も195リットルから150リットルに抑えられたため、そのため馬力が抑制されており、前年にホンダエンジンを搭載したウィリアムズFW11Bよりも多少は小さくなっている。

ロールバーの後方にはテレメトリーシステム用の無線装置が確認できる。

現代のF1では走行中のあらゆるデータを吸い上げてエンジンの状況を観察しているが、それをF1に持ち込んだのが第2期のホンダだった。

マクラーレンMP4/4は、MP4/4-1からMP4/4-6の6台が製造されている。

その中の1台は現在ホンダコレクションホールに動態保存され、現在でもイベントなどでデモ走行をして私たちに当時の勇姿を見せてくれる。

シーズン終了後にはそれとは別に翌年からNAに移行されるためのテスト用シャシーのMP4/4Bが3台新造されている。

サイドポンツーン上にシュノーケルダクトを装着したこのマシンは前半戦仕様で、後半戦はダクトをサイドポッド内に移設(冒頭の実車写真を参照)している。

以上、1/43のマクラーレンMP4/4を実車のように撮影してみた。

今回登場したミニカー

今回撮影に登場したミニカーを紹介する。

【ixo製】マクラーレンMP4/4

デアゴスティーニF1マシンコレクションの記念すべき創刊号で、イタリアのixoが製造している。

創刊号は通常の半額で販売されたため、当モデルを所有している方も多いだろう。

【ixo製】ロータス100T

デアゴスティーニF1マシンコレクションの92号で、こちらもイタリアのixoが製造を担当している。

最後に

前述のとおり1988年のマクラーレンMP4/4は、他のマシンを寄せ付けない圧倒的な強さを誇っており、その勝率は2000年代前半のフェラーリ黄金時代や、2014年以降パワーユニット時代のメルセデスでも越えることができないほどだった。

順位コンストラクターGP数優勝勝率
11988マクラーレン161593.8%
22016メルセデス211990.5%
32002フェラーリ171588.2%
42014メルセデス191684.2%
42015メルセデス191684.2%

1988年のマクラーレンがこれほどまでに素晴らしい成績を収めたのは、ターボからNAへの移行期ということも考えられるが、それ以上にマシン、エンジン、ふたりのドライバーがすべて当時考えられる最高のパッケージングだったからだと思う。

この1988年のマクラーレン以外にも、マシン、エンジン、エースドライバーが時代の最強だったことはあったが、セナとプロストというふたりのドライバーまでもが最強で、ジョイントナンバー1体制を取っていたからこそ、互いのドライバーが切磋琢磨してこの成績に結びついたのだろう。

16戦15勝ということで、勝てなかった1勝はイタリアグランプリだった。

このレースはプロストが35周目でリタイヤするのだが、セナがトップを走行しておりそのまま優勝するものと思われていた。

しかし残り2周で周回遅れのジャン=ルイ・シュレッサーと接触し、シーズン全勝の夢は潰えてしまった。

ちなみにこのジャン=ルイ・シュレッサーなる人物は、1968年にホンダF1を駆り事故死したジョー・シュレッサーの甥。

叔父がホンダF1で事故死し、自身がホンダエンジンを搭載するマクラーレンの全勝を阻んでいるため、何か因縁めいたものがあるように思うのは考えすぎだろうか・・・。

以上、今回は1/43のマクラーレンMP4/4を実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。