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【日本モータースポーツ史の伝説】高橋国光さんご逝去

高橋国光さんが2022年3月16日にご逝去された。

氏は日本人として初めて2輪の世界GPで優勝し、4輪転向後には富士スピードウェイで開催されたF1にスポット参戦したり、ル・マン24時間でクラス優勝したりと、まさに日本モータースポーツ史の伝説であった。

高橋国光氏のル・マン24時間クラス優勝マシン
2019年ホンダコレクションホールにて

彼のドライビングの特徴はドリフト走行。

同時代に活躍したガンさんこと黒沢元治さんのグリップ走法に対し、クニさんこと高橋国光さんのタイヤを滑らせながらマシンをねじ伏せる走方は、ファンから圧倒的な支持があったという。

ドリキンこと土屋圭市さんも、その魅力的なドリフト走行に魅せられてファンになったひとり。

長野の山奥でドリフト走法に磨きをかけ、やがてドリフトを競技として確立させた土屋圭市さんだが、その師は高橋国光さんなのだ。

我々40代のモータースポーツファンは、高橋国光さんが活躍した時代を知らない。

いや、59歳の1999年まで現役だったため最晩年の頃は知っているが、全盛期は知らない。

しかしその魅力的なドライビングと温和な人間性は、幾度となく土屋圭市さんを始めとした弟子たちにより語られたため、我々40代のモータースポーツファンも、幾度となくその伝説を耳にした。

我々の世代からすると、スーパーGT GT500クラスのホンダ系エースチーム、チームクニミツの総監督というイメージが強い。

2018年には元F1チャンピオンのジェンソン・バトンをチームに招き入れ、その年に初のシリーズチャンピオンに輝いたのだが、あの時の嬉しそうなクニさんの笑顔が忘れられない。

じつは私も一度だけ間近でお見受けしたことがある。

あれは忘れもしない富士スピードウェイで行われた2012年のWEC世界耐久選手権。

ピット裏でひとりタバコを吸っている(当時はピット裏に灰皿があった)と、隣にご老人が来た。

雨の中、ふとそのご老人に目をやると、うーん、どこかで見たことがある!

あっ、クニさんだ!

すかさずサインペンを取り出すも、緊張のあまり「サインください」の一言が言えなかった・・・。

あの時も温和な姿でゆっくりとタバコを蒸していた姿が印象的だった・・・。

高橋国光さん、ご冥福をお祈り致します。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。