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スーパーGT/JGTCに参戦した『ランボルギーニ』のマシン一覧

世界有数のスーパーカーメーカーであるランボルギーニ。

そのランボルギーニはスーパーGTやその前身である全日本GT選手権と関わりが深く、1994年の全日本GT選手権初年度の開幕戦から現在に至るまでほぼすべてのレースに参戦している数少ない自動車メーカーだ。

ランボルギーニを走らせるチームは、日本におけるランボルギーニのオーナーズクラブであるJLOC(2016年のディレクションレーシングなど他チームも僅かだがランボルギーニ車両での参戦実績あり)。

JLOCはこれまでにランボルギーニの5車種をスーパーGTや全日本GT選手権に送り込んだ。

ということで今回は全日本GT選手権初年度から現在までスーパーGTに参戦するJLOCのランボルギーニマシンを中心に5車種を紹介していたいと思う。

カウンタック

出典:https://twitter.com/romagna_cento/status/1023930124079517698
  • 参戦期間・・・1994年
  • エンジン・・・5.2L V型12気筒 NA
  • クラス・・・GT1
  • ランキング最高位・・・GT1/21位(1994年)
  • ドライバー・・・池沢さとし、和田孝夫

ランボルギーニは1994年の全日本GT選手権シリーズ発足初年度から参戦。当時は最上位のGT1(GT500)クラスからのエントリーだった。

エントリーしたチーム名はKEN WOLF with TERAI ENGで、後にJLOCに引き継がれることとなる。

ベースとなったマシンは伝説のスーパーカーであるカウンタックの最終バージョンである25thアニバーサリーで、寺井エンジニアリングがレーシングマシンに仕立てた。そしてこの時に協力をしたのがランボルギーニ社と縁の深いJLOC代表の則竹功雄氏だった。

それまでランボルギーニ社はF1へのエンジン供給以外レース活動を行なってこなかったが、この全日本GT選手権参戦が同社の心を動かし、それ以降現在に至るまでランボルギーニ社はJLOCのスーパーGT参戦に全面的に協力をしている。

ディアブロ

写真提供:Mさん
  • 参戦期間・・・1995年-2004年
  • エンジン・・・5.7L V型12気筒 NA(イオタ)、6.0L V型12気筒 NA(GT-1/JGT-1)
  • クラス・・・GT1、GT500
  • ランキング最高位・・・GT500/16位(1998年)
  • ドライバー・・・和田孝夫、池沢さとし、金海辰彦、和田久、古谷直弘、杉山正巳、高橋毅、マルコ・アピチェラ、山西康司

参戦2年目となる1995年から仕様したマシンが、当時のランボルギーニのフラッグシップであったディアブロ。

この年よりランボルギーニ社が全面的に協力しており、全日本GT選手権に参戦するための車両としてイオタというグレードを3台製造(内1台は公道仕様)した。

冒頭で書いたとおりランボルギーニ社はそれまでレース活動を行わなかったため、このイオタがランボルギーニ社が送り出した初のレース用車両となる。

ちなみにイオタという名称は、1971年からランボルギーニ社で販売されていた往年のスーパーカーから取って与えられたグレード名であり、そんな貴重な名称を全日本GT選手権用の車両として名付けたことからも、ランボルギーニ社が全日本GT選手権に全面的に協力していることがわかる。

しかしこのイオタでポイントを上げることはなく、1997年に元F1のAGSチームに所属していたミッシェル・コスタによって設計されたGT1に変更し、ボディにカーボンやFRPなどを多用し軽量化が図られた。

そして2001年にはシャシーや足回りなどを一新したJGT-1に進化したが、強豪ひしめくGT500クラスで大きな活躍を見せることはなく、ディアブロは2004年限りで全日本GT選手権の参戦を終了した。

ムルシエラゴ

写真提供:Mさん
  • 参戦期間・・・2004年-2009年
  • エンジン・・・6.0L V型12気筒 NA
  • クラス・・・GT500、GT300
  • ランキング最高位・・・GT300/11位(2006年、2007年)
  • ドライバー・・・山西康司、和田久、マルコ・アピチェラ、古谷直弘、余郷敦、桧山保孝、松田秀士

2004年からは市販車同様にディアブロの後継であるムルシエラゴが全日本GT選手権にも登場。

全日本GT選手権のグレードはRG-1といい、FIA-GT選手権に参戦するために開発したR-GTをベースにしているが、フロントスポイラーやサイドスカート、ディフューザーなど多くの部品は全日本GT選手権用に特別に設計されている。

2004年のセパンサーキットで行われた第2戦から登場したが、当初はリタイヤが続き、初完走は鈴鹿サーキットで行われた最終戦まで待たなければならなかった。

スーパーGTにシリーズ名称が変わった2005年もGT500クラスからエントリーしたが、その年の第4戦のスポーツランドSUGO戦から2台目のマシンをGT300クラスにエントリーする。

そこである程度の手応えがあったため、最終戦では2台ともにGT300クラスにスイッチし、翌2006年からは完全にGT300に移行した。

そのGT300クラスに完全移行した2006年の開幕戦では、マルコ・アピチェラ、桧山保孝組の88号車が、JLOC参戦以来初の優勝を遂げている。

その後2007年からはガヤルドも参戦を開始したものの、ムルシエラゴも並行してシリーズにエントリーしていたが、2009年を最後に翌年からガヤルドに一本化された。

次のページではランボルギーニのスーパーGT 2台が登場!
そして番外編ではあのカウンタックも!?

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。