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F1の表彰台に上がった3人の日本人ドライバー

日本トップフォーミュラで敵なしだった中嶋悟さんが日本人初のF1フル参戦を果たしたのが1987年。あれから多くの日本人ドライバーがF1に参戦しました。

そんな多くの日本人F1ドライバーの中でもF1の表彰台に上がったのは鈴木亜久里選手、佐藤琢磨選手、小林可夢偉選手の3人だけ。

今回はそんな3人のドライバーが偉業を達成したレースを振り返ってみたいと思います。

1990年日本GP 鈴木亜久里

DATA
  • 日程 ・・・1990年シーズン・第15戦
  • 決勝日・・・1990年10月21日
  • 開催地・・・鈴鹿サーキット
  • 天気 ・・・晴れ(ドライ)
  • チーム・・・ラルース・ランボルギーニ
  • 予選 ・・・10位
  • 決勝 ・・・3位

日本人ではじめてF1の表彰台に上がったのは、ご存じ鈴木亜久里選手です。

時は1990年。ちょうど日本で湧き起こったF1ブームの真っ只中での表彰台獲得で大きな話題になりました。

私自身もこの年の第4戦モナコグランプリから全戦視聴するようになり、迎えた日本グランプリでのこの快挙は鮮明に覚えています。

レースはアイルトン・セナ選手とアラン・プロスト選手のチャンピオン決定戦でしたが、両者はスタート直後の1コーナーで接触し、早々にリタイヤ。

その後トップに立ったゲルハルト・ベルガー選手も、セナプロの接触で路面に出た砂に乗って翌周にリタイヤを喫します。

そんな中、好走を見せたのがラルースの鈴木亜久里選手でした。

中堅マシンのラルースで予選10位を獲得し、ジャン・アレジ選手の欠場で9位からスタートした亜久里選手は、上位のリタイヤで7位に浮上すると7周目のホームストレートで芝生にタイヤを落としながらデレック・ワーウィック選手をかわし6位に上がります。

その後マンセル選手のリタイヤで26周目に5位になると、ファステストラップを連発しながらウィリアムズ勢を猛追し、35周目にリカルド・パトレーゼ選手のピットインで3位に上がります。

その後はフレッシュタイヤに履き替えたパトレーゼの猛追と周回遅れになることを想定し、1周少ない燃料しか入れていなかったため燃費走行をしていたことで厳しい終盤戦となりましたが、何とか3位を守り抜き、亜久里選手は日本人として、そしてアジア人としてもF1ではじめて表彰台を獲得したドライバーになりました。

表彰台に現れた亜久里選手は込み上げるような表情を見せていましたが、すぐに彼のトレードマークである満面の笑顔でガッツポーズ。

高校生だった私は思わずウルッときてしまいました。

鈴木亜久里
2019年11月スーパーGTにて
  • 生年月日:1960年9月8日
  • F1参戦:1988年-1995年
  • 所属チーム:ラルース・ザクスピード・フットワーク(アロウズ)・ジョーダン・リジェ
  • 出走回数:88(64スタート)
  • 通算ポイント:8

2004年アメリカGP 佐藤琢磨

佐藤琢磨が表彰台を獲得したBAR006
ホンダコレクションホールにて
DATA
  • 日程 ・・・2004年シーズン・第9戦
  • 決勝日・・・2004年6月20日
  • 開催地・・・インディアナポリスモータースピードウェイ
  • 天気 ・・・晴れ(ドライ)
  • チーム・・・BAR・ホンダ
  • 予選 ・・・3位
  • 決勝 ・・・3位

佐藤琢磨選手が表彰台を獲得したのは参戦2年目の2004年シーズン、第9戦アメリカグランプリのことでした。

この年佐藤琢磨選手が所属するBARホンダはマシンの完成度が非常に高く、黄金期だったフェラーリに次ぐ速さを見せていたものの、着実に表彰台を獲得するチームメイトのジェンソン・バトン選手に対し、佐藤琢磨選手の前半戦はエンジンブローなど不運のレースが続きました。

迎えたインディアナポリスで行われた第9戦アメリカグランプリで佐藤琢磨選手はフェラーリの2台に次ぐ予選3番手を獲得。

スタートではフェルナンド・アロンソ選手に先を行かれるも、序盤は4位でレースを進めます。

8周目に前を行くアロンソ選手が右リヤタイヤのバーストで1コーナーのウォールに激しくノーズをぶつけてリタイヤをすると、それに乗じて琢磨選手は3位に浮上。

さらに9周目にはラルフ・シューマッハ選手が同じくタイヤのバーストで最終コーナーで大クラッシュしてセーフティーカー導入。

余談ですが、翌2005年のアメリカグランプリではミシュラン勢のタイヤが相次いでバーストし、ミシュラン勢の全14台が決勝レースをリタイヤするいわゆるミシュランゲート事件が起こりました。

じつは前年の2004年にもミシュランを履くアロンソ選手やラルフ選手のタイヤがバーストを起こしていたにも関わらず、対策を講じていなかったのです。

多くのマシンがセーフティーカー導入時にピットインをしてタイヤを交換する中、琢磨選手はピットインをしませんでした。

その後、琢磨選手は25周目に1度目のタイヤ交換をすると、10位まで後退。

明らかにBARの戦略ミスでしたが、そこから琢磨選手のオーバーテイクショーがはじまります。

デビッド・クルサード選手、ジャンカルロ・フィジケラ選手、オリビエ・パニス選手をかわし、2度目のピットインを終えた後には5位まで復帰します。

さらに前を行くファン・パブロ・モントーヤ選手の失格で4位に上がると、3位のルノー、ヤルノ・トゥルーリ選手を猛追して、60周目の1コーナーで強引に追い抜きにかかり、両者コースアウトをするも琢磨選手が前に立ち3位浮上。

このままチェッカーフラッグを受け、日本人としては鈴木亜久里選手以来、14年ぶりに表彰台を獲得する快挙を達成しました。

チェッカーを受けたのが午前3時45分ごろでしたが、眠気は吹っ飛びそのまま一睡もできず、興奮しながら仕事に行ったことが思い出されます。

これから何度も表彰台に上がり、きっといずれは日本人初の優勝も・・・などと琢磨選手には夢を見させてもらいました。

ちなみに佐藤琢磨選手は鈴鹿以外で表彰台に立った唯一の日本人ドライバーです。

佐藤琢磨
2012年10月WEC富士にて
  • 生年月日:1977年1月28日
  • F1参戦:2002年-2008年
  • 所属チーム:ジョーダン・BAR・スーパーアグリ
  • 出走回数:92(90スタート)
  • 通算ポイント:44

2012年日本GP 小林可夢偉

DATA
  • 日程 ・・・2012年シーズン・第15戦
  • 決勝日・・・2012年10月7日
  • 開催地・・・鈴鹿サーキット
  • 天気 ・・・晴れ(ドライ)
  • チーム・・・ザウバー・フェラーリ
  • 予選 ・・・3位
  • 決勝 ・・・3位

F1の表彰台に立った3人目の日本人ドライバーが小林可夢偉選手です。

可夢偉選手がその偉業を成し遂げたのは2012年の日本グランプリ。3度目の母国グランプリでのことでした。

ザウバーに所属する可夢偉選手は予選で4番手タイムを叩き出し、3位のジェンソン・バトン選手がギアボックス交換によるペナルティで降格したため、可夢偉選手は3番手グリッドを獲得しました。

そして迎えた決勝。

2番手グリッドのマーク・ウェバー選手がスタートで出遅れ、可夢偉選手はなんと2位に浮上。

1度目のタイヤ交換を終えると、フェラーリのフェリペ・マッサ選手に先行されるも、表彰台圏内の3位をキープ。

その後、タイヤライフでアドバンテージがある4番手マクラーレンのバトン選手に詰め寄られるも、トップチームを相手にミスの無い走りでしっかりと順位をキープした可夢偉選手は、3位のポジションを死守したままチェッカーフラッグを受けました。

スタンドからは可夢偉コールの大合唱!

表彰台では優勝したセバスチャン・ベッテル選手とマッサ選手に祝福されるも、意外にも冷静にインタビューに答えていたのが印象的でした。

大舞台でも舞い上がることなく常に冷静な可夢偉選手は、世界でもっとも名を馳せた最高の日本人F1ドライバーでした。

小林可夢偉
2018年8月スーパーGTにて
  • 生年月日:1986年9月13日
  • F1参戦:2009年-2012年・2014年
  • 所属チーム:トヨタ・ザウバー・ケータハム
  • 出走回数:76(75スタート)
  • 通算ポイント:125

最後に

今回は日本人ドライバーがF1の表彰台に上がった3度の歴史的レースを振り返ってみました。

あの偉業からかなりの年月が流れましたが、この3つのグランプリは私たち日本人F1ファンにとっては特別で、個人的にもしっかりと脳裏に焼き付いています。

あの感動をもう一度・・・。

現在、F1に参戦する角田裕毅選手は、今回挙げた3人のドライバーにも負けぬ才能を持ったドライバーです。

是非とも彼にはF1の表彰台に上がってもらいたい。いや、日本人初の優勝を・・・。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。