スーパーGTを撤退した7つのGT500チーム

モータースポーツ中毒者のぴぴと申します。

2005年から全日本GT選手権を継承したスーパーGTですが、GT500クラスを撤退したレーシングチームは7つあります。

その中にはシリーズチャンピオンを獲得したチームや、名門と呼ばれメーカーと深い関係があると考えられていたチームも含まれています。

そこで今回は、そのチームが残した記録や足跡、撤退に至った経緯などをみていきたいと思います。

チームルマン

メーカートヨタ
カーナンバー6
GT500活動期間1994-1997・1999-2019
実働21年
ドライバーズ
シリーズ最高位
1位(2019)
チームズ
シリーズ最高位
2位(2016・2019)

2020年2月7日、トヨタの2020年スーパーGT GT500クラスの体制が発表されましたが、そこには名門チームルマンの名前はありませんでした。

前年2019年にスーパーGT GT500として初のドライバーズチャンピオンを獲得しただけに、ファンの間ではなぜ撤退するのか疑問の声が上がっています。

レイナードやダラーラの国内総代理店として、元来フォーミュラ色の強いチームルマンは、名門チームとしては遅い1999年にスーパーGTの前身である全日本GT選手権に参戦を始めました。

全日本GT選手権は1994年の最初のシーズンから参戦し、当時は日産系で300ZX(フェアレディZ)で参戦していました。

1999年よりトヨタ系としてスープラで参戦を開始し、トピックは2002年、脇阪寿一氏と飯田章氏のドライブでシリーズタイトルを獲得しました。

このESSOカラーのマシンは、今でも脇阪寿一氏とともに語り草になっていますよね。

その脇阪寿一氏がドライバーを勇退した翌年の2016年からチームルマンの監督に就任し、当初は勝てないシーズンが続きましたがチームを立て直し、2019年に悲願のドライバーズタイトルを獲得したことは記憶に新しいです。

先日ツイッターで、『トヨタ系GT500チームの中でどこを一番応援しているか』と質問してみたところ、トムスに次いで2番目に人気のチームであることがわかりました。

絶頂期になぜ撤退?

2020年に念願だったカーナンバー1は見れないの?

とファンは嘆きますが、真意の程はまだ我々ファンの耳には入ってきません。

続報が入り次第、追記したいと思います。

【レーシングチーム紹介】第9弾 TEAM LeMans(チームルマン)

2019年10月1日

童夢

2012年11月 JAF GPにて
メーカーホンダ
カーナンバー18
GT500活動期間1997-2014
実働18年
ドライバーズ
シリーズ最高位
1位(2010)
チームズ
シリーズ最高位
1位(2010)

※ データは全日本GT選手権時代を含む
※1999-2002は無限×童夢プロジェクトとして無限と同チームとしてエントリー
※2005・2006はチームホンダレーシングとしてARTAと同チームとしてエントリー

日本のレーシングチームの中において、童夢は異色の存在です。

スーパーGTのチーム部門のチャンピオンはチームズチャンピオンと言いますが、F1の場合はコンストラクターズチャンピオンと言います。

その違いを簡単に言うと、スーパーGTのチームはマシンを仕入れて、そのマシンを整備チューニング(整備すらも外注するチームもある)しますが、F1はマシンを製造する(コンストラクター=製造者)ので、チャンピオンシップの名称が違うのです。

その点で、童夢は我が日本において唯一風洞やカーボン技術を持ちマシンを製造できるコンストラクターです。

童夢は、スーパーGTのホンダNSXのマシンの開発を手掛けていることからも、他のチームとは異色の存在なのがわかります。

その童夢は、1997年にホンダの全日本GT選手権本格参戦とともに参戦を開始しました。

1999年から2002年は、ホンダのワークス的な存在と言ってもよい無限と同一チームで参戦をし、2005年と2006年はARTAとともにホンダレーシングとして参戦しました。

そんな実績からもホンダと非常に近しい関係であったことが伺えますね。

2010年には、ドライバーズチャンピオンとチームズチャンピオンの二冠に輝いたほどの実績を誇ります。

しかし2014年を最後にスーパーGTを撤退しました。

理由はプレスリリースも無いため関係者しかわかりませんが、2012年に創業者の林みのる氏の社長退任し、2013年にはカーボン製造子会社と風洞設備の売却したことから、大きな事業転換が行われたのではないか、と私は推測します。

現在童夢は、創業者である林みのる氏の手から離れましたが、日本のFIA-F4マシンの製造を手掛け、一時トヨタの関連会社に譲渡した風洞施設も買い戻しました。

今後ふたたび日本が誇るレーシングコンストラクターの、スーパーGT参戦を見てみたいものですね。

クラフト

2012年11月 JAF GPにて
メーカートヨタ・レクサス
カーナンバー34・35
GT500活動期間2002-2012
実働11年
ドライバーズ
シリーズ最高位
6位(2010)
チームズ
シリーズ最高位
5位(2006)

※ データは全日本GT選手権時代を含む
※ レクサスはブランドだが便宜上メーカーとした

クラフトと聞いて最近のスーパーGTファンはGT-Rを走らせるクラフトスポーツを連想するかもしれません。

また往年のファンは、由良拓也氏率いるムーンクラフトを思い出すかもしれません。

しかし2社とはまったく関係がありません。

1992年に設立したクラフトは、1997年に全日本GT選手権GT300クラスに参戦を開始しました。

1999年には現在も人気があるAE86のトレノをレーシングマシンに改造し、全日本GT選手権にエントリーしました。

私も初めてみた時、その強烈なインパクトに本当に驚きました。

2001年までAE86トレノで参戦し、2002年からはGT500クラスにステップアップします。

スーパーGTに名称が変わった2005年には、2台体制でスープラを走らせます。

2006年に1台体制に戻り、2012年までスーパーGT GT500クラスに参戦しますが、その年を最後にGT500クラスの参戦を断念しました。

参戦断念に際し橋本代表は、

「誠に残念ではございますが、今シーズンGT500クラスへの参戦は断念致しました」

「この結論に至るまでには色々と難しい問題がございましたが……ここにそのすべてを書く事はできません。GT500クラスはメーカー同士の戦いであり、チームの意思だけではいかんともし難いクラスであるという事をご理解頂ければ幸いと存じます」

auto sport webより引用

というコメントを残しました。

自動車メーカーが大きく関与するカテゴリーだけに、大企業の戦いの中で自チームの参戦継続のために、非常にご苦労があったのだとコメントから推測できます。

その後2013年にボンズレーシングと名称を変更しGT300クラスへ参戦しますが、第2戦を最後にスーパーGTから撤退しました。

ハセミモータースポーツ

ハセミのGT写真が無いのでシルエットフォーミュラ
2016年11月 SUZUKA Sound of ENGINE 2016にて
メーカー日産
カーナンバー3
GT500活動期間1994-2000・2004-2009
実働13年
ドライバーズ
シリーズ最高位
2位(1994・1995)
チームズ
シリーズ最高位
3位(1994・1995)

※ データは全日本GT選手権時代を含む
※ 1994・1995はGT500ではなくGT1

ハセミモータースポーツは、長年にわたり日産のワークスドライバーとして活躍した、長谷見昌弘氏が代表を務めるレーシングチームでした。

スーパーGTの前身である全日本GT選手権には、発足初年度より最上位のGT1クラス(GT500クラスに相当)に代表の長谷見昌弘氏が関わりの深い日産のスカイラインGT-Rで参戦し、1年目・2年目ともにクラス2位という好成績を記録しました。

その後2000年まで日産系GT500チームとして全日本GT選手権に参戦します。

2001年からの3年間は戦いの場をGT300クラスに変更し、強豪チームとしてチャンピオンを獲得します。

2004年からふたたびGT500クラスに上がり、シリーズ名称がスーパーGTと変更になった後2009年まで参戦します。

その後2010年にGT300クラスに変更しチャンピオンに輝きますが、その年をもってスーパーGTから撤退します。

撤退の理由は定かではありませんが、チーム曰く、

「翌年のメインスポンサーも決まっておりましたが、諸般の理由により参戦を断念します」

とのことで、私の推測ですが、強いパイプで繋がっているとされた日産との関係でしょうか?

ハセミモータースポーツは現在、レーシングチームとしての活動はしておりませんが、アフターパーツの販売等で会社としては存続している模様です。

残す3チームは、次のページで紹介します。

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MOTORSPORT撮影術

モータースポーツ撮影歴18年。腕に覚えは全く無いが、知識だけは豊富なワタクシぴぴが、レース撮影について偉そうに解説します。




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