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【レーシングチーム紹介】第9弾 TEAM LeMans(チームルマン)

チームルマンは2019年のスーパーフォーミュラに参戦するチームの中で、最も古くから日本のトップフォーミュラに参戦したチームルマンですが、その輝かしい歴史はその2019年を持って撤退してしまいました。

また1994年から参戦していた全日本GT選手権→スーパーGTも、同じく2019年を最後に参戦を取りやめてしまいました。

そこで今回は、国内モータースポーツで一番と言っていい伝統を誇る、超名門のチームルマンの歴史に迫ってみたいと思います。

チームルマンの歴史(概要)

静岡県御殿場市にあるチームルマン 2019年4月撮影

1967年ルマン商会として設立し、チームルマンは1969年にレース部門として独立しました。

特にフォーミュラカーレースでの活躍はめざましく、日本トップフォーミュラの歴史が始まった全日本F2000選手権にはシリーズ設立4年目の1976年シーズンから参戦し、その後全日本F2選手権、全日本F3000選手権、フォーミュラ選手権、全日本スーパーフォーミュラ選手権と、全ての日本トップフォーミュラに参戦した唯一のレーシングチームでした。

その日本トップフォーミュラでは、後にF1で活躍する有力な外国人レーシングドライバーが所属し、あのミハエル・シーマッハ選手や弟のラルフ・シューマッハ選手もチームルマンに所属しました。

その他1987年から1990年までは日産系チームとしてル・マン24時間に参戦した実績もあり、1994年からは日産系チームとして1999年以降はトヨタ系チームとして全日本GT選手権や後のスーパーGTにも参戦を続けていましたが、2019年を最後に惜しまれつつも撤退しました。

チーム名の由来とカーナンバー

スーパーGTでは古くから#6を使用する 2019年8月スーパーGT第5戦 富士スピードウェイにて

チーム名のチームルマンとは、言わずと知れたル・マン24時間からです。

しかし、長年日本のトップフォーミュラが参戦の中心で、ル・マン24時間には1987年〜1990年の4年間のみ日産チームの一員として出場しましたが、後述のとおり結果は全てリタイヤに終わっています。

カーナンバーは、フォーミュラカーレースでは長年#7・#8を使っていますが、全日本F3000選手権の頃は#24・#25を使っていました。

全日本GT選手権・スーパーGTでは一貫して#6を使っていました。

2019年のスーパーフォーミュラ参戦チーム中最古参だった

2019年もスーパーフォーミュラに参戦する
2019年7月スーパーフォーミュラ第4戦 富士スピードウェイにて

前述のとおり、チームルマンは2019年のスーパーフォーミュラを戦うチームの中で唯一、日本トップフォーミュラの歴史が始まった全日本F2000選手権から継続して参戦していたチームでしたが、その2019年を最後にスーパーフォーミュラを撤退しました。

ちなみに、2019年のスーパーフォーミュラに参戦したチームの日本トップフォーミュラの継続参戦を開始したシーズンは以下のとおりです。

チーム初年度カテゴリー
チームルマン1976年全日本F2000
チームインパル1983年全日本F2
ナカジマレーシング1984年全日本F2
セルモ(INGING)1991年全日本F3000
ダンディライアン1999年フォーミュラ
ニッポン
KONDOレーシング2000年フォーミュラ
ニッポン
トムス2006年※フォーミュラ
ニッポン
リアルレーシング2009年フォーミュラ
ニッポン
チーム無限2010年フォーミュラ
ニッポン
KCMG2010年フォーミュラ
ニッポン
B-MAXレーシング2017年スーパー
フォーミュラ

※ トムスは1977年全日本F2000選手権第8戦に佐藤文康選手が1戦のみ、1993年全日本F3000選手権にシーズン参戦したが、現在に至るまでの継続参戦は2006年から

ご覧のとおり、チームルマンが日本トップフォーミュラに参戦を始めたのは1976年で、なんと40年以上!に渡って参戦を続ける日本のフォーミュラ界では名門チームで、いわばF1でいうフェラーリみたいな存在だったのです。

チームルマンに所属したF1ドライバー

2015年はF1帰りの小林可夢偉選手が最初に所属したのがチームルマンだった
2015年7月スーパーフォーミュラ第4戦 富士スピードウェイにて

そしてもう一つ特筆すべきは、のちにF1に乗る有能なドライバーや、F1を引退した名だたるドライバーが多くチームルマンに在籍していました。

以下がチームルマンに在籍したF1ドライバーです。

ドライバーF1出走
(スタート)
F1
優勝
F1
タイトル
チームルマンでの
参戦カテゴリー
M.シューマッハ308
(306)
917全日本F3000
(1991)
K.ロズベルグ128
(114)
51全日本F2
(1979)
R.パトレーゼ257
(256)
6全日本F2000
(1977)
R.シューマッハ1826フォーミュラニッポン
(1996)
J.ラフィー180
(176)
6全日本F2000
J.ハーバート1603全日本F3000
(1990-1991)
P.タンベイ123
(114)
2全日本F2000
S.ヨハンソン103
(79)
0全日本F2
小林 可夢偉76
(75)
0スーパーフォーミュラ
(2015-2016)
T.ファビ71
(64)
0全日本F2
N.カーティケヤン480スーパーフォーミュラ
(2016)
C.ダナー47
(36)
0全日本F2
E.ピロ370全日本F3000
(1988-1989)
高木 虎之介320フォーミュラニッポン
(2006)
A.ユーン140フォーミュラニッポン
(2000-2001)
G.リース50全日本F3000
(1988-1989)
N.フォンタナ40フォーミュラニッポン
(1997)
野田 英樹30フォーミュラニッポン
(2000)
服部 尚貴2
(0)
0全日本F3000
(1994-1995)
フォーミュラニッポン
(1996)

F1で最も成功したドライバーであるミハエル・シューマッハも、1991年第6戦のSUGO戦にチームルマンから参戦し、2位表彰台を獲得しています。

その後も参戦する予定でしたが、SUGO戦の直後にF1のジョーダンと契約したため、チームルマンでの全日本F3000出場は1戦のみになりました。

F1で6勝をあげることになるラルフ・シューマッハも、兄ミハエル・シューマッハの勧めでチームルマンから1996年のフォーミュラニッポンにフル参戦し、チャンピオンを獲得しました。

この写真は私が初めて富士スピードウェイに行った1996年フォーミュラニッポン第7戦のレースプログラムですが、主役の一人として若き日のラルフ・シューマッハが掲載されています。

その他、F1チャンピオン経験者のケケ・ロズベルグ(ニコ・ロズベルグの父親)や、古舘伊知郎氏から鉄人と称されたリカルド・パトレーゼなど、スポットではありますが、多くのF1ドライバーがチームルマンから日本のトップフォーミュラへ参戦しました。

松本恵二氏とともに戦った全日本F2000選手権-全日本F2選手権

チームルマンは、1976年に松本恵二氏とともに当時の日本トップフォーミュラである全日本F2000選手権の第2戦に初出場し、その後4戦・5戦に参戦、1977年以降はシリーズ全戦に出場します。

年度No.ドライバー年間順位
19768松本 恵二17位
19778
31
松本 恵二
R.パトレーゼ
9位
?
注意
全日本F2000選手権は資料が非常に少ない為、年表には多く抜けている部分がある事をお詫び致します。今後資料が揃いましたら随時加筆させて頂きます。

以降毎シーズン成績を上げていき、全日本F2選手権に名称変更した2年目の1979年には、松本恵二氏のドライブにより3勝をあげ、年間チャンピオンに輝きます。

その後も松本恵二氏とともにトップチームの一角として、毎年上位の成績をおさめていきます。

以降、松本恵二氏は全日本F3000選手権初年度の1987年まで在籍し、初期のチームルマンを語る上で欠かせないエースドライバーでした。

また前述のとおり、当時チームルマンはヨーロッパの有力ドライバーを受け入れる事が多く、すでにF1で活躍していたジャック・ラフィーや、のちにF1チャンピオンになるケケ・ロズベルグ、フェラーリF1で活躍することになるパトリック・タンベイなど、錚々たるドライバーがチームルマンのマシンに乗り、日本のファンを大いに沸かせました。

年度No.ドライバー年間順位
19788松本 恵二5位
19797
8
K.ロズベルグ
松本 恵二

1位
19801松本 恵二5位
19818松本 恵二4位
19828松本 恵二3位
19837
8
E.エリジュ
松本 恵二
9位
8位
19848
9
松本 恵二
鈴木 利男
5位
8位
19858松本 恵二2位
19868松本 恵二4位
注意
全日本F2選手権は資料が非常に少ない為、年表には多く抜けている部分がある事をお詫び致します。今後資料が揃いましたら随時加筆させて頂きます。

レイナードワークスとして戦った全日本F3000選手権

ローラやマーチなどが主流のF3000マシンでしたが、チームルマンは1988年、国際F3000でデビューウィンを飾った初のフルカーボンマシンであるレイナードのマシンを、全日本F3000としては初めてシーズン途中より投入しました。

その後全日本F3000でのシェア争いは徐々にレイナードに流れることになるのですが、チームルマンはレイナードが倒産する2002年まで、日本の総代理店を勤めており、いわばレイナードのワークス的なチームでした。

松本恵二氏が1987年を最後にチームを離脱した後、ヨーロッパの有力外国人ドライバーと契約する事が多くなりました。

もちろん全日本F2以前も有力外国人ドライバーを乗せていましたが、当時は1戦のみのスポット契約でしかなく、全日本F3000以降はシーズンを通して契約をしました。

エマニュエル・ピロもベネトンに呼ばれるまでの1年半、ジョニー・ハーバートもロータスに加入するまでの2年、前述したとおりミハエル・シューマッハも、第6戦以降のシーズン後半に参戦する契約だったと言われています。

そんな中、元F1ドライバーであるエディー・チーバーの弟、ロス・チーバーが4年に渡りチームルマンのエースとして活躍しました。

年度No.ドライバー年間順位
19878松本 恵二4位※1
198811
25
E.ピロ
J.リース
3位
5位
198924
24
24
24
25
E.ピロ(Rd1-4)
K.アチソン(Rd5-6)
森本 晃生(Rd7)
M.アピチェラ(Rd8)
J.リース
6位


16位
13位
199024
25
黒澤 琢弥
J.ハーバート
17位
16位
19916
24
25
M.シューマッハ(Rd6)
J.ハーバート
R.チーバー
13位
10位
2位
199225R.チーバー3位
199325
26
R.チーバー
石川 朗
3位※2
199424
25
26
服部 尚貴
R.チーバー
影山 正美(Rd7,10)
5位
3位
199524
25
服部 尚貴
山本 勝巳
8位
9位※3

※1 キャビンレーシングとしてエントリー
※2 25号車はプロミス&レイナードとしてエントリー
※3 25号車はX-JAPANレーシングチームとしてエントリー

ラルフ・本山とともにダブルタイトル!フォーミュラ・ニッポン

全日本F3000から引き続き、レイナードの国内総代理店としてワークスとして参戦するチームルマン。

フォーミュラニッポンになってからもローラ・レイナード・童夢の激しいシャシー争いが繰り広げられていましたが、国際F3000では1996年からローラのワンメイクになり、レイナードは撤退の憂き目に遭いました。

そこでレイナード は俄然フォーミュラニッポンにチカラを入れ、1996年シーズンチームルマンはワークスとして無類の速さをみせます。

またドライバーには服部尚貴選手に加え、ミハエル・シューマッハの弟であり、後にF1で6勝をあげるラルフ・シューマッハを迎え入れ、ドライバーズチャンピオンシップで1位・2位を独占し、チームチャンピオンシップとダブルタイトルを手にし、チーム創設以来最高の成績をおさめました。

その後1998年には『2代目日本一速い男』本山哲選手のシリーズ初制覇とチームチャンピオンの2冠をまたしても達成し、特にフォーミュラニッポン初期の頃は本当に強いチームでした。

レイナードは、1999年以降にはワンメイクに近い状態になり、国内総代理店のチームルマンは待遇面でも商業面でも優位に立っていましたが、2002年にレイナード社が倒産し、2003年からローラのワンメイクになり、チームルマンはその優位性を失ってしまいました。

年度No.ドライバードライバー
年間順位
チーム
年間順位
199624
25
服部 尚貴
R.シューマッハ
2位
1位
1位
19971
2
2
2
N.フォンタナ
E.トゥエロ(Rd1-6)
M.クルム(Rd8)
立川 祐路(Rd9-10)
3位
16位
16位
3位
19987
8
N.フォンタナ
本山 哲
4位
1位
1位
19991
2
本山 哲
山西 康司
2位
12位
2位
20007
8
21
野田 英樹
五十嵐 勇大
A.ユーン
5位
13位
21位
5位
20017
7
8
A.ユーン(Rd1-6)
山西 康司(Rd7-10)
五十嵐 勇大
16位
14位
17位
9位
20027
7
8
影山 正美(Rd1-2)
D.シュワガー(Rd3-10)
土屋 武士
22位
13位
4位
5位
20037
8
金石 年弘
土屋 武士
4位
8位
2位
20047
8
25
脇阪 寿一
土屋 武士
片岡 龍也
5位
13位
8位
4位
20057
8
片岡 龍也
土屋 武士
11位
8位
5位
20067
8
片岡 龍也
高木 虎之介
7位
18位
6位
20077
8
片岡 龍也
高木 虎之介
14位
16位
8位
20087
8
本山 哲
石浦 宏明
11位
16位
7位
20097
8
国本 京佑
石浦 宏明
13位
6位
5位
20107
8
K.コッツォリーノ
石浦 宏明
10位
8位
5位
20117
8
大嶋 和也
石浦 宏明
5位
6位
4位
(8位)※1
20127
8
大嶋 和也
L.デュバル
7位
6位
5位
4位※2

※1. 8号車は第7戦より7号車とは別のチームTEAM KYGNUS SUNOCOとしてエントリー
※2. 8号車は7号車とは別のチームTEAM KYGUNUS SUNOCOとしてエントリー

SF14・SF19の供給元はチームルマン!スーパーフォーミュラ

大嶋和也選手が駆るチームルマンのマシン
2019年7月スーパーフォーミュラ第4戦 富士スピードウェイにて

スーパーフォーミュラに名称変更した2013年、前年のロイック・デュバル選手に加え、2012年の全日本F3チャンピオンである平川亮選手を採用し2014年まで同様の布陣で戦い、2年連続チームチャンピオンシップ2位と、古豪復活を果たしました。

2015年からは前年までF1に参戦していた小林可夢偉選手と契約し、日本のモータースポーツファンを大いに沸かせました。

2014年から日本トップフォーミュラで初めてダラーラが採用されましたが、ルマンは1998年1月よりダラーラ社の日本販売代理店権を獲得しており、このダラーラSF14とパーツはルマンより各チームに供給されています。

また2019年から採用されたSF19についてもルマンより供給されているものと思われます。

年度No.ドライバードライバー
年間順位
チーム
年間順位
20137
8
8
平川 亮
L.デュバル(Rd2-6)
A.カルダレッリ
11位
3位
13位
2位
20147
8
8
平川 亮
L.デュバル(Rd1,2,4-7)
A.カルダレッリ(Rd3)
8位
4位
12位
2位
20157
8
平川 亮
小林 可夢偉
8位
6位
4位
20167
8
N.カーティケヤン
小林 可夢偉
17位
14位
10位
20177
8
F.ローゼンクヴィスト
大嶋 和也
3位
12位
4位
20187
7
8
P.フィッティパルディ(Rd1)
T.ディルマン(Rd2-7)
大嶋 和也

14位
12位
7位
20197
7
8
A.マルケロフ(Rd1-5)
中山 雄一(Rd6)
大嶋 和也


14位
10位

日産勢として参戦したル・マン24時間

社名の由来となったル・マン24時間には、1987年から1990年の4年間出場しましたが、結果は全てリタイヤに終わっています。

特筆すべきはメーカーで、現在トヨタと深い関わりを持つチームルマンですが、当時は日産勢として参戦していました。

年度クラスNo.ドライバーマシン
エンジン
結果
1987C129A.オロフソン
A.フェルテ
P.ゴーニン
日産R86V
日産
リタイヤ
1988C185M.トロレ
鈴木 利男
D.オンガイス
マーチ88S
日産
リタイヤ
1988C186L.レオーニ
森本 晃生
A.オロフソン
マーチ88S
日産
リタイヤ
1989C132和田 孝夫
森本 晃生
A.オロフソン
マーチ88S
日産
リタイア
1990C185和田 孝夫
A.オロフソン
M.サラ
日産R89C
日産
リタイヤ

全日本GT選手権

伝説の2002年チャンピオンマシン 2019年1月東京オートサロン2019にて

全日本GT選手権時代のチームルマンといえば、思い出すのが上の写真ではないでしょうか。

チームルマンは、脇阪寿一選手と飯田章選手が駆る青と白のESSO Ultraflo SUPRAで、数々の伝説を創りました。

2002年のチャンピオン、そして今も語り継がれる2003年第3戦、スポーツランドSUGOで行われたレースでは、元F1ドライバーのエリック・コマス選手のWOOSONE TOM’S SUPRAを最終ラップの最終コーナーで強引にインから差し優勝。

そしてフォール直後にカウルが吹き飛んだ・・・。

その後数々のチームを渡り歩いた脇阪寿一氏ですが、彼にはチームルマンのスーパーGT監督が一番似合ってますね。

年度ドライバードライバー
年間順位
チーム
年間順位
1994影山 正美
R.ディーン
石川 朗
17位

19位
10位
1995影山 正美
1996影山 正美
立川 祐路
25位
25位
13位
1997立川 祐路
高橋 毅

1999野田 英樹
W.ガードナー
12位
12位
12位
2000野田 英樹
W.ガードナー
9位
9位
9位
2001脇阪 寿一
野田 英樹
7位
7位
7位
2002脇阪寿一
飯田 章
1位
1位
1位
2003脇阪 寿一
飯田 章
2位
2位
2位
2004脇阪 寿一
飯田 章
3位
3位
3位

タイヤは全シーズンBS
マシンは1994年がGT-Z 1994年途中から1997年が300ZX 1999年からスープラ

スーパーGT

タイ戦と連勝した2019年8月スーパーGT第5戦 富士スピードウェイにて

脇阪寿一選手とは、全日本GT選手権から5年間在籍したのち、2005年にチームを離れます。

その後エースとして加入した伊藤大輔選手も5年在籍し、2019年現在は大嶋和也選手がなんと9年間も在籍しております。

年度ドライバードライバー
年間順位
チーム
年間順位
2005脇阪 寿一
飯田 章
6位
6位
5位
2006飯田 章
片岡 龍也
B.ビルドハイム(Rd6)
12位
12位
11位
2007片岡 龍也
B.ビルドハイム
9位
9位
9位
2008伊藤 大輔(Rd1-4,9)
飯田 章(Rd5-8)
B.ビルドハイム
R.ストレイト(Rd6)
16位
17位
13位
23位
8位
2009伊藤 大輔
B.ビルドハイム
12位
12位
11位
2010伊藤 大輔
B.ビルドハイム
4位
4位
4位
2011伊藤 大輔
大嶋 和也
11位
11位
10位
2012伊藤 大輔
大嶋 和也
10位
10位
10位
2013大嶋 和也
国本 雄資
5位
5位
5位
2014大嶋 和也
国本 雄資
7位
7位
6位
2015大嶋 和也
国本 雄資
9位
9位
9位
2016大嶋 和也
A.カルダレッリ
2位
2位
2位
2017大嶋 和也
A.カルダレッリ
3位
3位
3位
2018大嶋 和也
F.ローゼンクヴィスト(Rd1,2,4-8)
J.ロシター(Rd3)
10位
10位
8位
7位
2019大嶋 和也
山下 健太
1位
1位
2位

タイヤは全シーズンBS
マシンは2005年 スープラ・2006年〜2013年 SC430・2014年〜2015年 RC F・2016年〜 LC500

トヨタ・日産・無限とタイアップ

現在はトヨタエンジンで参戦するチームルマン
2019年7月スーパーフォーミュラ第4戦 富士スピードウェイにて

現在はトヨタ(レクサス)系チームとして知られているチームルマンですが、これまでにトヨタをはじめ、日産、無限とも参戦していました。

記録が残る国内トップフォーミュラの1987年以降エンジンは、

  • 1987年     コスワース
  • 1988年〜2005年 無限(ワンメイク期間含む)
  • 2006年〜    トヨタ

ル・マン24時間では、

  • 1987年〜1990年 日産

全日本GT選手権〜スーパーGTでは、

  • 1999年〜    トヨタ

となっています。

スーパーGTトヨタ(レクサス)系では2番目に人気のチーム

2012年11月 JAF GPを戦うチームルマンのレクサスSC 富士スピードウェイにて

ツイッターでこんなアンケートをしてみました。

Q.スーパーGT GT500クラスにエントリーするレクサス系チームのうち、最も応援しているのはどこ?

答えは次のとおりとなりました。

1位 トムス         35%
2位 ルマン         24%
3位 セルモ         21%
4位 バンドウもしくはサード 20%

やはり伝統あるチームルマンだけあり、トヨタの準ワークスと言ってもいいトムスに次ぐ人気のチームなんですね。

2019年現在の参戦カテゴリー

2019年7月 スーパーフォーミュラ第4戦 富士スピードウェイにて
  • スーパーフォーミュラ(2019年まで)
  • スーパーGT(2019年まで)

過去の参戦カテゴリー

2002年のチャンピオンマシン 2019年1月東京オートサロン2019にて
  • ル・マン24時間
  • 全日本F2000選手権
  • 全日本F2選手権
  • 全日本F3000選手権
  • フォーミュラニッポン
  • 全日本GT選手権
  • 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権
  • 富士グランチャンピオンレース

最後に

2019年8月 スーパーGT SUGO公式テストにて

今回はチームルマンについて紹介してみましたが、いかがでしたでしょうか。

チームルマンの黎明期を支えた名ドライバー松本恵二氏は、2015年5月に亡くなりました。

その松本恵二氏はレーシングドライバー引退後、弟子の一人である脇阪寿一氏に自分が持っているレース哲学を教えることで、レーシングドライバーとしての生涯を彼に託していました。

その中には、きっとチームルマンで学んだことも多く託したと思われます。

その脇阪寿一氏は現在、スーパーGTでチームルマンの監督となり、松本恵二氏と自身のレース哲学、そしてチームルマンのスピリットをチームのドライバーに教えています。

そう、時代は変わってもチームルマンのスピリットは後世に語り継がれていくのです。

追記

しかし、2019年シーズンを最後に国内トップカテゴリーであるスーパーGTならびにスーパーフォーミュラを撤退し、今後のチームルマンの存続が気になります。

動向がわかり次第、追記していきたいと思います。

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。