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【其ノ十五】東海道五十三次を歩く(吉原宿→蒲原宿)

今回は旧東海道踏破の旅の続きです。

前回は現富士市の吉原宿に到着し、今回はこの日の午後に歩いた蒲原宿までの道のりになります。

吉原宿を出発するのが午後1時半。日暮れが早い真冬の旅ですが、日暮れ前までに蒲原宿に辿り着けるのか心配ですが、まあのんびり楽しみます。

では、吉原宿内の本町踏切から出発進行!

野口祖右衛門脇本陣跡

本町踏切を横断すると吉原商店街になり、写真の交差点を斜め左に向かいます。

引き続き商店街が軒を連ね、その一角に、

ノグチカメラの看板がありますが、こちらが野口祖右衛門脇本陣があった場所になります。

屋号から察するに、子孫の方が経営しているのでしょうか。

長谷川八郎兵衛下本陣跡

野口祖右衛門脇本陣跡のすぐ先に近藤薬局がありますが、こちらが長谷川八郎兵衛下本陣があった場所になります。

四ツ目屋杉山平左衛門脇本陣跡

長谷川八郎兵衛下本陣跡の筋向いにあったのが四ツ目屋杉山平左衛門脇本陣。

現在はおもちゃのキムラになっています。

銭屋矢部清兵衛脇本陣跡

その先にあった銭屋矢部清兵衛脇本陣は、現在、御菓子司南岳堂になっていました。

そして旧東海道はその先の交差点を左折し、

100mほど先のこの交差点を右折。

旧東海道は商店街から一転しました。

西木戸跡

しばらく歩くと緩い左カーブになりますが、ここにあったのが吉原宿の京口(西口)です。

跡地には標識があり、それによると、富士山修験の拠点興法寺に東海道から来る富士登拝者を導くため、吉原宿西木戸を登山口とする村山道の起点が設定されたそうです。

静岡県民として、一度は富士登山をしてみたいのですが、さすがにここから登り始めるのは厳しいかな。

旧東海道は吉原宿を後にすると志軒橋を渡り、国道139号線に合流します。

時刻は14時過ぎ。この日は原宿を出発してから何も食べていないため、腹ペコです。

吉原商店街で地元のものを食べたかったのですが、目ぼしい店がなく、ここまで歩いてきましたが、

ホルモン王国大ちゃんなる店があったので入店。

ホルモン二倍にご飯大盛りを、クラシックラガーで流し込み復活!

ほろ酔い気分で店を出て振り返ると、雄大な富士の山。富士市は富士山に向かって通されている道が多いと感じます。

そんなことを思って歩いていると、交差点を通り過ぎました。

本当は写真を手前に向かって歩き、ここを右折(写真では左)するのが旧東海道です。

そしてすぐの交差点を左折します。

曲がった道はこんな感じの住宅街になりました。

青嶋八幡神社

少し歩くと青嶋八幡神社参道の碑がありました。

こちらが青嶋八幡神社。

中吉原宿が大津波に襲われたにもかかわらず、検地に反対し、磔(はりつけ)になった名主を祀っている神社です。

道祖神

青嶋八幡神社の参道となりの道端に道祖神がありました。

神奈川県では頻繁にあった道祖神は、静岡県に入ってからめっきり見なくなりましたが、久々に遭遇して気分がほっこり。

江戸時代からどれだけの人の旅の安全を祈願してくれたのでしょう。

少し歩くと五差路に出ますが、旧東海道は斜め右の写真HODAKAの方向に進みます。

そして200mほど進み、

橋が見えてきたらその手前のこの交差点を右に曲がり、

次の交差点を左に曲がり、

江戸時代は三度橋と呼ばれた冨安橋を渡ります。

橋を渡り300mほど歩くと、塀の間に見えてきました。

袂の賽神像

愛嬌のある大きなお顔のこちらは、村の入り口を守る袂の賽神像という名の道祖神です。

様々なカタチの道祖神は、今もむかしも東海道を旅する人に、ほっこりとした安堵の気持ちを与えてくれます。

旧東海道間宿本市場碑

袂の賽神像からしばらく歩くと、富士市の公共施設の一角に旧東海道間宿本市場碑がありました。

この辺りは吉原宿と蒲原宿の間にあり、間宿本市場として茶屋などが立ち並んでいたそうです。

そんな本市場の名物は、白酒、葱(ねぎ)雑炊、肥後ずいきなどで、多くの旅人たちで賑わったそうです。

碑の傍には『右かんばら宿』の古い標識も。簡単に書かれているので、蒲原宿はすぐ近くに感じますが、実際には富士川を渡ったずっと先です。

鶴芝の碑

旧東海道間宿本市場碑のすぐ先にも碑がありました。

こちらは文政三年(1820年)に建てられたという鶴芝の碑です。

二百年以上前の碑で文字がよく見えませんが、どうやら画家芦州の絵と、儒者亀田鵬斎の詩文が刻まれているようです。

鶴の茶屋から雪の富士を眺めると、中腹に一羽の鶴が待っている雪景が名勝だったそうです。

鶴芝の碑の先で突き当たり!?

江戸日本橋から150km近く歩いてきましたが、ここで終了??

いや、大通りで分断されていますが、中央分離帯に旧東海道跡地の標識がある通り、この先に旧東海道は続いていますので、左右どちらかの横断歩道を使い向こう側に渡ります。

大通りを渡ると今度は変則の交差点があるので、写真中央の黄色いお宅の左側、

この一方通行を入るのが旧東海道です。

すると道は左右に曲がっていて、いかにも旧東海道という雰囲気になります。

本市場の一里塚跡

そして左手に花壇が見えてきましたが、ここにあったのが本市場の一里塚跡です。

塚は現存していませんでしたが、旧東海道一里塚と刻まれた歴史を感じる石碑が建っていました。

江戸日本橋から三十五里(約140km)。

時刻は15時半ですが、冬の太陽はすでに低くなり、本市場の一里塚跡の先にあった富士第一小学校の校舎が西陽に照らされていい感じに撮れました。

蒲原宿まではまだ長い。今回も日没後の到着になりそうです。

道祖神

小学校の先の四角に道祖神がありました。箱根宿を過ぎてから、三島市、沼津市と道祖神は撤去されていましたが、ここ富士市ではまだ残っていますが・・・

交差点にあるため車に突っ込まれたのか土台に修復の跡があり、針金で縛られていてかわいそう。

本来、道行く方の安全を祈願する道祖神ですが、この場所じゃ交通の障害になりそう。

まあ、建てられた江戸時代はそんなことはなかったはず。ここに交差点を造った行政が悪い!?

栄立寺

道祖神のすぐ先にあるのが栄立寺。

開山の日賢上人はここを拠点にして日蓮宗の普及に努めたそうです。

金正寺

栄立寺の道を挟んで向かいにあるのが金正寺。こちらのお寺は駿河の大地主松永家の菩提寺だそうです。

その松永家が金正寺のとなりにあり、ガイドブックによると現在はフジホワイトホテルになっているとありますが、現在は更地になっていて、富士山が綺麗に西陽を浴びている姿を望むことができました。

札の辻跡

その先にあったのが、大正五年建立の札の辻碑。

となりには猿田彦大神塔が祀られていました。

稲荷神社

少し歩くと可愛らしい稲荷神社が見えてきました。

覆屋内に本殿が祀られていて、境内には男女双体道祖神がありました。

秋葉常夜燈

稲荷神社のすぐ先には、寛政六年(1794年)建立の秋葉常夜燈があります。

歴史を感じる常夜燈があると、歴史ある街道を歩いているんだと思い起こさせてくれますね。

常夜燈から200m歩いた先のこの交差点を左に進み、県道に合流します。

曲がった先の県道は、以前国道1号線だったと記憶しています。

そして身延線のガードをくぐり、

ここを斜め右に入ります。

道標と慶応元年(1865年)建立の秋葉常夜燈が目印。

ただ道標には右ではなく左東海道と刻まれています。江戸時代は線形が違っていたのでしょうか。

そして次の交差点を左に行き、

次のY字路を右に進みます。

ちょっと複雑ですね。

道は左に弧を描き、先ほど歩いた県道が見えますので、ここを右に曲がり合流します。

まあ、県道を真っ直ぐ歩いてくればいいのですが、少しでも旧東海道を再現して歩くのが小さな私のこだわりです。

少し歩くと富士川に架かるトラス橋が見えてきました。

水神社

富士川の袂にあるのが水神社です。

境内には富士川渡船場跡碑や、宝暦八年(1758年)建立の富士山道道標などがあるそうですが、時刻は16時半になり、太陽が山に沈んでしまったので先を急ぎます。

富士川から夕暮れの富士を望む

そして私の旧東海道の旅はついに富士川を渡り、生まれ育った静岡市にさらに近づきます。

東京からここまで歩いて来たのが信じられません。

すでに太陽は西の空に沈みましたが、日本一の高さを誇る富士の山は、まだ太陽の光を浴びています。

本日は風もなく、富士川の水面には、逆さ富士がくっきりと写し出されていました。

富士川を渡ったら横断歩道を渡り、旧東海道はここを右へ。斜め左に行けば一本道で蒲原宿に着くのに・・・。

そして一本目の細い道を左に進み、

道なりに左に曲がり坂道を登ります。

振り返ると富士山が赤く染まっていました。

そして右に曲がってさらに登り、

突き当たりを左へ。

秋葉山常夜燈

すると道端に秋葉山常夜燈が見えて来ました。

こちらは嘉永六年(1853年)建立。ここから蒲原宿まで常夜燈が続きます。

そして枡形を抜けると、

立派な屋敷が見えて来ました。

小休本陣常磐家

こちらは富士川の渡船名主を務めた小休本陣常磐家。参勤大名や公家は、ここで乗船の支度をしたそうです。

現存する建物は江戸末期の建築で、国の登録有形文化財に指定されていています。

土日祝日に無料公開されているそうですが、すでに17時で門が閉められていたため、残念ながら観覧することは出来ませんでした。

続く秋葉山常夜燈

小休本陣常磐家の敷地内に秋葉山常夜燈があります。

その先を緩やかに左に進むのですが、

この交差点にもあり、

その先にも、享和三年(1803年)建立の秋葉山常夜燈がありました。

秋葉山常夜燈は、江戸時代から伝わる防火の神様の秋葉山への信仰に基づき、街道沿いや村の入り口に建てられた石灯籠。

静岡県西部から全国に広がったそうですが、ここ静岡県中部に位置する岩渕周辺には、特に多く見られました。

岩渕の一里塚

そして旧東海道は右に直角に曲がるのですが、ここが岩渕の一里塚。

かなり日が暮れて見えにくいのですが、東西両方の塚を残しています。

こちら東側の塚の榎は虫害で昭和四十二年に枯死したため、昭和四十五年に植えた二代目ですが、

こちら西側の塚の榎は江戸時代からのもの。

二十年ほど前の写真を見ると、高く伸びていたようですが、現在は切り落とされかなり疲れているように見えます。

なんとか生き長らえてもらいたいものです。

江戸日本橋から三十七里(約148km)。ちなみに三十六里の一里塚がありませんでしたが、築造の記録が無いようです。

岩渕の一里塚で直角に曲がり、その先を道なりに左へ(写真を撮り忘れました)。

左手に文政三年(1819年)建立の常夜燈を見ながら歩き、

その先の角を右に曲がり、

緩やかに左に弧を描きます。

防火倉庫の前に秋葉山常夜燈。

防火の神様である秋葉山信仰で建てられた秋葉山常夜燈なので、理に適った場所ですね。

そして、旧東海道は右に曲がりながら東名高速道路のガードをくぐります。

この辺りの地理を知る私としては、もっと南に通せば平坦なのに、と思うのですが・・・。

実相院寺標

東名高速のガードをくぐった先の突き当たりにあったのが実相院寺標。

歴史を感じさせる石碑には、野田山不動明王、弘法大師、聖徳太子と刻まれていましたが、これが何を意味するのか私にはわかりませんでした。

突き当たりの実相院寺標を左に曲がり、東名高速の側道を歩きます。

そして道なりに右に折れて、

その先のY字路を左方向に進みます。

ここですっかり日が暮れて辺りは真っ暗。

暗がりの中、ライカM11でじっくり撮影すると良い写真になるのですが、一日中歩き疲れ果てた状況で、手ぶれ補正を搭載しないライカM11での撮影はもう限界です。

ということで、ここからはiPhoneのカメラ機能に変更。

手軽に撮影するには、150万円以上のカメラがよりもスマホが最適です。

そしてこのY字路を左に進み、

少し歩いた先のこのY字路も斜め左方向へ。

ちなみにガイドブックでは右とありますが、行き止まりの看板があり、Googleマップでも左が旧東海道と書いてあります(その先ですぐに合流します)。

すぐに東海道新幹線のガードをくぐり、

その先から坂を登ります。

三十年以上前、当時は庵原郡富士川町だったこの地で二年間みっちり営業活動をしていましたが、ほぼ海沿い。この辺りまで営業に来ることは無かったなあ。

そしてしばらく歩くと車の音が聞こえ、ふたたび東名高速の側道になりました。

生まれ育った静岡市に

旧東海道はここを左折して東名高速を跨ぐのですが、

この角に静岡市の看板。

江戸日本橋から歩き続け、ついに生まれ育った静岡市に戻ってきました!

いや、一日歩き通した後は、いつも静岡市の自宅に戻っているのですが、それでも感慨深いです。

ただ、全国で有数の広大な面積を誇る静岡市で、我が家は府中宿の先なのでまだまだ先。それまで感動はお預けです。

東名高速を渡ると左手に富士山を確認できましたが、少しずつ遠ざかっていくのが名残惜しいです。

渡った先を斜め左に進み、

旧東海道はここから駿河湾方向に南下し、下り道になります。

光蓮寺

下り坂の途中にあったのが光蓮寺。

敷地内に浄瑠璃姫の位牌があるです。

そして坂を下り切ったらこの角を右に進みます。

蒲原の一里塚跡

すると、すぐの民家の軒先に一里塚の石碑があります。

この場所は蒲原の一里塚があった場所。

蒲原の一里塚は元禄十二年(1699年)の大津波で流失してしまい、それに伴う蒲原宿の移転によりここに移されたそうですが、今はこの石碑のみでした。

東木戸跡

旧東海道はここで緩やかな枡形になっていますが、

ここにあったのが江戸(東)口で、ここから蒲原宿でした。

東木戸には宿内安全と刻まれた常夜燈が文政十三年(1831年)に設置され、今もその姿を残しています。

東木戸跡の先の諏訪橋を渡ります。

私がこの辺りで営業活動をしていた三十年前にもすでにあった、印象的などデカい四本のパイプは、年月とともに錆が出て、夜見るとちょっと怖さがありました。

歩みの記録

そして蒲原宿の中心の、この旧型ポストの前で本日は終了とします。

では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリで、歩みの記録を見てみましょう。

まずは地図から。

吉原宿を出てから、西方向に向かい、富士川を渡った後から山肌に沿って南下して駿河湾の近くまで下りて来ました。

地図に書かれた県道396号(旧国道1号線)を歩いてくれば、ほぼ平坦な道なのですが、なぜ旧東海道は山肌を通したのでしょうか。

おそらくですが、頻繁に起こった東海地震への対策でしょう。

続いて旅の詳細です。

13時半に吉原宿を出発して蒲原宿に着いたのが18時過ぎ。途中30分ほど昼食を摂ったので、歩いた時間は4時間と少しでした。

吉原宿と蒲原宿の間は二里半十二町二十三間で、現在の道での実測が12kmですが、途中空腹に耐えかねて彷徨った影響からか、総距離は13.15kmとかなり多く歩きました。

上昇した高度は130mといつもより少し多かったのですが、実感はあまりありませんでした。

ということで今回は以上。次回は新しいライカレンズを購入したので、そのレンズの初陣として蒲原宿から由比宿までを歩きます。興味のある方はぜひお付き合いください。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。