今回は旧東海道踏破の旅の続き。前回到着した蒲原宿を出発して、由比宿までを歩きます。
由比宿までは一里ほどで、注目すべき場所が少ない区間(実際には非常に見応えがあった)だと思い、対策として新兵器を実装しました。
私の旧東海道踏破の旅は、これまでほぼライカM11にズミクロンM35mmを装着して撮影してきましたが、前回の後半に日没して辺りが真っ暗になり、急遽iPhoneの標準レンズ(35mm換算で24mm)を使用したところ、ちょうど良い画角でした。
ただ、M型ライカの性質上ラインナップに24mmはほぼ無い。ということで、M型ライカを快適に使えるもっとも広角域の28mmレンズを購入しました。
選んだのは復刻ズマロンM28mm。
ライカ好きならばご存じの1950年代の名玉赤ズマロンを復刻したレンズで、レンズ構成はオリジナルと同じなので、いにしえの旧東海道の名所が、フィルム時代のような懐かしい雰囲気の写真に仕上がるはず。
まあ、カメラやレンズに興味のない方にとってはどうでも良い話かもしれませんが、今回はちょっと写真にも注目してみてください。

では、前回の終着点、蒲原宿の旧型ポスト前から出発です。
海鼠(なまこ)壁と塗り家造りの家

前回は真っ暗でわかりませんでしたが、雰囲気の良い街道です。そしてすぐに、最初の目的地が見えてきました。

時代劇に出てきそうな海鼠(なまこ)壁と塗り家造りの家、旧商家の佐野屋の建物です。
このような建物は日本の伝統的な建築様式で、特に江戸時代から昭和初期にかけて、蔵や商家で多く用いられたそうです。
そんな伝統あるこの建物は、現在も住宅として使われているそうです(佐野さんとは別の方)。
商家の面影残す塗り家造り

旧佐野屋の筋向いにも、同じく塗り家造りの家があります。
こちらは昭和まで続いた僊菓堂という屋号で和菓子を作る商家でした。
中は柱が無く広々とした店の間造りになっていて、商家らしい雰囲気が残っているとのこと。中の間には螺旋状の階段があって、二階に通じているそうです。
旅籠和泉屋

すぐ先にも歴史ある木造建築がありました。
こちらは和泉屋という上旅籠。
なんと天保年間(1830年から1844年)の建物で、安政の大地震でも倒壊を免れました。
二階に見える櫛型の手すりや看板掛け、柱から突き出た腕木などが江戸時代の上旅籠の面影。この後、蒲原宿から由比宿の道中にも、多く突き出た腕木を見ることが出来ました。
弘化二年(1845年)の蒲原宿商売調帳によると、和泉屋は間口間数六・一とあり、現在は鈴木家四・一間、お休み処二間に仕切られています。
蒲原宿本陣跡

上旅籠和泉屋の向かいにあったのが蒲原宿本陣。
平岡家が務めたこの蒲原宿本陣は西本陣(平岡本陣)と呼ばれ、ここより100mほど東に東本陣(多芸本陣)もあったそうです。
歴史を感じる黒塗りの塀の中には、大名が乗ってきた駕籠を一時的に置いたとされる歴史的な石、御駕籠石が残っています。
手づくりガラスと総欅の家

意外にも出だしから見どころが多かった蒲原宿ですが、西本陣から少し歩くと、またも趣のある建物がありました。手づくりガラスと総欅の家です。
明治四十二年に建築されたこの建物は、柱や梁から一枚板の戸袋に至るすべてが欅造り。
また二階に見える窓ガラスの面が波打ち、とっても美しかったですが、こちらは手づくりのガラスだそうです。
日本に於ける板ガラスの生産開始が明治四十年らしく、明治四十二年建築のこの建物は、当時の最先端建築用材を使用しています。

蒲原宿は紹介看板がない建物も歴史深い佇まいで良い感じ。
そういえば東海道中膝栗毛の有名なエピソード、喜多さんが若い娘を気に入り階段を上り夜這いに行ったが、そこは娘ではなくお婆さんの部屋。喜多さんは驚き、床が抜けて一階にドッスン。これは弥次喜多さんが蒲原宿の木賃宿に泊まった時の話ですが、この辺りかなあ(フィクション)。

そして高札場跡の看板の先(写真左)に、薄緑のあの有名な建物が見えてきました。
旧五十嵐歯科医院

こちらが国登録有形文化財の旧五十嵐歯科医院です。
大正三年に五十嵐準氏が自宅を洋風に改築し、歯科医院を開業。その後三回にわたる増改築を経て、昭和十五年ごろにこの形になりました。
外観は洋風のモダンな雰囲気ですが、実は内部は和風になっているそうです。

和風建築が多く残る蒲原宿の中に、大正浪漫特有の西洋文化と日本の伝統美が融合したモダン建築が一軒あり、とっても目立っていました。
いやー、大正時代の建物は面白い!
志田邸

旧五十嵐歯科医院の向かいにある志田邸も国登録有形文化財です。
安政の大地震で一部倒壊し、再建された商家は、間口が狭く奥まで土間が通じる江戸時代の典型的な町家建築。

こちらは歴史館になっているそうなので、入り口から室内を写させていただきました。

木製の面格子も綺麗に作り込まれています。


その他にも歴史深い趣のある建物が多くある蒲原宿は、とっても見応えがありました。

そして正面に長榮寺寺標がある交差点を左に進み、

次の丁字路を右に曲がります。
西木戸跡

その丁字路の左手に、蒲原宿の京(西)口の西木戸がありました。
この西木戸の近くに青木の茶屋(茄子屋)があり、ここは茄子屋の辻と呼ばれたそうです。

曲がった先は旧国道1号線の県道で、古い民家が軒を連ねます。
一乗院

そしてしばらく歩くと、一乗院の看板が見えてきました。

北向不動尊を祀っている朱色が鮮やかな一乗院は、参拝客がお参りをしていました。

本日令和8年2月8日は、高市人気で自民党が歴史的大勝をした衆議院選挙の当日。寒い日でしたが、午前中から多くの有権者が投票所に向かう姿が見られました。
もちろん当サイトに政治的意図はまったくありませんが、各地元でしか見られないオリジナル選挙ポスターや顔ぶれを見るのも、旅のささやかな楽しみです。

JR蒲原駅を左手に見て、

東名高速道路の高架橋をくぐります。
久保田利伸さんの実家の八百屋

30年ほど前、私はこの辺りで二年間営業活動をしていて、お客さんからこの八百屋が久保田利伸さんの実家だと教えてもらいました。
このピンクの建物がその八百屋。残念ながらすでに閉店したとのことです。
久保田利伸さんは幼少期から店を手伝い、バナナの叩き売りや野菜の値札書きなどをして、近所でも評判の少年だったそうです。
ここであのソウルフルな楽曲の一部が生み出されたのですね。

旧東海道は、久保田利伸さんの実家の先のY字路を、左に進みます。
神沢川酒造場

Y字路の先、神沢川の袂に見えるのが、創建大正元年の神沢川酒造場。
銘酒『正雪』が有名な蔵元ですが、ここを過ぎた辺りから、静岡では滅多に降らない雪がチラホラと落ちてきました。
そういえば東海道五十三次の蒲原宿の浮き絵は一面銀世界。ほぼ雪が降らない静岡人としてはいくらなんでもおかしいと思ったものです。寒かった江戸時代なので、降り積もることもあったでしょうが。
それが数年ぶりの降雪。驚くほどの偶然です。
まあ、まだ風花程度ですが、この後十数年ぶりの本格的な雪になるのでした。
由比の一里塚跡

神沢川酒造場の先のこの辺りにあったのが由比の一里塚です。

その場所には石碑がありました。
由比の一里塚は松が植えられていましたが、寛文年間(1661年から1673年)に山側の松が枯れたので、良用軒清心という僧がここに十王堂を建立し、延命寺境外堂としました。
その後廃仏毀釈で廃寺となり、祀られていた閻魔像は延命寺本堂に移されたそうです。

また由比の一里塚には地蔵尊と如来像が安置されていました。
東枡形跡

由比の一里塚を過ぎると由比宿の江戸(東)口になり、これまでの多くの宿場入り口にも見られた枡形(サーキットのシケインのような線形)の痕跡が残されています。
宿場入り口の枡形は、万一の攻撃などに対する治安維持と、宿場の入り口の道標が主な役割です。
御七里役場跡

こちらは紀州徳川家の御七里飛脚の役場跡です。
紀州徳川家は、江戸と和歌山の584kmに七里(約28km)毎の宿場に中継ぎ役場を置き、五人一組の飛脚を配備しました。
普通便は毎月三回、江戸は五の日、和歌山は十の日に出発し、中八日。特急便は四日足らずで到着したそうです。

御七里役場跡のとなりにはご覧の壁板の美しい家(工場?)があり、御七里役場跡以上の存在感を放っていました。
正雪紺屋

その先にあったのが、江戸時代初期創業の染物屋、正雪紺屋。
江戸幕府転覆を図った慶安事件で知られる由比正雪の生家ということで、正雪紺屋という屋号がつけられたそうです。
由比本陣跡

正雪紺屋の向かいには、今川義元の家臣だった由比家の子孫が代々務めたという由比本陣がありました。
明治天皇が三回も小休されたという本陣は、現在由比本陣公園として整備されていて、

園内には東海道広重美術館や、

東海道由比宿交流館、


広大な芝生の広場などがあり、本陣が非常に広大だったことがわかります。

こちらは江戸時代に本陣で使われていた井戸。深さは三間(約5.5m)で、周りの井筒は切り石が積み上げられていました。
江戸日本橋から今までに多くの本陣を見てきましたが、ここ由比宿本陣が一番整備されていて、非常に見応えがありました。
歩みの記録
由比宿本陣跡で今回の旅は終了。蒲原宿から由比宿の間は短く、見どころはあまり無いと思っていましたが、意外にも歴史深い多くの建造物が残されていて結構見応えがありました。
今回冒頭で書いた通り、そんな歴史ある建屋を撮影したのが、初投入の復刻ズマロン28mm。
個人的には、画角もスナップにちょうど良く、いにしえの建物を味わい深く表現出来たと思うのですが・・・写真、どうでした??
では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリで、歩みの記録を見ていきましょう。

まずは地図。
蒲原宿を出発して西南西に進み、次第に南西方向に足を進めました。
実は今回、フィットネスアプリの起動を忘れてしまい、歩いた軌跡は後から書き入れました(赤い部分)。

続いては旅の詳細です。
ワークアウトが約1時間で距離が3.2kmとなっていますが、アプリの起動を忘れたので、実際には4.5kmほどの距離を約1時間30分かけて歩きました。
ということで、午前中の部はここ由比本陣で終了。午後の部は雪が舞い散る静岡でも珍しい天候の中、東海道有数の難所と謳われた薩埵峠を登り、興津宿を目指しますので、興味のある方はどうぞお付き合いください。










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