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【其ノ二十一】東海道五十三次を歩く(丸子宿→岡部宿)

今回も旧東海道踏破の旅の続き。

2025年の秋に江戸日本橋を出発した今回の旅は、ついに私の自宅が近くにある府中の一里塚を通り過ぎ、いよいよ自宅より西の方向に歩み始め、丸子宿に到着した。

ということで、今回は丸子宿から宇津ノ谷峠を経由して、岡部宿までを歩く。

では、ライカM11をぶら下げて、今回ものんびり楽しもう!

丸子宿上方見附と高札場跡

丁子屋の前を左折して橋を渡ると、

渡った先の袂に立て看板。小さな高札場が再現されてた(実際には丸子川の対岸にあった)。

東海道で一番小さな丸子宿だが、掲げられていた高札は2.5mと全国的にも珍しい大きさだったそう。

また、この場所は丸子宿上方見附があった。

丸子宿を出たら、丸子川に沿って歩く。

観音堂

しばらく歩くと右手に観音堂。

境内には二基の庚申塔があり、花が手向けられていた。

右の庚申塔は相当古そう。江戸時代からのものだろうか。

観音堂の先で国道1号線へ右に曲がっているが、ここを直進して、

ガードレールの切れ目から国道1号線の歩道に移動する。

その先で横の道に移り、

突き当たりを左に曲がり、

すぐにクランク状に右に進むのが旧東海道(ベージュのジムニーが止まっている方向)。

うーん、分かりづらい・・・。

道は少しずつ登り始めたが、まだ序の口。今から向こうに見える宇津ノ谷峠を登るのだ。

古びた建物に『日本の紅茶発祥の地 丸子紅茶』の看板。へっ??

紅茶の看板から少し歩くと、次の目的地が見えてきた。

長源寺

このお寺は寛保元年(1741年)創建の長源寺。

境内に紅茶を日本に伝えた多田元吉の墓があるそう・・・、あっ!先の看板は、多田さん家なのね。

静岡といえば緑茶生産量日本二位を誇る県だが、紅茶にもゆかりがあるとは知らなかった。

境内には天保十五年(1844年)建立の庚申塔もあり、なかなか見応えがある。

起樹天満宮

長源寺を奥に進むと起樹天満宮がある。

こちらの境内には多田元吉の碑があるが、残念ながら茂った草木に覆われて見えぬ・・・。

となりの説明看板によると、丸子に茶園を開いた多田元吉は、明治九年政府からインドに派遣され、紅茶製造技術を持ち帰り全国に広めたそう。

なるほど、そういうことなのね。

旧東海道に復帰したら、その先を左折し、

国道1号線の側道を進む。

私は通勤で朝夕となりの国1を使っているが、正面山肌に見える仮設の道路がいつも気になって仕方がない。

次第に伸びて行き、今度は奥に折れ曲がり、時には大型ダンプが坂を登り・・・一体何をやっているのか?

今日もそんなことを考えていたら、旧東海道は国道1号線と合流したので、歩道橋を渡り反対側へ。

歩道橋を降りたら右に曲がり、その先(写真右端)を今度は左に進む。

しばらくするとまた国道1号線に出るので、今度は合流。

そして次の信号機を斜め右に入り、

またすぐに国道1号線と合流する。実に忙しない・・・。

国1を真っ直ぐ進めばいいのに、なぜ脇道ばかりを歩かせるのか。

実は、私が子供の頃この辺りの国1は酷い渋滞ポイントだった。

そこで渋滞解消のために川の流れを変えるなどの大規模ルート変更をしたので、旧東海道に準じた道は国1を出たり入ったりのルートになってしまったのだ。

宇津ノ谷の一里塚

ここでちょっと寄り道して歩道橋へ。

歩道橋の上から見える、世界の願い交通安全碑(十割そば看板)の辺りに、宇津ノ谷の一里塚があったようだ(正確な位置は不明)。

一里塚好きとしては一応カメラに納めておく。

江戸日本橋から四十七里(約188km)。

明治・大正・昭和・平成のトンネル

こちらは宇津ノ谷トンネル。

写真右は平成七年に開通した五代目の平成トンネルで、左は昭和三十四年に開通した四代目の昭和トンネルだ。

またこちらは、この後、道に間違えて行った、昭和五年開通の三代目の大正トンネル(着工が大正十五年)。

そして、煉瓦造りの明治三十七年開通の二代目明治トンネル(同じ場所に初代明治トンネルもあったが消失)があり、宇津ノ谷峠は時代とともに大きくルートが変更された。

  • 初代:明治トンネル(明治七年着工/明治九年開通)
  • 二代目:明治トンネル(着工不明/明治三十七年開通)
  • 三代目:大正トンネル(大正十五年着工/昭和五年開通)
  • 四代目:昭和トンネル(昭和三十二年着工/昭和三十四年開通)
  • 五代目:平成トンネル(平成二年着工/平成十年開通)

令和の時代にもトンネルを。いや、もう、十分に交通の便は楽チンになったので、令和の時代に穴を掘ることはなさそう。

平成トンネルには歩道があり、ここを通れば岡部まで簡単に抜けられるが、旧東海道を行く私は、トンネル前を右折して、明治以前の道へ。

曲がるとすぐに風情のある家屋が立ち並ぶ。

このY字路を左へ。

すると、旧東海道らしい街並みが続く。

こちら手前の家には『車屋』の木の看板。その先の軒先にも同じように屋号を掲げている。

すぐ近くを通る国1は車がビュンビュン行き交うのに、一歩入ったらまったく違う落ち着いた雰囲気にちょっと驚いた。

御羽織屋

そして、こちらの軒先には御羽織屋。宇津ノ谷で一番有名な屋号だ。

戦国時代真っ只中の天正十八年(1590年)、小田原攻めに出陣した豊臣秀吉が当家に立ち寄り、馬の沓を貰いたいと言うと、店主は三足しか渡さなかった。

秀吉がなぜ四足よこさないのかと聞くと、「四は縁起が悪いので、一足はここに置き、勝利を祈願する」と答えた。

秀吉は気を良くして、勝利をした帰路に立ち寄り、羽織をプレゼントしたそうだ。

その羽織は今もなお、額に入れて大切に保管されていて、地元のテレビなどでよく取り上げられている。

御羽織屋の先の階段を登り、

登り切った先を左折して、すぐに右に旋回。

坂を登り、この丁字路を右へ。

ちなみに明治のトンネルは左方向に進む。

宇津ノ谷の峠越え

そして、ここから土道に変わり、難所、宇津ノ谷の峠越えが始まる。

土道になるとすぐに馬頭観音が二体祀られていた。

右手から正面にかけて竹藪、足元は土の道。人工物が何もない感じが良い。江戸時代の旅人も同じ景色を見て歩いていたのだろう。

江戸時代より前の宇津ノ谷の峠越えは、蔦の細道と呼ばれるここよりも南側の道を、約七百年間使っていた。

その後、天保十八年(1590年)に豊臣秀吉が小田原征伐の際にこの道を開通。江戸幕府が五街道の一つとして再整備され、以降、明治トンネルが開通するまでの間、この道が使われることになったそうだ。

その先にベンチがあったのでちょっと一服。

腰掛けると目の前に先ほど歩いた宇津ノ谷の街並みを見ることができた。

宇津ノ谷は、丸子宿と岡部宿の間に位置する間宿で、峠越えを目前にして名物の十団子で休息をとっていたそうだ。

右に雁山の墓を見ながら階段を登る。

写真では明るく見えるが、薄曇りでもこの辺りはかなり暗い。

階段を登った先にかつては地蔵堂があったそうだが、現在は慶龍寺に移設され、石垣のみが残っていた。

宇津ノ谷峠の最頂部に到達。

そして、蒲原宿の手前から長く続いた静岡市を抜け、ようやく藤枝市に入った。

ここから一気に駆け下りて、

舗装路に合流(写真前方へ)。

途中に少し急な登りや階段があったものの、箱根峠や薩埵峠など、これまで登ってきた峠と比べると宇津ノ谷峠は歩きやすく、丁度いいハイキングコースだった。

ここでライカM11の充電量は10%を下回り危険信号に。ということで、主要部分を除き、iPhoneでの撮影に切り替える。

色味の違いがわかる方、いるかなあ。。。

この付近はこの下を通る宇津ノ谷トンネルの排気口へ繋がる管理道ということで、少しの間舗装路に。

この分岐を左に進み、

ふたたび土道へ。

髭題目碑

すると、左の上にいかにも歴史がありそうな石碑が見えた。髭題目碑だ。

この碑は、旅人の安全と、世の平和や豊作を願って建立されたそうで、題目の筆端が髭のようにはねて書く書体になっていることから、髭題目と呼ばれているらしい。

このような髭題目は日蓮宗の信仰が盛んな静岡県東部ではごく普通に見られるが、中部のこの辺りでは非常に珍しいそうだ。

そしてここを下って舗装路に合流し、そのまま前方に進むのが旧東海道。

坂下地蔵堂

その先に階段があり、

お地蔵さんが並んでいた。ここは坂下地蔵堂。

お地蔵さんのとなりにはつり鐘があり、むかしながらの良い雰囲気の地蔵堂だった。

この鐘、今も鳴らされているのだろうか。

蔦の細道標石

その先には蔦の細道の入り口を示す標石がある(写真向かって右が蔦の細道)。

前述の通り、蔦の細道は天保十八年(1590年)までの約七百年間使われた歴史ある道。

東海道が整備されて以降は忘れ去られた廃道になっていたが、有志により昭和四十年代に復元されたそう。

蔦の細道標石の先で国道1号線と合流する。

そして巡沢口の歩道橋を渡り、

歩道橋を下りたら写真右の道に入る。

そして突き当たりを左方向へ。

江戸時代から残る一本の松の木は、枯れてしまっていた。

松の寿命を調べてみると長くても四百年らしく、江戸時代初期に植えられた松はもう寿命に達しているため、往時の名残りが消えて行くのが悲しい限りだ。

民家の庭先にご覧のジオラマがあり、ちょっとほっこり。

ん?見返したらジオラマじゃなくサボテンがメインのようだ。

そして川が現れ、冬なのに川で元気に遊ぶ子供たちを見ていると、

デカい鳥が飛来してびっくり。

その先で旧国道1号線の県道に合流する。

旧東海道は歩きやすい道になった。

十石坂観音堂

県道の右手の階段を登る(手前の階段は倒木で登れず、向こう側から)と、

徳川家より十石の寺田を拝領したという、十石坂観音堂がある。

堂内には二基の厨子が安置されているそうだ。

また境内には多数の石仏や石塔があり、なかなかに見応えがあった。

さあ、この日の旅もあと僅か。あの道の先が岡部宿の中心地になる。

枡形跡

十石坂観音堂のとなりに枡形跡の標石があった。

曲尺手とも呼ばれる枡形は、本陣めがけて敵が侵入しずらいように、宿場の出入り口に設けたクランク状の線形のこと。

また、ここには木戸と番小屋があり、木戸番が明け六つと暮れ六つに木戸を開け閉めを行っていた。

ここからが岡部宿。

岡部宿は小さな宿場だが、西の大井川や東の安倍川が川止めになると大変に賑わったという。

また、東へ向かう旅人は、宇津ノ谷峠を控えているために、ここで英気を養ったそうだ。

旧東海道はその先のこのY字路を右に入り、

すぐを右に曲がり橋を渡り、

また県道に復帰(右へ)する。

大旅籠柏屋

こちらは天保七年(1836年)に建てられた大旅籠柏屋。山内家は宿役人の他、問屋や年寄を務め、質屋も兼業していたそう。

柏屋の建物は国の登録有形文化財であり、現在は当時の様子を伝える歴史資料館として公開されている。

中を覗いてみると、こちらを向いているのは東海道中膝栗毛の弥次さん!?ということは、手前が喜多さんだ!

喜多さん、この寒いのに、氷で足を冷やしてるじゃん。

いやー、ここまで旧東海道を歩いてきましたが、江戸時代の旅籠がここまでしっかり保存され、しかも観光用にリニューアルされている建物は初めてで、とても見応えがあった。

岡部宿本陣

柏屋に隣接するのが内野家が務めた岡部宿本陣。

こちらは旅籠には許されなかった門があり、それを復元されていた。

門を抜けると広大な敷地があり、本陣がいかに大きかったのかが伺い知ることができる。

また建物の区画がわかるようになっているので、将来はぜひ本陣の建物を再建してもらいたい。

歩みの記録

ということで、本日の旅は本陣前の岡部北交差点で終了。

では、いつものように、iPhoneのフィットネスアプリで、旅の記録を見ていく。

まずは道中の地図を見てみるが・・・今回はほぼ山岳地帯を歩いたので、大した情報はない・・・。

続いては旅の詳細。

丸子宿から岡部宿はちょうど二里で、現在の道でもちょうど8kmの距離だが、私は今回9.8kmを歩き約3時間半かかった。

本文中でも書いた通り、宇津ノ谷峠は今まで歩いた箱根峠や薩埵峠に比べると緩やかで、上昇した高度は270mと大したことはなかった。程よいハイキングコースといったところかな。

今回は以上。次回は岡部宿から藤枝宿までを歩くので、興味のある方はまたご覧ください。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。