旧東海道踏破の旅の22回目は、岡部宿から藤枝宿を目指す旅。

静岡市の自宅からバスに乗り、約30分かけて前回のゴール地点である岡部宿本陣前の岡部北交差点に到着する。車窓からは満開の桜が見えたので、道中でもきっと多くの桜を堪能できるだろう。
昨日の雨は夜半には上がり、路面は濡れているものの太陽が顔を出し、気温も20度前後と絶好のウォーキング日和。
今日もライカM11を首からぶら下げて、藤枝宿へ、いざ出発!
問屋場跡


出発してすぐの民家の前に標石を発見。こちらは問屋場があった場所になる。
岡部宿にはこの岡部本町の問屋場の他に、もう一箇所、加宿内谷の問屋場があったという。
加宿問屋場は、小さな宿場や交通量の多い宿場で、隣接する村々が補佐として業務を分担する問屋場だと、由比宿の時に習った記憶がある。
初亀醸造

その先にあるのが銘酒初亀の蔵元、初亀醸造。
この辺りの前を通ると、この特異な建物がいつも気になる。

空冷エンジンのフィンのように表面積を増やして、冷却効果を狙っているのだろうか。
いや、オートバイと違って走行風が当たらないので冷却効果が目的ではない? うーん、わからぬ。ご存じの方、ぜひコメントを。
ちなみに私はウィスキー党。

その初亀醸造の先を斜め左に入るのが旧東海道になる。

すると旧東海道の面影を残す、良き雰囲気の街道に。
姿見の橋

すぐに1mほどの小さな橋がある。

その小さな欄干に姿見の橋と刻まれており、傍に標石があった。
小野小町が晩年、旅の途中でこの橋から水面に自身の姿を映し、老いの身を嘆き悲しんだという。
歴史的ビッグネームの登場にちょっとびっくり・・・ホント??
高札場跡

姿見の橋を渡ると右手にまた標石があるが、ここにはかつて高札場があったそうだ。

標石にはありし日の高札場の写真が紹介されているが、かなり立派なものだったようだ。

その高札場跡の向かいには正應院の参道が伸びており、山門の桜が満開で非常に綺麗だった。

その先でクランク上に左右と曲がる。


すると多くの古民家の軒先に、なんとも不釣合いなサッカーボールがぶら下がっている。

どうやらここはサッカーロードおかべという名称らしく、この藤枝手まり工房で製作されているようだ。
そういえば、サッカー日本代表のゴン中山こと中山雅史選手はこの辺りの出身。父中山儀助さんは旧岡部町の町会議員だったので、このような活動をしていたのかな?

その先には和洋折衷のこんなステキなお宅も。街歩きは色々な発見があり、とっても楽しい。

雰囲気の良かった街道はこの燈籠の丁字路で終了。
ここを右に曲がり、すぐを左に進み、

本日出発した岡部本陣から続く県道(旧国道1号線)に合流する。
五智如来

するとすぐの場所にあるのが五智如来。

奥には五智如来像という五体の石仏像が安置されている。
こちらは岡部宿の西木戸付近にあった誓願寺の境内に安置されていたが、明治時代に寺が移転したため、この場所に移転された。
この先の田中城に上手く話のできない姫がおり、殿様が駿府の宝台院で徳川家の奥様に話すと、岡部宿の誓願寺の本尊である阿弥陀様にお願いすると良い、と教えられた。早速、家老の脇田正明とともにお参りに行くと、満月の日に姫が口が聞けるようになり、立派な大名の許へ嫁いだという。
感激した殿様は誓願寺に田畑を、家老の脇田正明にはこの五智如来像を寄進したそうだ。

五智如来を過ぎると街道には松並木が植えられている。ちなみにこの県道はかつて国道1号線だった。
東海道岡部宿碑と山灯籠

しばらく松並木を歩き、国道1号線との合流地点に趣のある山灯籠が設置されているが、ここが岡部宿の京(西)口になる。

進行方向裏側を見ると、『これより東海道岡部宿』と書かれた石碑が設置されている。

国道1号線のガードをくぐったら、『うなぎや』の看板が掲げられたY字路を右側に進む。
岩村藩領榜示杭跡

するとすぐに『従是西巌村領横内』と書かれた榜示杭が設置されている。
これは、享保二十年(1735年)から明治維新までの135年間、ここより先が岩村藩領であったことを示した杭を復元したもの。

岩村藩は美濃國岩村城(岐阜県)を居城として、松平能登守が三万石の領地を持っていた。ここ駿河国に五千石分の飛領地があり、この横内村に陣屋を置いて地政を行っていた。
慈眼寺

白い壁が印象的なこちらは、岩村藩横内陣屋三代目田中清太夫の得を慕って造立された慈眼寺。代官地蔵が安置されている。

慈眼寺の先の右手の細い道は、岩村藩横内陣屋へ繋がっていた。

そして朝比奈川を渡る。

夜半まで続いた大雨の影響で川は増水し、土手に咲いている桜が散り始めてしまっているようだ。
地蔵祠

朝比奈川を渡った土手に地蔵が二体祀られており、こちらが進行方向左側の土手の地蔵尊。

そしてこちらは向かって右側の地蔵尊。真上の桜の花びらが散り、なかなかいい雰囲気になっていた。

朝比奈川を過ぎるとしばらくして松並木があり、

その先に岩村藩領榜示杭が復元されている。ここまでが岩村藩の駿河國の飛地領だった。

そして榜示杭の先の歩道橋を上がり、

大通りの間に見える道が旧東海道になる。
田中藩榜示石

すぐに石碑が建っている。

この石碑は田中藩の榜示石で、刻まれている通りここから先が田中藩になる。
田中藩には田中城という名の城があった。元和二年(1616年)一月に徳川家康が鷹狩りの帰りに田中城に立ち寄り、興津鯛の天ぷらを食べすぎて体調を崩しその年の四月に亡くなったという。

榜示石の先で一瞬県道に合流するも、

すぐのY字路を左に進む。

旧東海道はご覧の良い雰囲気に。
鬼島の一里塚跡

すると街道の目立たぬ場所に標柱がある。ここが鬼島の一里塚があった場所。

江戸日本橋から四十九里(約196km)。
地蔵祠

鬼島の一里塚の先で葉梨川と並行するので、その土手を上ると地蔵が安置されていた。
この辺りでは地蔵尊が頻繁に祀られており、私たち東海道を歩く旅人を癒してくれる。

そして地蔵がある土手に植えられた桜は本日が満開。ただ、次第に曇り空に変わってしまったことだけが少しだけ残念だ。

旧東海道に戻り坂を上り、まっすぐに伸びた松の木の先を左折して葉梨川を渡る。

橋の上から見る桜が素晴らしく、家族連れがこの小道を笑顔で歩いていたのが印象的だった。

橋を渡り切ったら丁字路を右に進む。ちなみに左に進むと田中城があった場所に至る。
鬼島立場跡

川を渡った先に鬼島立場があった。
立場とは宿場の間にあった休憩所。間の宿よりも小規模で、茶屋などが並んでいたそうだ。

鬼島立場跡には火の見ヤグラと木造の燈籠が復元されていた。

鬼島立場跡の先に神社が見えてきた。
須賀神社

ここは須賀神社。

境内には御神木の大クスがある。説明によると樹齢は約五百年で、高さ23.7m、根廻は15.2mもあるそうだ。

須賀神社の先を右折して、

突き当たりを左折。

そして右の公園を進むのが旧東海道。

公園内には松並木があり、少しだけ往時の雰囲気を感じられる。

公園を出たらセブンイレブンの裏手に進み(右側の横断歩道を利用)、

その先で車道は右に直角に曲がっているが、旧東海道は真っ直ぐ歩道を進む。

そして県道の向こう側が旧東海道だが、横断歩道がないので、右の交差点から県道を横断する。

向こう側に渡ったら、モスバーガーの脇を入り、すぐの角を左に曲がる。

少し歩くと名残りの松が見えてきた。
その先に、藤枝宿の江戸(東)口の東大木戸跡の標柱があるはずなのだが、見つけることができなかった。
成田不動

藤枝宿に入るとすぐにあるのが、地元では成田山として親しまれる成田不動。静岡県では唯一の成田山新勝寺(千葉県)の直末寺院とされている。

交通安全祈願が特に有名で、ここ藤枝では新車納車日に成田山に直行し祈願をする方が多く、橙色の成田山ステッカーを貼った車を頻繁に見かける。

成田不動の向かいには濱小路の標柱があり、『是より焼津湊まで一里余り』と刻まれているそうだが、腐食が激しく分からなかった。

信用金庫の敷地内にあった小さな町境標石。

この左には田中城の大木戸があった。
街灯に『サッカーのまちふじえだ』の看板。この右手には高校サッカー選手権で全国制覇をしたゴン中山選手の母校藤枝東高校があり、サッカーが盛んだった藤枝市だが、それもむかしの話。
いや、J2の藤枝MY FCを応援するファンが多く、今なおサッカー愛が強い。
恵比寿大神大黒天と町内安全常夜燈

本町交番のとなりに恵比寿大神大黒天がある。
大黒天の御尊像は、駿府城廃城の際、城代橋西側の三番目の橋板で彫られたそうだ。

境内には町内安全と刻まれた常夜燈があり、満開の桜との調和が良かった。
蓮生寺

参道の雰囲気が素晴らしいこのお寺は蓮生寺。平家物語『敦盛の最期』で敦盛の首をとり、のちに出家した熊谷直実ゆかりのお寺だ。
熊谷直実が泊まり念仏を唱えると、池に清蓮花が咲いたという伝説が残っている。

参道入り口には趣のある秋葉山常夜燈が設置されていた。
この道は車で幾度となく通っているが、こんなに良い雰囲気の参道や常夜燈があったとは気づかなかった。街道歩きは様々な気付きがあり良いものだ。

蓮生寺の先にある助宗食堂は、名古屋ご当地グルメのあんかけスパが食べられる人気の店で、私も頻繁に通っている。
美人の奥様も名物!?
若一王子神社

こちらは若一王子神社御神燈。

その奥に天平二年(730年)創建の若一王子神社がある。
江戸中期に書かれた若一王子大権現社伝記によると、平安時代後期に源義家が東海道を東へ下った際に、この神社の老松に藤の花が咲きかかっているのを見て、『松に花咲く藤枝の一王子 宮居ゆたかに幾千代を経ん』と和歌を奉納したと記されていて、それが藤枝の地名の由来だと言われている(諸説あり)。

こちらは藤枝名物おたけせんべいの店。

本日はこの先で盛大な桜まつりが開催されていて、道は終始大渋滞。街道には藤枝宿の旗が掲げられていた。
下本陣跡

ガイドブックを見ながら、この辺りに藤枝宿下本陣跡があるはずだと探していたら、歩道のタイルに下本陣跡の印があった。
なんとも目立たない・・・。せめて標石にしてくれないと、分かりづらい。

こちらが藤枝宿に二軒あった本陣のうちの一つ、下本陣跡。現在は駐車場になっていた。
歩みの記録

ということで、今回は藤枝宿下本陣で終了。
では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリで、歩みの記録を見てみる。

まずは地図から。岡部宿を出発したら南下し、次第に南西方向に足を進めた。
ほとんどの区間で県道381号線と並行し横断したが、この道は旧東海道の迂回路として昭和三十年年代に国道1号線として開通するも、その後、新たな迂回路が完成したため県道に格下げされた。

続いては旅の詳細。
岡部宿から藤枝宿までは一里二十六町で、現在の道では7.2kmだが、今回は8.2kmを歩いたらしい。
極端な寄り道はしなかったが、いつものように距離が伸びてしまうのはなぜなのだろう。
そして要した時間は2時間40分で、上昇した高度は228km・・・ほぼ平坦だと思って歩いていたが、そんなに上ったの!?
ということで今回は以上。次回はこの日の午後に歩いた島田宿までの道のりを書いていくので、興味のある方はお付き合いを。










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