人気記事:『ミニカーで振り返るF1マシン』シリーズ

ブラバムBT55【ミニカーで振り返るレーシングマシン88】フラットフィッシュと呼ばれたマシン

1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はブラバムが1986年のF1に参戦するために開発した、ブラバムBT55を取り上げていきたいと思います。

マシンデータと戦績

まずはブラバムBT55の主要諸元をチェック。

年式1986年
カテゴリーF1
コンストラクターブラバム
マシン名BT55
デザイナーゴードン・マレー
エンジンBMW(M12/13/1)
主要諸元表

つづいてブラバムBT55の戦績を見てみる。

コンストラクターパトレーゼデ・アンジェリスワーウィック
シーズン順位9位17位-位-位
シーズンポイント2P2P0P0P
優勝0回0回0回0回
ポールポジション0回0回0回0回
ファステストラップ0回0回0回0回
戦績表

フラットフィッシュと呼ばれたブラバムBT55

今回は1986年のブラバムBT55を紹介していこう。

ブラバムと聞いて懐かしいと思う往年のF1ファンも多いだろうし、F1ブーム世代はデーモン小暮やヤマハエンジンを思い出す方もいるだろう。

ブラバムは、あのバーニー・エクレストンがチームオーナーだったことでも知られるF1界の名門として君臨したチームで、コンストラクターズタイトルを2回、ドライバーズタイトルは4回も獲得している。

今回のブラバムBT55は、その名門が落ちていった晩年期に製造されたマシンだが、他のマシンに追随しない独創的なコンセプトは伝統あるチームゆえで、長年チーフデザイナーを務めたゴードン・マレーらしさが随所に見られる。

まずこのマシンを見て誰もが思うこと、『ぺったんこ』。

そう、フラットボトム導入以来、ダウンフォースを獲得するために多くのデザイナーが考えたのは、ターボの爆発的なパワーを路面に伝えるためには、いかにリヤウイングに空気を導くか。

マレーはその回答として、リヤウイング前にある物を徹底的に低くし、前面投影面積を最小限にすることで空力効率を向上する。

V型に比べて直列のBMWエンジンは全高が高い。そのためBMWに左に72度傾けた特注のエンジンを発注し、クランクシャフトがマシンの中心線からずれるため、トランスミッションも新たに開発した。

コクピット後方の燃料タンクも低く細長くし、その前位に座るドライバーのステアリングはフロントタイヤの高さよりも低く、運転姿勢は当時としては考えられないほどに寝そべっていたが、それでもドライバーの方が露出するほどシャシーサイドは低く設計していた。

他に類を見ないほどに独創的なブラバムBT55だったが、斜めに搭載されたBMWエンジンはコーナーリングGで潤滑油に問題が頻発したり、新開発のミッションもトラブルが多く、結局シーズンを通して2ポイントしか獲得できなかった。

マレーはこの不振を受けブラバムを去ることになるのだが、ブラバムBT55のコンセプトは移籍先のマクラーレンで時間をかけてさらに熟成させて設計する。

その結果マレーがデザインしたマクラーレンMP4/4は16戦15勝の偉業を達成し、このブラバムBT55のコンセプトは間違っていなかったことを証明するのであった。

のちにマレーは「88年のマクラーレン(MP4/4)は、マールボロの皮を被ったBT55だ」と語っている。

では、そのブラバムBT55のミニカーを詳しく見ていこう。

ブラバムBT55のミニカーを実車のように撮る!

それでは1/43のブラバムBT55を撮影していこうと思う。

もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。

ブラバムは、チャンピオンナンバーを返上した1985年から撤退する1992年までカーナンバー7と8を使用した。

ブラバムBT55のカーナンバー7は、のちにF1出走回数新記録を達成することになるリカルド・パトレーゼのマシン。

見るからに低いブラバムBT55のシルエットは、前面投影面積を極限まで低くしてリヤウイングの効率を最大限に機能させようと考えられたもの。

そのためにエンジンを傾けて搭載したため、ボディ後端のデザインがコークボトルのように絞り込ませることができなかった。

その結果リヤディフューザーの効率を十分に発揮させることができず、ダウンフォースが不足した。

その解決策として小型の空力パーツをリヤタイヤ前方に取り付けたが、それでもダウンフォース不足は解消され図、全高を低くしたコンセプトのメリットは帳消しになった。

サイドポンツーンやリヤウイングに大きく描かれた『olivetti』のロゴ。

このオリベッティ社はイタリアのタイプライターや大型コンピュータの開発製造で名を馳せた会社で、現在は主にシステムソリューション事業を運営している。

F1ブーム世代の私としては、ロンジン社とともにF1のタイム計時を行なっていた会社として馴染みがある。

スターティンググリッドにブラバムBT55を移動する。

奥に見えるのは同年のライバル、ロータス98T。

1980年のBT49以来、ブラバムといえば濃紺とホワイトのシンプルなカラーリングが特徴で、撤退前年である1990年のBT59まで続くことになる。

この塗り分け、どこかで見たことがあると思っていたが、そうアルファタウリを彷彿とさせる。

BMWの直4ターボエンジンは当時パワーで最強を誇っており、同じエンジンを搭載(ブラバムBT55は改良型)するベネトンB186は、イタリアグランプリの予選で1350馬力を達成している。

コクピット後方の燃料タンクを細長くしたため、同年のマシンと比べるとホイールベースが異様に長いのもブラバムBT55の特徴だった。

その数値は、同年のウィリアムズFW11よりも254mm、フェラーリF186よりも282mm長い3048mmというとんでもなく長いもので、その結果ハンドリングに難があった。

1973年のBT42以降、すべてのブラバムのマシンを設計したゴードン・マレー。

そのあいだに、1978年のBT46Bファンカーや矢型スタイルのBT52など、個性あふれるマシンを誕生させてきたが、このBT55を最後にチームを離脱した。

以上、1/43のブラバムBT55を実車のように撮影してみた。

今回登場したミニカー

今回撮影に登場したミニカーを紹介する。

【ixo製】ブラバムBT55

デアゴスティーニから発売しているF1マシンコレクションの98号で、製造がイタリアのixoが行なっている。

【ixo製】ロータス98T

同じくデアゴスティーニのF1マシンコレクションの112号でixo製。

今回の撮影機材

今回ミニカーを撮影したカメラ機材を紹介する。

カメラキヤノンEOS R5
レンズキヤノンRF35mm F1.8 IS STM
スピードライトキヤノン430EX Ⅱ
三脚ベルボンEX-Macro
撮影機材

最後に

最後に、F1界の名門チームのひとつだったブラバムについて少し書いてみよう。

1959年と1960年のF1チャンピオンであるジャック・ブラバムが、デザイナーのロン・トーラナックとともに、1962年にモーターレーシング・ディベロップメントを設立したのがはじまりで、当初はマシン名を社名を略したMRDと付けていたが、すぐにブラバムと変更している。

ちなみにブラバムのマシン名のBTは、ブラバムとトーラナックの頭文字から取られている。

F1にも同1962年の開幕戦より参戦。当初はロータスのマシンを購入しての参戦だったが、ドイツグランプリから自社開発のマシンを投入した。

1966年に信頼性の高いレプコエンジンを搭載したブラバムBT20で、チーム初となるドライバーズとコンストラクターズのWチャンピオンを獲得する。

ジャック・ブラバムにとっては3度目のチャンピオンとなったが、自身の設立したチームでのチャンピオンはF1史上唯一の例となる。

翌1967年はチームメイトのデニス・ハルムがチャンピオンに輝き、コンストラクターズタイトルも獲得。2年連続してWタイトルを獲得した。

1970年にジャック・ブラバムが引退し、その後バーニー・エクレストンがチームを買収するとデザイナーとして鬼才ゴードン・マレーを招き入れ1972年から新体制となる。

マレーの強烈な個性を持ったマシンは徐々に戦闘力を増し、1975年にはコンストラクターズで2位に浮上。またエクレストンの政治力によりマルティニやパルマラットの支援を得て、アルファロメオとエンジン供給契約を結ぶことになる。

ちなみに、マレーの強烈な個性を持ったマシンとして、ファンカーとして知られるブラバムBT46Bが登場したのは、1978年第8戦のスウェーデングランプリだった。

1980年に入るとネルソン・ピケが加入すると、エンジンもアルファロメオをやめて一般的なフォードコスワースDFVに戻された。

ピケはこの年初優勝をあげてランキング2位に入ると、翌1981年には初のチャンピオンを獲得する。

このドライバーズタイトルはブラバムにとっても1967年以来の快挙だった。

翌1982年からBMWのターボエンジンの供給を受けると、1983年にマレーが矢形の彼らしい独創的なマシンを登場させ、ブラバムにとって4度目のドライバーズタイトルを獲得する。

しかしその後チームは徐々に低迷し、マレーは前述のとおり今回特集したブラバムBT55の失敗もありチームを離脱、エクレストンはFOCAの会長職に専念することになる。

1988年には資金難で1年間活動を休止し、エクレストンはチームを売却。

1989年に新オーナーの元F1に復帰するも、資金不足により満足な成績を上げられず、ブラバムは1990年に日本人実業家の中内康児氏の手に渡ると、日本のF1ブームに乗り伊太利屋、カルビー、オートバックス、住友海上火災、三越、マドラス、山善などの日本企業が多くスポンサーになったが、成績が上向くことはなかった。

1992年にはデーモン・ヒルがチームに所属したことで、デーモン小暮氏率いる聖飢魔IIがデーモンつながりでスポンサーとなったこともあったが、その後日本のバブル景気終焉によりサポートが途絶えその年のハンガリーグランプリを最後にF1から撤退した。

創設者ジャック・ブラバム
ロン・トーラナック
参戦年度1962-1987
1989-1992
出走回数394
コンストラクターズタイトル2回
(1966,1967)
ドライバーズタイトル4回
(1966,1967,1981,1983)
優勝回数35回
通算獲得ポイント864
ポールポジション39回
ファステストラップ40回

以上、今回は1/43のブラバムBT55を実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。

最後までご覧いただきありがとうございました。

ミニカー記事一覧は下のボタンをクリック

ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

48人の購読者に加わりましょう

関連記事

よかったらSNSでシェアお願いします!




奥が深いモータースポーツ撮影の世界
MOTORSPORT撮影術

モータースポーツ撮影歴18年。腕に覚えは全く無いが、知識だけは豊富なワタクシぴぴが、レース撮影について偉そうに解説します。




コメントを残す

ABOUT US

ぴぴ
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。 一眼レフデビューは2001年頃、CANON EOS7(フィルム機)。腕に覚えは全くないが、年数だけはそこそこ長い。 【一眼レフ遍歴】 CANON EOS 7 → CANON EOS kiss N → CANON EOS 60D → CANON EOS 7D MarkⅡ → CANON EOS 5D MarkⅣ & SONY α7R Ⅲ 【所有カメラ】 CANON EOS 5D MarkⅣ SONY α7R Ⅲ SONYサイバーショット DSC-RX1R 【所有レンズ】 CANON EF100mm-400mm f/4.5-5.6L IS Ⅱ USM CANON EF70-200mm f/2.8L IS Ⅱ USM CANON EF24mm-70mm f/4L IS USM CANON EF50mm f/1.2L USM CANON EF85mm f/1.4L IS USM SONY FE24-105mm F4 G OSS