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ウィリアムズFW14B ナイジェル・マンセル悲願のチャンピオンマシン【ミニカー#89】

1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はウィリアムズが1992年のF1に参戦するために開発した、ウィリアムズFW14Bを取り上げていきたいと思う。

マシンデータと戦績

まずはウィリアムズFW14Bの主要諸元をチェック。

年式1992年
カテゴリーF1
コンストラクターウィリアムズ
マシン名FW14B
デザイナーパトリック・ヘッド(テクニカルディレクター)
エイドリアン・ニューウェイ(チーフデザイナー)
エンジンルノーRS4
主要諸元表

つづいてウィリアムズFW14Bの戦績を見てみる。

コンストラクターマンセルパトレーゼ
シーズン順位1位1位2位
シーズンポイント164P108P56P
優勝10回9回1回
ポールポジション15回14回1回
ファステストラップ11回8回3回
戦績表

ハイテク装備満載のウィリアムズFW14B

トラックリミットという言葉など無かった時代、スパ・フランコルシャンのラ・ソース出口にある縁石を大きくはみ出してエスケープを存分に使ってコーナーリングし、イモラで行われたサンマリノグランプリの予選では、バリアンテアルタという名のシケインをショートカットしてアタックを試みた男、ナイジェル・マンセル。

そんなとんでもない走りを見せるマンセルが、F1を見はじめた頃に私が一番好きなドライバーだった。

今回は、そのナイジェル・マンセルがはじめてにして唯一のチャンピオンを獲得したマシン、ウィリアムズFW14Bを取り上げる。

近代F1でもっとも有名なデザイナーであるエイドリアン・ニューウェイが、トップチームに加入して初めてデザインしたのがウィリアムズFW14Bのベースになった1991年のウィリアムズFW14。

ニューウェイがレイトンハウス時代に導入した、フロントノーズ下部から空気を取り入れリヤディフューザーの効率をあげる手法は、ノーズの先端を若干持ち上げたウィリアムズFW14のデザインからも見て取れる。

またコクピット開口部を、ドライバーの肩が露出する五角形デザインとしているのもレイトンハウス時代のデザインコンセプトを踏襲している。

駆動系では、フェラーリに次いで2チーム目にセミオートマチックトランスミッションを採用しており、このマシンの成功とともにこのシステムの優位性が証明され、その後多くのマシンに継承され、現在ではレーシングマシンの標準装備になっている。

そのウィリアムズFW14に多くのハイテク装備で武装したマシンが1992年のウィリアムズFW14Bだ。

まずはアクティブサスペンション。

路面を検知して高速演算高速作動で動かす1987年のロータス式アクティブサスペンションではなく、事前にサーキットの走行ラインのデコボコを調べ上げてからプログラミングしておき、そのとおりにサスペンションを動かすという簡易型のアクティブサスペンションを採用したウィリアムズFW14Bは、他のマシンに対して圧倒的なアドバンテージを得た。

またスタートや加速時に効率よくエンジンパワーを路面に伝えるトラクションコントロールもウィリアムズFW14Bからの採用だ。

そんなセミオートマチックトランスミッション・アクティブサスペンション・トラクションコントロールなど、最先端技術を惜しみなく搭載したウィリアムズFW14Bは、1992年シーズンを終始リードして圧倒的な強さでWチャンピオンを獲得したのであった。

では、そのウィリアムズFW14Bのミニカーを詳しく見ていこう。

ウィリアムズFW14Bのミニカーを実車のように撮る!

それでは1/43のウィリアムズFW14Bを撮影していこうと思う。

もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。

赤く塗られた5番、いわゆるレッドファイブはマンセルのマシンの証。

レッドファイブはマンセルがウィリアムズに在籍した1985年のFW10から1988年のFW12、ウィリアムズに復帰した1991年のFW14とこの1992年のFW14Bで貼られ、1994年にスポットでウィリアムズに乗った時のカーナンバー2も赤く塗られている。

ちなみに1989年と1990年にウィリアムズに在籍したティエリー・ブーツェンが付けたカーナンバー5は、通常のホワイトだった。

現在ほど複雑ではない当時のリヤディフューザーデザイン。

フロントプッシュロッドのボディ側付け根が膨らんでいるのが、アクティブサスペンションを搭載しているウィリアムズFW14Bの特徴。

この中にガスシリンダーと油圧式アクチュエータが収納されている。

ウィリアムズFW14Bに搭載されるエンジンは、V型10気筒のルノーRS4。

それまでF1はホンダ製エンジンが最強を誇っていたが、その主権は1992年からルノーへと移り、ホンダはこの年を最後に撤退している。

ウィリアムズFW14Bを15回(マンセル14回、パトレーゼ1回)も獲得したポールポジションの位置に置く。ちなみにウィリアムズは、1992年の第8戦から1993年にかけて23戦連続ポールポジションという記録を打ち立てている。

そして奥に見えるのは、ウィリアムズに後塵を拝したマクラーレンのMP4/7A。

五角形のコクピット開口部は、レイトンハウス時代から継承される初期ニューウェイ作品の特徴だった。

正式名称『キヤノン ウィリアムズ チーム』。

そう、1985年のウィリアムズFW10から日本のキヤノンがタイトルスポンサーとなっており、私はこのキヤノンカラーと言われた当時のウィリアムズのカラーリングが大好きだった。

このキヤノンカラーは1993年を最後にウィリアムズのタイトルスポンサーを降り、その後はF1のスポンサーをすることは無かったが、2009年のシンガポールグランプリで1戦のみの復活を果たす。

ブラウンGPにあしらわれたその『Canon』ロゴの場所は、ウィリアムズ時代と同様にサイドポンツーンだった。

あの時は嬉しかったなあ・・・。

そんな大好きなキヤノンカラーのミニカーを、キヤノンのカメラとキヤノンのレンズで撮ることに興奮を覚える変態チックな私・・・。

でへへ!

今回撮影した2台、ウィリアムズFW14BとマクラーレンMP4/7Aといえば、思い出すのが1992年の第6戦モナコグランプリ。マンセルとセナの一騎打ちが行われた伝説のレースだ。

好調のウィリアムズFW14Bを駆るマンセルは、開幕から破竹の5連勝でモナコグランプリに挑み、ポールポジションからトップをひた走り、開幕6連勝と自身初のモナコ制覇は目の前だったのだが・・・。

残り8周、2位セナに28秒もリードしていたマンセルは左リヤに異変を感じ緊急ピットインをする。

タイヤ交換をしてコースに復帰するとセナ1位、マンセル2位と形勢が逆転。

鬼と化したマンセルは、ファステストラップを連発しながら残り3周でセナの背後に追いつく。

フレッシュタイヤと競争力の高いウィリアムズFW14B、そして獲物を前にした時にとんでもないチカラを発揮するマンセルのドライビングで、セナをオーバーテイクしようと試みるも、実況をしていた三宅アナが、

「ここはモナコ、モンテカルロ、絶対に抜けない!」

と発したように、細いモナコのコースとセナの巧みなブロッキングで、マンセルの追撃をギリギリのところで交わし切り、セナがモナコ4連覇を達成。

マンセルの開幕6連勝とモナコ初制覇は夢へと化したのであった。

以上、1/43のウィリアムズFW14Bを実車のように撮影してみた。

今回登場したミニカー

今回撮影に登場したミニカーを紹介する。

【ixo製】ウィリアムズFW14B

デアゴスティーニのF1マシンコレクションの7号で、イタリアのixoが製造を担当している。

【ixo製】マクラーレンMP4/7A

同じくデアゴスティーニのF1マシンコレクションの111号で、こちらもixo製。

今回の撮影機材

今回ミニカーを撮影したカメラ機材を紹介する。

カメラキヤノンEOS R5
レンズキヤノンRF35mm F1.8 IS STM
スピードライトキヤノン430EX Ⅱ
三脚ベルボンEX-Macro
撮影機材

最後に

最後はこのウィリアムズFW14Bからはじまったハイテク装備とその終焉について。

ウィリアムズFW14Bの成功とともに、翌1993年から多くのチームがアクティブサスペンション、セミオートマチックトランスミッション、トラクションコントロール、パワーステアリング、ABSなどのハイテク装備を搭載したマシンを登場させ、ベネトンB193Bに至っては終盤で四輪操舵の4WSまで搭載された。

この行きすぎたハイテク競争で、コスト高騰やドライバーの腕よりもハイテク性能によりレース結果が左右されることになると危惧したFIAは、1994年からハイテク装備の禁止(セミオートやパワステは合法)を決断する。

しかしこのハイテク禁止発表が1993年シーズン中という、非常に遅い時期だったことが混乱を招く。

すでに各チームは翌1994年のマシンを設計していた。

ベネトンなどはすでにハイテク禁止を予期して設計していたためうまく順応することができたが、ウィリアムズは変更がないことを前提にマシン開発をしていたため、設計変更に苦慮し、結果コントロールの非常に不安定なマシンになってしまい、イモラでの悲しい事故の遠因になったのでは、と考えるものも多い。

以上、今回は1/43のウィリアムズFW14Bを実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。