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ブラウンGP BGP001 参戦初年度にチャンピオン獲得の奇跡のマシン【ミニカー#11】

モータースポーツ中毒者のぴぴと申します。

私の200台に及ぶミニカーコレクションから1台を選び、実車のように撮影し実車の現役時代を語るこの企画、第11弾は現リバティメディアの重職を務めるロス・ブラウン氏が興したF1チーム、ブラウンGPの処女作BGP001を取り上げます。

ミニカー紹介

今回登場するミニカーを紹介します。

ブラウンGP BGP001 #22 ジェンソン・バトン

デアゴスティーニ『F1マシンコレクション』23号、ixo製です。

フェラーリF60 #4 キミ・ライコネン

フェラーリF1の独占販売権を所有する、アメリカのマテル製です。

メルセデスMGP W01 #3 ミハエル・シューマッハ

ミニカーの老舗、ポールズモデルアートのミニチャンプスシリーズです。

ホンダ撤退!ロス・ブラウンがチームを引き継ぐ

F1のマシンレギュレーションが大きく変更された2009年、フロントウィングが幅広にリヤウイングは狭く高く、それまでのF1マシンとは全く異なる外観になり、各チームの力関係は一旦リセットされ、文字通り一からのスタートとなりました。

こちら2009年型ブラウンGP BGP001
2008年型マシンと比べると2009年型マシンのフロント・リヤのウイング形状が大きく違うのがわかる
こちらは2008年型マシン BMWザウバーF1.08
フロント・リヤのウイング形状に注目してほしい

ホンダレーシングF1チームも、新レギュレーションに合わせるため、また中団勢から抜け出すために、例年より早い段階からマシン設計に着手しており、2008年も秋に差し掛かる頃には相当の自信作が完成しつつありました。

しかし2008年12月5日、サブプライムローン問題に端を発する世界恐慌の煽りを受け、ホンダはF1撤退を余儀なく決断するに至りました。

だが、2009年に向け戦闘力の高いマシンが完成しつつあった旧ホンダレーシングF1チームのニック・フライ、ロス・ブラウンをはじめとする経営陣は、何とかここマシンをデビューさせたいという思いから新しい買い取り手を探すもなかなかまとまらず、結果ロス・ブラウンがなんと”1ポンド”でホンダからチームを譲り受けるカタチとなりました。

ブラウンGPの快進撃に、世界は歓喜するも日本人は複雑

チームは売却先問題で右往左往し、1月・2月のマシン開発で重要な時期を棒に振ったにも関わらず、3月のバルセロナテストではトップタイムを連発し、マシンの速さを披露しました。

私は、車重を減らし見せかけの速さを世間に披露することでスポンサー探しを有利にしようと考えているように感じましたが、F1シーズンが開幕しアルバートパークサーキットでの開幕戦でも予選ワンツー、決勝でもワンツーフィニッシュと速さが本物であることを証明させました。

新チームが初戦で優勝するのは1977年のウルフ以来、ワンツーフィニッシュに至っては1954年のメルセデス以来の快挙でした。

続く第2戦でも優勝し、新チームの開幕2連勝はF1が始まった1950年以来の大記録でした。

しかしマシンをみるとわかる通り、ホンダ時代にスポンサーを一掃したことが影響し、新しいスポンサーがなかなか付かず財政面では苦労し、第8戦のイギリスGP頃から資金力で勝る他のチームを前に速さに陰りが見え始めてきましたが、なんとか最後の最後まで踏ん張り、チーム一年目でドライバーズとコンストラクターズのダブルチャンピオンに輝くのでありました。

日本のF1ファンからすると、このままホンダが撤退しなければ間違いなくチャンピオンはホンダレーシングF1チームの手中にあったとの思いから、複雑な気持ちを抱いていました。

実車のように撮る!

それではブラウンGP BGP001を撮影します。

今回もテーマは『実車のように撮る!』です。

ファクトリーでマシンをチェック!

まずはファクトリーに見立てたジオラマで、マシンをチェックしてみましょう。

フロント・リヤのウイングに違和感を覚えます。

当初は時間とともにこの形状は見慣れてくると言われていましたが、最後まで見慣れなかったです。

この頃のマシンは全幅が1800mmで、現在の2000mmのマシンと比べると迫力も劣りますね。

当時流行っていた回転しないホイールカバーは、あまりカッコの良いものではありませんでしたが、スリックタイヤの復活は見た目の向上に寄与しました。

黄色いマシンカラーは、オーナーロス・ブラウンの好物であるバナナから。

2008年〜2009年のホンダF1は、アースカラーと銘打ってスポンサーを一掃、マシンに地球の絵を描いていましたが、その余波で序盤のブラウンGPのマシンにはスポンサーがほとんど付いていませんでした。

このマシンは後半戦仕様だと思われ、ご覧のとおり速さを見せると徐々にスポンサーが付きはじめました。

レギュレーションの隙間を縫って装着された、ダブルディフューザーが確認できます。

同じ2009年仕様の、フェラーリF60とのツーショット。

フロントウイングやノーズのデザインなど、レギュレーションが大きく変わると各チームごとマシンのカタチに違いが出ます。

同じくフェラーリF60とのツーショットを側面から。

翌年ブラウンGPはメルセデスに買収されます。

こちらはそのメルセデスGP(現メルセデスAMG)の2010年マシン、メルセデスMGP W01とのツーショット。

フロントノーズの高さやインダクションポッドなどに大きな違いがあります。

フェラーリF60・メルセデスMGP W01とのスリーショット。

サーキットで撮る!

それではブラウンGP BGP001を、サーキットに見立てたジオラマで撮影していきましょう。

2009年シーズンは、現在日本のスーパーGTで活躍するジェンソン・バトン選手が、一番輝いていた年でしょう。

写真にはフェラーリのマシンが写っていますが、実際のライバルはレッドブルで、彼らは翌年から一時代を築き上げることとなります。

序盤戦は特に強く、開幕から7戦6勝という新チームでは考えられないような素晴らしい活躍でした。

西陽を浴びて輝く、ブラウンGP BGP001。

結局ブラウンGPとしてイエローのマシンで活躍したのはこの1年のみ、翌年からはメルセデスのシルバーアローにマシンの色が様変わりするのでありました。

最後に

今回はブラウンGP BGP001を取り上げてみましたが、いかがでしたでしょうか。

本来、ホンダRA109としてデビューする予定であったマシンで、ホンダ製のKERSなども搭載される予定であったと記録されており、日本人の誰もがブラウンGPの快進撃を見て、『ホンダが撤退しなければ・・・』と、複雑な気持ちを抱いていたと思います。

ブラウンGPは翌年メルセデスに身売りし、メルセデスGP(現メルセデスAMG)として新たな船出を切ることになり、現在最強のF1チームへと続いていく事になります。

そう元を正せばルイス・ハミルトンが属するメルセデスAMGはブラウンGPでありホンダF1であったのです。

※ ティレル → BAR → ホンダ → ブラウンGP → メルセデス

最後までお読みいただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。