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フェラーリF2005 不恰好なサブウイングが装着されたラストV10マシン【ミニカー#86】

01/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はフェラーリが2005年のF1に参戦するために開発した、フェラーリF2005を取り上げていきたいと思います。

マシンデータと戦績

まずはフェラーリF2005の主要諸元をチェック。

年式2005年
カテゴリーF1
コンストラクターフェラーリ
マシン名F2005
デザイナーアルド・コスタ
エンジンフェラーリTipo055
主要諸元表

つづいてフェラーリF2005の戦績を見てみる。

コンストラクターシューマッハバリチェロ
シーズン順位3位3位8位
シーズンポイント100P62P38P
優勝1回1回0回
ポールポジション1回1回0回
ファステストラップ3回0回
戦績表

見た目とともに成績も低迷したフェラーリ

フェラーリ2005年のフェラーリは、それまでの黄金期を支えたひとりであるチーフデザイナーのロリー・バーンがその役職を退任したのがビッグニュースだった。

バーンはそれまでアシスタントチーフデザイナーを務めていたアルド・コスタを、彼の後継者として指名する。

そのコスタがデザインしたフェラーリF2005の特徴は、フロントウイングに装着されたサブウイングだ。

なんとも不恰好なこのサブウイングは、フロントウイングの最低地上高規制に対応するために設置された。

2005年シーズンのフェラーリは、序盤の4戦を前年に圧勝を納めたフェラーリF2004の改良型であるF2004M(M=Modificato改良されたという意味)で戦う予定だったがまったく歯が立たず、急遽第3戦からフェラーリF2005を投入する。

しかし、そのレースではルーベンス・バリチェロがトップを走行するフェルナンド・アロンソにラップダウンされるほどの散々な結果だった。

その後のレースでも表彰台に上がるのがやっとで、ミシュラン勢がタイヤトラブルから全車意図的にリタイヤしたアメリカグランプリでのみミハエル・シューマッハが優勝をし、シーズンを通じて実力での勝利は1度もなかった。

結局ドライバーズランキングでシューマッハが3位、バリチェロに至っては8位という結果で、2000年から続いたシューマッハのチャンピオンは5連覇で幕を閉じ、1999年からのコンストラクターズ連覇も6回で、フェラーリ黄金期は終焉を迎えることとなる。

では、そのフェラーリF2005のミニカーを詳しく見ていこう。

フェラーリF2005のミニカーを実車のように撮る!

それでは1/43のフェラーリF2005を撮影していこうと思う。

もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。

フェラーリF2005のカーナンバー1は、前年度チャンピオンのミハエル・シューマッハのマシン。

グルーブドタイヤが特徴の当時のF1タイヤ。

この年はミシュランタイヤが性能を一気に上げ、フェラーリも装着するブリヂストン勢は劣勢だった。

前述のとおりこの年はミシュランタイヤが性能を一気に上げ、フェラーリが装着するブリヂストン勢は劣勢だった。

しかしミシュランの性能向上には、タイヤブローというタイヤメーカーとして一番起きて欲しくない危険性も伴っていた。

事実この年のアメリカグランプリでは、開催のインディアナポリスのバンクを走行中にミシュランのタイヤが相次いでブローする自体が起きた。

結局決勝ではミシュランタイヤを履くチームがすべてフォーメーションラップ後にピットインして意図的にレースを放棄し、安全上問題のないブリヂストンタイヤを履くフェラーリF2005が唯一この年に勝利を獲得したレースとなった。

もちろんレースに危険やリスクは付きものだが、ブリヂストンは性能向上のために安全上のリスクは極力しないという方針を貫いた結果となった。

マールボロのロゴの有無で印象が大きく変わる。

このモデルを購入した2006年当時も、ミニカーでのタバコ広告規制でマールボロのロゴはなかったが、後から私がデカールを貼って再現している。

サブウイングはフロントウイング前方下部に装着されているのがわかる。

このサブウイング、どれだけの効果があったのかはわからないが、フェラーリはシーズン終了まで装着するも、他のマシンが追随して装着することはなかった。

マシンの左右でホイールを止めるセンターロックナットの色が違うのがわかる。

というのもF1マシンのホイールのボルトは回転方向に対して閉まるように設計されており、要するに左右が逆の回転になる。

そのためナットも左右で別のネジが切ってあるため、混同しないように色を変えているのだ。

前年まで数多く獲得したポールポジションだが、この年はハンガリーグランプリでシューマッハが1度だけ記録している。

奥に見えるのは、この年自身初のチャンピオンを獲得することになる、フェルナンド・アロンソのルノーRS25。

あのフロントウイングから飛び出たサブウイングの酷い見た目が、フェラーリF2005の最大の特徴なのだが、『カッコ悪いマシンは走らない』というF1の定説に従い結果は散々なものだった。

F1のエンジンは1995年から3.0Lになり、2000年からはV型10気筒に統一されたが、この年が最後の年だった。

2万回転に迫らんとする甲高いエンジン音は、まさにモータースポーツの頂点に相応しいものだったが、2006年からレギュレーションで2.4L V型8気筒に統一され、エンジン音がガラリと変わった。

私も2006年の日本グランプリで現地観戦をして、そのエンジン音の変化に落胆したことを記憶している。

そんな意味でも、甲高いF1らしいエンジン音を奏でた最後のフェラーリがこのF2005と言えるのかもしれない。

以上、1/43のフェラーリF2005を実車のように撮影してみた。

今回登場したミニカー

今回撮影に登場したミニカーを紹介する。

【マテル製】フェラーリF2005

2006年初頭に購入したマテル製の通常ラインナップに、社外のマールボロデカールを装着した。

発売から15年ほど経過しているため、現在新品での購入は困難だと思われる。

【ixo製】ルノーRS25

デアゴスティーニのF1マシンコレクション20号で、イタリアのixoが製造を担当している。

最後に

コンストラクターズタイトルは1999年から、そしてドライバーズタイトルは2000年から毎年獲得してきた最強フェラーリを誇ったこの期間は、のちにフェラーリの黄金時代と呼ばれた。

優勝PPドライバーズ
ランキング
コンストラクターズ
ランキング
1999632位
5位
1位
200010101位
4位
1位
20019111位
3位
1位
200215101位
2位
1位
2003881位
4位
1位
200415121位
2位
1位
2005113位
8位
3位

この時期のフェラーリ主要メンバーであるエースドライバー=ミハエル・シューマッハ、チーム監督=ジャン・トッド、テクニカルディレクター=ロス・ブラウン、チーフデザイナー=ロリー・バーンが一丸となりチームの黄金期を支えたが、この2005年からチーフデザイナーがアルド・コスタに変更になり、チームのバランスが崩れていき成績低迷につながったのかもしれない。

結局2006年を最後にミハエル・シューマッハがチームを去ると、ロス・ブラウンも1年間の長期休暇に入りホンダに移籍、ジャン・トッドも2008年3月に代表を退き(その後FIA会長に就任)、黄金期の主要メンバーはすべてフェラーリを去った。

そんなフェラーリ最大の黄金期を終わらせたマシンがフェラーリF2005だったのだ。

以上、今回は1/43のフェラーリF2005を実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。