1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はジョーダンが1999年のF1に参戦するために開発した、ジョーダン199を取り上げていきたいと思います。
ザックリ見出し
マシンデータと戦績
まずはジョーダン199の主要諸元をチェック。
年式 | 1999年 |
カテゴリー | F1 |
チーム | ジョーダン |
マシン名 | 199 |
デザイナー | マイク・ガスコイン(テクニカルディレクター) マーク・スミス(チーフデザイナー) |
エンジン | 無限ホンダ MF301HD |
つづいてジョーダン199の戦績を見てみる。
コンストラクター | ヒル | フレンツェン | |
---|---|---|---|
シーズン順位 | 3位 | 12位 | 3位 |
シーズンポイント | 61P | 7P | 54P |
優勝 | 2回 | 0回 | 2回 |
ポールポジション | 1回 | 0回 | 1回 |
ファステストラップ | 0回 | 0回 | 0回 |
ジョーダングランプリ史上最高傑作のマシン!

前年の1998年、ジョーダン198でチーム初優勝をワンツーフィニッシュで飾ったジョーダンは、この1999年にジョーダン199でさらなる飛躍を見せることとなる。
この年ウィリアムズがら移籍してきたハインツ=ハラルド・フレンツェンが、第7戦フランスグランプリと第13戦イタリアグランプリで2勝をあげる活躍で、シーズン終盤までタイトル争いを演じる。
シーズンが佳境に迫った第14選のニュルブルクリンクで行われたヨーロッパグランプリの予選では、見事にポールポジションを獲得して、決勝でもレースをリードし、ジョーダン初のドライバーズタイトル獲得に大きく近づいた。
しかし33周目に操作ミスによる電気系のトラブルでリタイヤを喫し、ドライバーズタイトル獲得とはならなかったが、フレンツェンがドライバーズランキングでチーム史上最上位の3位に入り、同じくコンストラクターズでもチーム史上最高位の3位を獲得した。
対するチームメイトは、1997年ワールドチャンピオンのデーモン・ヒル。
ヒルは前年チームに初優勝をプレゼントしたが、今年は最高位4位と不調が続き、この年を最後にF1を去ったため、デーモン・ヒルにとっては最後のマシンになった。
ジョーダン199のミニカーを実車のように撮る!
それでは1/43のジョーダン199を撮影していこうと思う。
もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。

ジョーダン199のカーナンバー8は、ハインツ=ハラルド・フレンツェン。


1997年から採用したイエローのマシンカラーは、その後ジョーダンのチームカラーになった。


ジョーダン199をスターティンググリッドに移動しポールポジションの位置に。
前述のとおり、ニュルブルクリンクで行われたヨーロッパグランプリで、ジョーダンとしては1994年ベルギーグランプリ以来2度目、無限としては初のポールポジションをフレンツェンが獲得した。
2番手グリッドに見えるのは、そのヨーロッパグランプリの時と同じくメルセデスのマシン。

ジョーダンはノーズサイドに戦闘機のノーズアート風のグラフィックを施しており、ジョーダン198はスズメバチが描かれた。
ちなみに1997年のジョーダン197では蛇、1998年のジョーダン198から2000年のEJ10まではスズメバチ、そして2001年のEJ11ではサメが描かれている。
年 | マシン | ノーズアート |
---|---|---|
1997年 | ジョーダン197 | 蛇 |
1998年 | ジョーダン198 | スズメバチ |
1999年 | ジョーダン199 | スズメバチ |
2000年 | ジョーダンEJ10 | スズメバチ |
2001年 | ジョーダンEJ11 | サメ |

ジョーダン199は、1998年途中からチームに加入したマイク・ガスコインによって開発され、このマシンの成功によりガスコインの評価が上がり、その後2001年ベネトン/ルノー、2003年トヨタへと移籍した。


エンジンカウルに漢字で書かれた『無限』の文字が誇らしい。
ジョイント2年目の無限エンジンは、メーカー系ワークスエンジンに見劣りしない出力を発揮していた。


本来ならばベンソン・アンド・ヘッジスのロゴがノーズに入るのだが、タバコ広告規制の影響から省略。
タバコ広告が無いことで全体のイメージが大きく変化・・・なんとかならないのかな。


以上、1/43のジョーダン199を実車のように撮影してみた。
今回登場したミニカー

今回撮影に登場したミニカーを紹介する。
【ixo製】ジョーダン199

デアゴスティーニF1マシンコレクションの27号で、イタリアのixoが製造。
【マテル製】フェラーリF399

アメリカのマテルの通常ラインナップで、2000年に購入し、その後自らの手でMarlboroのデカールを貼った。
【ixo製】マクラーレンMP4-14

デアゴスティーニF1マシンコレクションの14号で、イタリアのixoが製造。
【ixo製】スチュワートSF3

デアゴスティーニF1マシンコレクションの55号で、イタリアのixoが製造。
最後に
この年、前年に続きジョーダンにエンジンを供給したのは無限だった。
その無限のF1活動を見てみよう。
年 | チーム | エンジン名 | 優勝 | ポイント |
---|---|---|---|---|
1992年 | フットワーク | MF351H | 0 | 6 |
1993年 | フットワーク | MF351HB | 0 | 4 |
1994年 | ロータス | MF351HC / MF351HD | 0 | 0 |
1995年 | リジェ | MF301H | 0 | 24 |
1996年 | リジェ | MF301HA | 1 | 15 |
1997年 | プロスト | MF301HA / MF301HB | 0 | 21 |
1998年 | ジョーダン | MF301HC | 1 | 34 |
1999年 | ジョーダン | MF301HD | 2 | 61 |
2000年 | ジョーダン | MF301HE | 0 | 17 |
無限は1992年にホンダ第2期のF1活動を引き継ぐカタチでスタートし、初年度は日本のフットワークに供給し、2年間ジョイントした後、1994年には名門ロータス最後の年にエンジン供給をする。
1995年にはフランスのリジェに供給し、最後の年になった翌1996年まで関係を持ち初優勝を遂げる。
翌1997年は、リジェを引き継いだプロストグランプリに引き続き供給をするが、オールフランスチームを掲げるプロストは、翌年からフランスのプジョーに切り替える。
そのため無限は1998年から3年間にわたりジョーダンとタッグを組むことになり、初年度にジョーダン初の優勝に大きく貢献し、翌1999年は今回取り上げたジョーダン199で2勝をあげ、シーズン通算61ポイントを獲得し、無限は1992年にF1参戦をして以来最高のシーズンとなった。
2000年もジョーダンにエンジンを供給したのだが、その年からホンダが第3期のF1活動をスタートしたことで、オーナーのエディ・ジョーダンはホンダのワークスエンジンを要求し2001年から供給が決まったことで、無限は2000年シーズンを最後にF1から撤退することとなった。
以上、今回は1/43のジョーダン199を実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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