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リジェJS43 フランスの名門リジェ最後の優勝マシン【ミニカー#70】

1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はリジェが1996年のF1に参戦するために開発した、リジェJS43を取り上げていきたいと思います。

マシンデータと戦績

まずはリジェJS43の主要諸元をチェック。

年式1996年
カテゴリーF1
チームリジェ
マシン名JS43
デザイナーフランク・ダーニー
エンジン無限(MF301HA)

つづいてリジェJS43の戦績を見てみる。

コンストラクターパニスディニス
シーズン順位6位9位15位
シーズンポイント15P13P2P
優勝1回1回0回
ポールポジション0回0回0回
ファステストラップ0回0回0回

フランスの名門リジェ最後の優勝マシン

1996年モナコグランプリ。

決勝日の午前中に激しい雨が降り、午後の決勝スタート時刻には雨は止んだものの、路面にはまだ濡れており全マシンがレインタイヤを履いてのスタートになった。

14番グリッドからスタートしたリジェのオリビエ・パニスは燃料をたっぷりと積んでおり、ピットストップでの燃料給油短縮に成功して、ピットアウトすると一気に4位にジャンプアップする。

その後もファステストラップを連発して前を行くアーバインを追い詰め、ヘアピンでオーバーテイクして3位に上がる。

トップはウィリアムズのデーモン・ヒルが2位のジャン・アレジを20秒以上リードして独走していたが、ルノーエンジンが突如ブローしてリタイヤする。

代わってトップに立ったアレジは2位パニスに30秒以上リードしていたが、終盤に突如ピットインをしてサスペンショントラブルによりレースを終え、パニスがトップにおどり出る。

多くのアクシデントが発生したこの年のモナコグランプリはレース展開が遅くなり、2時間ルールが適用されたが、リジェのパニスは順調に走りきりトップでチェッカーを受けた。

パニスとエンジンサプライヤーの無限にとっては初優勝、リジェにとっては1981年カナダグランプリのジャック・ラフィー以来、15年ぶりの優勝だった。

この年限りでF1を撤退したリジェにとってはこれが最後の優勝となった。

リジェJS43のミニカーを実車のように撮る!

それでは1/43のリジェJS43を撮影していこうと思う。

もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。

この頃のカーナンバーは前年のコンストラクターズ順位を元にあてがわれており、前年5位のリジェはカーナンバー9・10に、そしてエースのパニスが9を選択する。

1998年から全幅1800mmのナロートレッドになったF1だが、この1996年はまだ2000mmのワイドトレッド。

長年フランスのタバコブランド『ジタン』がタイトルスポンサーを務めたリジェだが、この年はそのジタンと人気を二分するタバコブランド『ゴロワーズ』がタイトルスポンサーになった・・・が、ミニカーでもタバコ広告規制のため描かれていない。

タバコ広告規制のないモナコグランプリで優勝したマシンを再現したモデルだが、『ゴロワーズ』のロゴがないのは非常に残念だ。

エンジンは前年に続いて無限を使用し、コクピットサイドに『無限』のロゴが控えめに入っている。

リジェJS43をダミーグリッドに移動して、ベネトンB196と並べてみた。

リジェの前年型マシンJS41は、当時姉妹チームだったベネトンB195をコピーして話題となったが、翌年型マシン同士を並べてみてもどことなく似通っている。

モノコックサイドに描かれた『パルマラット』は、この年加入したディニスが持ち込んだスポンサー。

1976年からF1に参戦したフランスの名門リジェは、この1996年をもって長い歴史に幕を下ろし、翌年からプロストグランプリとして再出発することになる。

以上、1/43のリジェJS43を実車のように撮影してみた。

今回登場したミニカー

今回撮影に登場したミニカーを紹介する。

【ixo製】リジェJS43

デアゴスティーニのF1マシンコレクション97号で、ミニカー製造はイタリアのixoが行っている。

【ixo製】ベネトンB196

同じくデアゴスティーニのF1マシンコレクション93号で、イタリアixo製。

【ixo製】ジョーダン196

こちらもデアゴスティーニのF1マシンコレクション103号で、イタリアixo製。

最後に

最後にフランスの名門チームリジェについて。

この1996年を持ってF1から撤退したリジェは、参戦を開始した1976年以来フランス色の非常に強いチームとして知られた。

その背景にはオーナーであるギ・リジェが1981年から1995年までフランスの大統領を務めたミッテランとの親交が深い(彼らの子供同士が結婚するほど)ことが大きな要因で、ジタンやマトラ、ロトなどの国営企業や元国営企業のルノーがチームのスポンサーやエンジン供給を行った。

しかしチームは潤沢な資金がありながらも大きな成功を収めることができずに、マシン開発で失敗を続けたのだった。

参戦1976-1996
出走回数326
コンストラクターズタイトル0
ドライバーズタイトル0
優勝回数9
通算獲得ポイント388
表彰台回数50
ポールポジション9
ファステストラップ10

以上、今回は1/43のリジェJS43を実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。