1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はマクラーレンが1985年のF1に参戦するために開発したマクラーレンMP4/2Bを取り上げていきたいと思います。
ザックリ見出し
マシンデータと戦績
まずはマクラーレンMP4/2Bの主要諸元をチェックしてみます。
年式 | 1985年 |
カテゴリー | F1 |
チーム | マクラーレン |
マシン名 | MP4/2B |
デザイナー | ジョン・バーナード |
エンジン | TAGポルシェ |
次にマクラーレンMP4/2Bの戦績を見てみましょう。
コンストラクター | ラウダ | プロスト | ワトソン | |
シーズン順位 | 1位 | 10位 | 1位 | – |
シーズンポイント | 90P | 14P | 73P (76P) | 0P |
優勝 | 6回 | 1回 | 5回 | 0回 |
ポールポジション | 2回 | 0回 | 2回 | 0回 |
ファステストラップ | 6回 | 1回 | 5回 | 0回 |
プロスト初のチャンピオンマシン
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1984年のチャンピオンマシンであるマクラーレンMP4/2を修正を加えたのがマクラーレンMP4/2Bで、実際に前年テスト車両として使用していたMP4/2の4号車も、MP4/2Bに改造され開幕戦に使用されました。
現在のF1マシンは前年のマシンを使用することはなく毎年新車を設計し投入するので、この頃の2年連続して同じマシンを改良して使用することは、現在の概念からするとチョット驚きですね。
ちなみに1986年にチャンピオンになるMP4/2Cに関しては、見た目は似ていますがモノコックは新造されており、流石に当時でも3年連続して同一マシンということは無かったのです。
ラウダとプロストのコンビで参戦した1984年シーズンは、速さで勝るプロストに対しラウダは巧みなレース運びでコンスタントにポイントを稼ぎ、0.5ポイント差でチャンピオンを獲得します。
同様のドライバーラインナップで挑んだ1985年シーズンは、プロストがラウダから学んだチャンピオンシップを見据えての安定したレース運びで、リタイヤが多かった当時のF1としては驚異的なリタイヤ2回(別途 完走後の失格1回)で、自身初のチャンピオンを獲得しました。
そしてラウダはこのMP4/2Bを最後にF1を引退しました。
マクラーレンMP4/2Bのミニカーを実車のように撮る!
それでは1/43のマクラーレンMP4/2Bを撮影していきます。
もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』です。
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マクラーレンMP4/2Bのカーナンバー2はアラン・プロストのマシン。
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当時No.1デザイナーと称されていたジョン・バーナード作。
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長らくフィリップモリスのブランドであるマールボロのサポートを受けていたマクラーレンですが、ミニカーでもタバコ広告規制の影響でMarlboroロゴが入らず、少し物足りない感じですね。
ミニカー会社がタバコ会社から広告料をもらっているわけでもないのに、喫煙を助長するから?
いやいやミニカーを見てタバコを吸いたいとは思わないでしょ!?
当時のマシンを忠実に再現してもらうためにも、ぜひともお願いします。
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スターティンググリッドに移動。
この年は奥に見えるロータスのセナが予選では7度もポールポジションを獲得し、マクラーレンは予選ではセナの陰に隠れて2度のポールポジションに甘んじましたが、レースペースは他のマシンを凌ぎチャンピオンを獲得しました。
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箱型の大きなリヤウイングが当時のマシンの特徴で、マシン下部のディフューザーよりも前後ウイングで、有り余るターボパワーをダウンフォースに変えていました。
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エンジンカウルに書かれたTAGは、マクラーレンの共同オーナーであるマンスール・オジェの会社で、テクニーク・ダバンギャルドの略。
TAGの資金でポルシェにターボエンジンの開発を委託して搭載しました。
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現代の複雑なフロントウィングと比べるとなんともシンプルな形状。
当時はターボパワーでラップタイムを稼いでいたため、空力開発は積極的ではありませんでした。
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以上、1/43のマクラーレンMP4/2Bを実車のように撮影してみました。
今回登場したミニカー
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今回撮影に登場したミニカーを紹介します。
【ixo製】マクラーレンMP4/2B
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デアゴスティーニF1マシンコレクション37号、IXO製です。
【マテル製】フェラーリ156/85
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2012年ごろに購入した、マテル製の通常ラインナップよりも上級のモデルになり、現在は販売されていません。
【ixo製】ロータス97T
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デアゴスティーニF1マシンコレクション13号、IXO製です。
最後に
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最後にポルシェのF1活動について。
ポルシェは1950年代から1960年代にかけてコンストラクターとしてF1に参戦して1勝をあげました。
その後1983年シーズンにマクラーレンからオファーを受けて1.5L V6ターボエンジンを供給し、1987年まで同チームに独占供給をし、5年間の間に3回のドライバーズタイトルと2回のコンストラクターズタイトルに貢献しました。
F1へのエンジンの復帰は1991年。
エンジン供給をめぐりフットワーク(アロウズ)とレイトンハウスが争ったが、フットワークが3,500万ドルを投じて3.5L V12エンジンの供給することになります。
しかしこのエンジンは1987年のシーズンオフにマクラーレンに提案したが大きすぎると断られたいわくつきのエンジンがベースで、6気筒エンジンをふたつつなぎ合わせたエンジンは200kgと重量級で、しかも大きく燃費も悪くさらにはエンジンパワーもライバルに劣っていました。
結局フットワークは3,500万ドルという大枚を叩いたにも関わらず、シーズン途中でポルシェエンジンを諦めてコスワースDFRに載せ換えます。
ポルシェはその1991年以来、F1にエンジンを供給することはありませんでした。
ポルシェのF1活動は、1980年代のターボエンジンの名声と、1991年のNAエンジンの醜聞とふたつの評価があります。
以上、今回は1/43のマクラーレンMP4/2Bを実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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