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マクラーレンMP4/5B F1ブームの主役マシン【ミニカー#6】

こんばんは、モータースポーツ中毒者のぴぴです。

今回はワタクシぴぴのミニカーラインナップから思い出のマシンを1台、紹介したいと思います。

第二次F1ブームの主役

1990年、高校1年生のぴぴさんが野球に明け暮れた青春時代、第二次F1ブームの呼ばれるほど世間ではF1の話題が飛び交っていました。

F1ブームの火付け役は古舘伊知郎。

彼はプロレス実況出身ということもありF1ドライバーをヒーローとヒールに置き換え、F1中継を盛り上げていました。

そして古舘氏は、ブラジル出身の今や伝説のドライバーとなったアイルトンセナと、我が国日本から本場ヨーロッパを席巻したホンダエンジンは、ヒーローに例えました。

今回紹介するマクラーレンMP4/5Bは、その音速の貴公子アイルトンセナとホンダエンジンが、1990年のシーズンを戦ったF1マシンです。

ミニカー紹介

今回撮影に登場するミニカーは以下になります。

マクラーレンMP4/5B #27 アイルトンセナ

デアゴスティーニ『F1マシンコレクション』第25号、『IXO』製です。

フェラーリ641/2 #1 アランプロスト

ミニカーコレクションvol.2で紹介した『マテル』製です。

ベネトンB190 #20 ネルソンピケ

前回のミニカーコレクションvol.5で紹介したデアゴスティーニ『F1マシンコレクション』の第40号で、『IXO』製になります。

撮影

それでは1/43のマクラーレンMP4/5Bを撮影していきます。

今回ももちろんテーマは『実車のように撮る!』です。

この年セナのポールポジションは10回、彼はこの位置がホントに絵になります。

 

ライバルのアランプロスト・ネルソンピケを従えて。

メカニカルグリップよりも、ホンダエンジンのパワーに頼って相当に立てたリヤウイングが印象的です。

 

やはり、この時代のマクラーレンのモデルにMarlboroのステッカーがないのは、かなり違和感がありますね。

 

スポンサー料1億円と当時話題になった、日本の週刊誌『ジャンプ』のスポンサーロゴ。

1990年の日本では、セナと赤白マクラーレンはヒーローだったんです。

 

話題になったバットマンディフューザー。

2018年現在もマクラーレンに在籍するニールオートレイが初めてデザインしたマシンでしたが、空力面では苦労しました。

バットマンディフューザーも見た目はよかったが機能せず、シーズン途中で廃止されました。

最後に

日本がバブル景気で騒いでいた時代、世間ではF1もロクに知らない若い女性が「セナ様〜」と叫んでいたのを思い出します。

そんな中バブル景気の恩恵を受けなかった高校生のぴぴさんは、

「セナを応援するのはミーハー野郎だ。俺たち通はマンセルを応援するんだよ!(←ぴぴの言動意味不明)

と斜に構えていました。

 

1994年5月1日、イタリアのイモラで開催されたサンマリノGPのタンブレロコーナーで息を引き取った天才は、フランクウイリアムズのチームで走っていました。

しかし我々の心の中には、赤と白のマシンに載ったホンダエンジンの有り余るパワーをテクニックでねじ伏せる、彼のドライビングが思い起こされます。

今回取り上げたマクラーレンMP4/5Bは、その後伝説のドライバーとなるアイルトンセナが一番輝いていた時代に乗っていたマシンなのです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。