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F1伝説のカーナンバー【27】を付けて参戦した全ドライバー

モータースポーツ中毒者のぴぴと申します。

カーナンバー【27】は多くのF1ファンに愛されたジル・ヴィルヌーヴが最後につけていた番号として、1982年に特別なカーナンバーとなりました。

さてそのカーナンバー【27】は1981年にフェラーリがそしてジル・ヴィルヌーヴが付ける前はどのチームどのF1ドライバーが付け、伝説のカーナンバーとなった後はどのドライバーに受け継がれていったのか?

そこで今回は歴代カーナンバー【27】のドライバーを見ていきたいと思います。

ヴィルヌーヴの前に【27】を付けたドライバー

チームドライバー
1974年エンバシーヒルガイ・エドワーズ(1-2, 4-9, 11)
ピーター・ゲシン(10)
ロルフ・シュトメレン(12-15)
1975年パーネリマリオ・アンドレッティ
1976年パーネリマリオ・アンドレッティ
1977年リジェジャン=ピエール・ジャリエ(17)
1978年ウィリアムズアラン・ジョーンズ
1979年ウィリアムズアラン・ジョーンズ
1980年ウィリアムズアラン・ジョーンズ

1973年以前のF1のカーナンバーはレース毎に違っていましたが、1974年から『チーム固有ナンバー制』を導入し、前年のコンストラクターズ順位でカーナンバーを決めました。

伝説の27やレッド5 チームナンバー時代主要6チームのカーナンバー推移

1973年当時はマシンを購入しての参戦も許されていましたが、その場合コンストラクターズの順位は与えられず、コンストラクターズ順位が与えられたのはカーナンバー【22】のエンサインまで、そのため【27】はコンストラクターズ順位が無いエンバシーヒルのマシンに割り当てられ、チームのドライバーであるガイ・エドワーズが最初に付けることになります。

エンバシーヒルはそのシーズン中にドライバー変更があり、ピーター・ゲシン、ロルフ・シュトメレンもカーナンバー【27】を付けて参戦しました。

1975年はカーナンバー【27】がパーネリに引き継がれ、後にチャンピオンになるマリオ・アンドレッティが1976年まで付けました。

1977年はリジェが最終戦の日本グランプリでのみ2カー体制とし、その1戦のみジャン=ピエール・ジャリエがカーナンバー【27】を付けます。

転機となったのは1978年、新たにチームを興したフランク・ウィリアムズ率いるウィリアムズのドライバーになったアラン・ジョーンズがカーナンバー【27】を付け、3年目の1980年にチャンピオンを獲得すると、1981年にウィリアムズがカーナンバー【1】を付け、前年カーナンバー【1】を付けていたフェラーリが入れ替わりでカーナンバー【27】を付けることになるのでした。

フェラーリほどの名門チームがなぜ【27】という大きな番号をつけていたのかは、参戦3年目のウィリアムズがチャンピオンになり、それを受け継いだからなんです。

カーナンバー【27】がヴィルヌーヴへ・・・

ジル・ヴィルヌーヴ(1982年)
チームドライバー
1981年フェラーリジル・ヴィルヌーヴ
1982年フェラーリジル・ヴィルヌーヴ(1-5)

1981年にウィリアムズからカーナンバー【27】を受け継いだフェラーリ。

そのフェラーリは1980年の不振を受けてエースのジョディ・シェクターは引退を決め、エースを受け継いだのはフェラーリに残ったジル・ヴィルヌーヴで、カーナンバー【27】を付けることになります。

この年からフェラーリはターボエンジンに変更し、ヴィルヌーヴはその有り余るパワーのマシンをスライドさせながら巧みにコントロールをし、F1ファンは彼の走りにより一層魅了されることになります。

翌1982年、ターボエンジンが熟成されマシンも他のトップチームと遜色ない出来に、ヴィルヌーヴは自身初のチャンピオンを獲得できるチャンスを手に入れました。

事故が起きたのは第5戦、ゾルダーで行われたベルギーグランプリ。

予選終了間際にスローダウンするヨッヘン・マスの右リヤタイヤにヴィルヌーヴの左フロントタイヤが乗り上げ、マシンは宙を舞いコース脇のフェンスに叩きつけられました。

必死の蘇生措置の甲斐もなくヴィルヌーヴは天に召され、その年に付けていたカーナンバー【27】は後世伝説のカーナンバーとなるのでした・・・。

伝説となったカーナンバー【27】を受け継いだドライバー(1980年代)

ミケーレ・アルボレート(1985年)
チームドライバー
1982年フェラーリパトリック・タンベイ(9-16)
1983年フェラーリパトリック・タンベイ
1984年フェラーリミケーレ・アルボレート
1985年フェラーリミケーレ・アルボレート
1986年フェラーリミケーレ・アルボレート
1987年フェラーリミケーレ・アルボレート
1988年フェラーリミケーレ・アルボレート
1989年フェラーリナイジェル・マンセル

ジル・ヴィルヌーヴが天に召された後、フェラーリは当初代わりのドライバーを据えることはしませんでしたが、第9戦からヴィルヌーヴの親友であったパトリック・タンベイが引き継ぐことになります。

タンベイは翌1983年まで【27】を付け、1984年からは久々のイタリア人エース、ミケーレ・アルボレートが引き継ぐことになります。

アルボレートは1984年・1985年とチャンピオンシップに絡む活躍をしますが、マシンの性能不足から徐々に失速し、ベルガーの活躍もあり1988年を最後に5年間所属したフェラーリを離脱します。

ナイジェル・マンセル(1989年)

1989年はナイジェル・マンセルがフェラーリに加入しアルボレートが付けていたカーナンバー【27】を引き継ぎます。

マンセルといえばレッド【5】の印象が強いドライバーですが、1年のみ【27】を付けて参戦していたのですね。

次のページでは、1990年代以降のカーナンバー【27】を、そして最後はカーナンバー【27】使用年数ランキングをご覧いただきます。

トップはもちろんあのチーム、そしてドライバーは意外な人でした!

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奥が深いモータースポーツ撮影の世界
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モータースポーツ撮影歴18年。腕に覚えは全く無いが、知識だけは豊富なワタクシぴぴが、レース撮影について偉そうに解説します。




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モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。 一眼レフデビューは2001年頃、CANON EOS7(フィルム機)。腕に覚えは全くないが、年数だけはそこそこ長い。 【一眼レフ遍歴】 CANON EOS 7 → CANON EOS kiss N → CANON EOS 60D → CANON EOS 7D MarkⅡ → CANON EOS 5D MarkⅣ & SONY α7R Ⅲ 【所有カメラ】 CANON EOS 5D MarkⅣ SONY α7R Ⅲ SONYサイバーショット DSC-RX1R 【所有レンズ】 CANON EF100mm-400mm f/4.5-5.6L IS Ⅱ USM CANON EF70-200mm f/2.8L IS Ⅱ USM CANON EF24mm-70mm f/4L IS USM CANON EF50mm f/1.2L USM CANON EF85mm f/1.4L IS USM SONY FE24-105mm F4 G OSS