2023年のスーパーフォーミュラ第1戦。レッドブルが送り込んだリアム・ローソン選手が見事優勝!日本トップフォーミュラに於いて、デビューレースでの優勝は数十年ぶりの快挙でした。
この若きレーシングドライバーは間違いなく数年後にグランプリに参戦し、成功を収めるものと確信。翌日に行われた第2戦を急遽観覧に出かけました。
素晴らしい走りで結果は3位チェッカー。残念ながら5秒加算ペナルティで5位になりましたが、驚異的なレースペースが実に印象的でした。
そんなリアム・ローソン選手は近い将来F1に参戦して、優勝を遂げるドライバーだと感じました。
さて、そんな日本のトップフォーミュラに参戦したドライバーで、その後F1で優勝を遂げたドライバーがいるのか?
ミハエル・シューマッハ選手や、最近だと2020年のイタリアグランプリで優勝したピエール・ガスリー選手が有名ですが、調べてみると・・・いました!14人も!!
ということで、今回はF1で優勝した日本トップフォーミュラ出身の14人のドライバーをすべて紹介します。
ジャック・ラフィット
1970年代から1980年代にかけてF1で活躍しリジェの黄金期を支えたシャック・ラフィット選手。そんな彼は日本のトップフォーミュラが全日本F2000選手権と呼ばれた時代に来日し、スポット参戦をした経験があります。
参戦したのは1975年と1976年のともに最終戦で、すでにF1ドライバーとして活躍していた頃でした。当時はF1以外に他のカテゴリーにも参戦するドライバーが多く、ラフィット選手も招待選手としての参戦だと思われます。
結果は1975年の初参戦で7位。そして1976年には優勝を果たし、才能を見せつけました。
パトリック・タンベイ
F1優勝回数:2
日本トップフォーミュラ参戦
- 1977年全日本F2000選手権 第5戦(スポットエントリー)
F1で2度の優勝を記録しているパトリック・タンベイ選手も、日本トップフォーミュラが全日本F2000選手権と呼ばれていた1977年にスポット参戦をしています。
参戦をしたのは1977年の6月に行われた第5戦の富士スピードウェイ戦で、直後の7月にサーティースからF1デビューを果たしています。
ちなみに全日本F2000に参戦した時のチームはセオドールと記載されており、タンベイ選手はF1でサーティースからデビューした翌戦からセオドールに移籍し最終戦日本グランプリにも同チームから参戦しています。
ということはセオドールが富士スピードウェイを熟知するために日本に送り込んだのでしょうか。
ディディエ・ピローニ
F1優勝回数:3
日本トップフォーミュラ参戦
- 1977年全日本F2000選手権 第8戦(スポットエントリー)
- 1978年全日本F2選手権 第7戦(スポットエントリー)
- 1979年全日本F2選手権 第7戦(スポットエントリー)
フェラーリドライバーとして、いい意味でも悪い意味でもF1史に名を残したドライバー、ディディエ・ピローニ選手も日本のトップフォーミュラに参戦した実績があります。
初参戦は全日本F2000選手権時代の1977年最終戦JAF鈴鹿グランプリ。
雨の中3年落ちのマーチ742で予選9位から中嶋悟選手や星野一義選手など日本のトップドライバーをごぼう抜き。リタイヤした28周目までトップを独走し、才能を日本のファンに披露しました。
ピローニ選手は翌年からF1に参戦しますが、その後も1978年と1979年の全日本F2選手権にもエントリー(ともにリタイヤ)をしています。
ケケ・ロズベルグ
F1優勝回数:5
日本トップフォーミュラ参戦
- 1977年全日本F2000選手権 第8戦(スポットエントリー)
- 1979年全日本F2選手権 第1戦 第7戦(スポットエントリー)
日本のトップフォーミュラに参戦したドライバーの中でその後F1世界王者になったドライバーが2人いますが、そのひとりが1982年のF1王者ケケ・ロズベルグ選手です。
ロズベルグ選手はF1デビューが29歳と下積み時代が長く、ヨーロッパF2選手権に参戦しながらCan-Amやフォーミュラアトランティック、フォーミュラパシフィックなどにも参戦。
日本のトップフォーミュラには1977年の全日本F2000選手権に初エントリー。F1ドライバーとなった後の1979年の全日本F2選手権には開幕戦と最終戦にエントリーしています。
ちなみにケケ選手の息子、ニコ・ロズベルグ選手も2016年にF1世界王者です。
リカルド・パトレーゼ
F1優勝回数:6
日本トップフォーミュラ参戦
- 1977年全日本F2000選手権 第8戦(スポットエントリー)
- 1978年全日本F2選手権 第7戦(スポットエントリー)
さて、ここからはF1ブーム世代にとって懐かしい名前が出てきます。まずはリカルド・パトレーゼ選手。
1970年代後半から1990年代前半までF1で活躍したパトレーゼ選手は、1977年にシャドウからF1にデビューしたこの年の最終戦、全日本F2000選手権にエントリーしています。
結果はデビュー戦にしてなんと優勝。初めて走る鈴鹿サーキットを見事に攻略しました。
それにしてもこの1977年全日本F2000選手権最終戦JAF鈴鹿グランプリは、このパトレーゼ選手とロズベルグ選手、そしてピローニ選手と、後にF1優勝を果たすドライバーが3人も出場していた超豪華な面々だったのですね。
ルネ・アルヌー
F1優勝回数:7
日本トップフォーミュラ参戦
- 1978年全日本F2選手権 第5戦 第7戦(スポットエントリー)
日本トップフォーミュラに出場したドライバーの中で、F1優勝回数がもっとも多いのがルネ・アルヌー選手で、その数はなんと7度。
F1ブーム時代には古舘伊知郎さんから『妖怪とうせんぼジジイ』と呼ばれたドライバーなので、この勝利数はちょっと意外かも・・・。
そんなアルヌー選手はF1デビューした1978年に、その合間を縫い全日本F2選手権に2度(第5戦と第7戦)エントリー。F1デビューチームと同じマルティニからの参戦でした。
結果はリタイヤと10位に終わりました。
ティエリー・ブーツェン
F1優勝回数:3
日本トップフォーミュラ参戦
- 1981年全日本F2選手権 第2戦 第3戦 第5戦
- 1982年全日本F2選手権 第5戦 第6戦(スポットエントリー)
1980年代から1990年代前半までベネトンやウィリアムズなどトップチームで活躍したティエリー・ブーツェン選手も、F1にデビューする直前の1981年から1982年にかけて全日本F2選手権に参戦していました。
今まで挙げたドライバーのように完全なスポット参戦ではなく、ヨーロッパF2選手権の合間を縫い、2年で5レースに参戦し、1981年最終戦では中嶋悟選手に次ぐ2位表彰台を獲得しています。
そういえば2019年の鈴鹿サウンドオブエンジンにゲスト出場した際、インタビューで中嶋悟選手や星野一義選手が非常に手強かったと、当時のことを語ってくれました。
ちなみにこのイベントではデモ走行にも参加し、中嶋悟選手のロータス101をドライブしてくれました。ベルギー国旗をオマージュしたヘルメットが懐かしい!
次のページではF1ブームで活躍したドライバーが続々登場します!
F1優勝回数:6
日本トップフォーミュラ参戦