現在のF1はルイス・ハミルトンの44やセバスチャン・ベッテルの5など、ドライバーごとにカーナンバーが与えられていますが、1995年までのF1のカーナンバーといえば、チームごとにナンバーが与えられていました。
フェラーリの27やウィリアムズの5、ティレルの3が特に有名でしたよね。
ただ70年代のフェラーリは11や12を付けていたし、ウィリアムズやマクラーレンが27を付けていた時代もありました。
ちょっと待って、名門フェラーリが何で一桁ではなく、なぜ大きな数字を背負っているのでしょうか?
マンセルのウィリアムズって、レッド5だけじゃなくレッド2もあったよね?
そこで今回は、1995年までのチーム固有ナンバー制時代のカーナンバーのルールや、フェラーリ・マクラーレン・ウィリアムズ・ロータス・ブラバム・ティレルの主要6チームのカーナンバーの推移や使用年数について調べてみました。
ザックリ見出し
チーム固有ナンバー制は1974年から1995年
1973年以前のF1のカーナンバーは、レース毎のエントリー順で決められていましたが、1974年より『チーム固有ナンバー制』が導入され、1973年のコンストラクターズランキングからカーナンバーを割り振りました。
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | ロータス |
3・4 | ティレル |
5・6 | マクラーレン |
7・8 | ブラバム |
9・10 | マーチ |
11・12 | フェラーリ |
14・15 | BRM |
16・17 | シャドウ |
18・19 | サーティース |
20・21 | イソ・マールボロ (旧ウィリアムズ) |
上記が、1974年最初に割り振られたチーム固有ナンバー、いわば元祖のカーナンバーですね。
カーナンバー1は、前年のドライバーズチャンピオンが付けることになっており、そのチームメイトがカーナンバー2を付けます。
1974年は、前年のドライバーズチャンピオンであるジャッキー・スチュワートが出走しなかったため、前年のコンストラクターズチャンピオンであるロータスがカーナンバー1・2を使用。チーム固有ナンバー制の晩年のレギュレーションで当てはめると、ティレルがカーナンバー0・2を使用することになるのだが・・・。
そしてチャンピオンを陥落すると、基本的に次のドライバーズチャンピオンが付けていたチームのカーナンバーと入れ替わります。
そのため前年のチャンピオンが所属しない限り、そのチームは参戦を続けるまで同じカーナンバーを使用することになります。
1974年から1995年まで前年のドライバーズチャンピオンが所属しなかったティレルが、その例になりますね。
チーム固有ナンバー制は1995年までで、1996年からはカーナンバー3以降は前年のコンストラクターズ順位に応じて付けられるようになりました。
それではフェラーリ・マクラーレン・ウィリアムズ・ロータス・ブラバム・ティレルの主要6チームの、チーム固有ナンバー制時代(1974-1995)のカーナンバー推移とナンバーごとの使用年数を見てみましょう。
フェラーリのカーナンバー推移と使用年数
年度 | カーナンバー |
---|---|
1974-1975 | 11・12 |
1976 | 1・2 |
1977-1879 | 11・12 |
1980 | 1・2 |
1981-1989 | 27・28 |
1990 | 1・2 |
1991-1995 | 27・28 |
カーナンバー | 使用年数 |
---|---|
27・28 | 14年 |
11・12 | 5年 |
1・2 | 3年 |
フェラーリのカーナンバーといえば伝説の27が思い起こされますよね。
ただ名門チームであるはずのフェラーリがなぜ、シングルナンバーではなく二桁台の、ましてや27を使用していたのか?
カーナンバー11・12に関しては1973年のコンストラクターズランキングで5位と低迷したため、チーム固有ナンバーが与えられた1974年に二桁台の大きな数字になってしまいました。
カーナンバー27・28については、当時新興チームであったウィリアムズのアラン・ジョーンズが1980年にチャンピオンを獲得し、翌年もウィリアムズに所属したため、1980年にフェラーリが付けていたカーナンバー1・2を1981年からウィリアムズに、1980年にウィリアムズが付けていたカーナンバー27・28を1981年からフェラーリが譲り受けた、という経緯です。
どおりで新チームらしい大きな番号なんですね。
そして1982年、そのアグレッシブな走りから、エンツォ・フェラーリやティフォシだけでなく世界中の多くのファンに愛された英雄ジル・ビルヌーブが、ベルギーのゾルダーで命を落としました。
その時に付けていたカーナンバーが27で、以来カーナンバー27はF1ファンの誰もが知る伝説のカーナンバーになりました。
その後、チャンピオンを獲得できなかったフェラーリは1989年までカーナンバー27・28を使用し続けました。
1990年にカーナンバー1・2を、前年マクラーレンでドライバーズチャンピオンを獲得したアラン・プロストが持ってきましたが、善戦虚しく1年で返上し、再びカーナンバー27・28に戻りました。
都合14年もの間フェラーリが付け、ジル・ビルヌーブ伝説とも相まって、フェラーリ=27・28というカーナンバーが定着しました。
2014年以降はドライバーごとに固有の番号が与えられるようになり、伝説のカーナンバー27はニコ・ヒュルケンベルグが獲得した。理由は本人の誕生日である8月19日を足した数だから・・・おい!ビルヌーブの番号を欲しかったんじゃないんかい!そのヒュルケンベルグが2019年を最後にF1から撤退することが濃厚ということで、そのカーナンバーがクリアになる2021年に誰がカーナンバー27を指名するのか注目が集まる。
マクラーレンのカーナンバー推移と使用年数
年度 | カーナンバー |
---|---|
1974 | 5・6 |
1975 | 1・2 |
1976 | 11・12 |
1977 | 1・2 |
1978-1984 | 7・8 |
1985-1987 | 1・2 |
1988 | 11・12 |
1989 | 1・2 |
1990 | 27・28 |
1991-1992 | 1・2 |
1993-1995 | 7・8 |
カーナンバー | 使用年数 |
---|---|
7・8 | 10年 |
1・2 | 8年 |
11・12 | 2年 |
5・6 | 1年 |
27・28 | 1年 |
フェラーリに次ぐ名門チームといえばマクラーレンですが、そのマクラーレンで特筆すべきはチャンピオンナンバーであるカーナンバー1・2を、この22年の間に8年間も付けていたことです。
そのためマクラーレンはカーナンバーが固定することなく、名門チームの中では一番多くカーナンバーが変わったチームで、マクラーレン=カーナンバー〇〇というイメージが無く、あえて言うならマクラーレン=カーナンバー1・2でしょうか。
カーナンバー11・12は1976年と1988年の2年のみの使用でしたが、1976年は名車M23でジェームス・ハントがチャンピオンに、1988年はMP4/4でアイルトン・セナがチャンピオンに輝き、マクラーレンにとって縁起の良い番号です。
気になったこととして1993年、ウィリアムズにチャンピオンナンバーを譲り、ウィリアムズが付けていたカーナンバー5・6を装着するかに思われましたが、あえてカーナンバー7・8を選択しました。
ウィリアムズのカーナンバー推移と使用年数
年度 | カーナンバー |
---|---|
1978 | 27 |
1979-1980 | 27・28 |
1981 | 1・2 |
1982 | 5・6 |
1983 | 1・2 |
1984-1992 | 5・6 |
1993-1994 | 0・2 |
1995 | 5・6 |
カーナンバー | 使用年数 |
---|---|
5・6 | 11年 |
27(・28) | 3年 |
1・2 | 2年 |
0・2 | 2年 |
※ フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズは含まない
今回の主要6チームの中では一番の新参チームであるウィリアムズは、1974年のチーム固有ナンバー制の制定時には存在していませんでした。
フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズとウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング・リミテッドは別チームと考える
1978年に新規参戦したウィリアムズは、新興チームらしく大きなナンバーであるカーナンバー27でサウジマネーとともに大躍進を遂げ、1980年にドライバーズチャンピオンを奪取し、翌年カーナンバー1・2を獲得します。
その後ブラバムにチャンピオンナンバーを明け渡してからは、ブラバムが付けていたカーナンバー5・6を装着し、あのナイジェル・マンセルのレッド5伝説に繋がるのです。
マンセルは1985年から1988年、1991年から1992年まで6年間ウィリアムズに在籍し、そのいずれもで赤く塗られたカーナンバー5を使用し、そのアグレッシブなドライビングから私も含めた多くのファンを魅了し続けました。
ちなみにウィリアムズは1984年のジャック・ラフィーや1989年1990年のティエリー・ブーツェンもカーナンバー5を使用しましたが、いずれも通常のホワイトで、レッド5はマンセルだけのものでした。
1993年、前年のドライバーズチャンピオンであるナイジェル・マンセルがF1から去ったため、カーナンバー1はどのチームにも引き継がれず、前年チャンピオン所属のウィリアムズにはカーナンバー0・2が与えられ、同じく1994年も前年ドライバーズチャンピオンのアラン・プロストが引退したため、2年連続でカーナンバー0・2を装着しました。
1994年チャンプカーに出場していたマンセルは、シリーズの合間を縫って4戦のみスポット出場をしたが、その時のカーナンバーはレッド2だった。
ロータスのカーナンバー推移と使用年数
年度 | カーナンバー |
---|---|
1974 | 1・2 |
1975-1978 | 5・6 |
1979 | 1・2 |
1980-1987 | 11・12 |
1988 | 1・2 |
1989-1994 | 11・12 |
カーナンバー | 使用年数 |
---|---|
11・12 | 14年 |
5・6 | 4年 |
1・2 | 3年 |
ロータスのカーナンバーといえば、グランドエフェクトの元祖である名車ロータス78や79で使用されていたカーナンバー5・6が、世界的には知名度があります。
ただ私たちF1ブーム世代は、中嶋悟さんがデビューし雨のオーストラリアグランプリでファステストラップを記録した時に付けていた、カーナンバー11・12が印象に残っているのではないでしょうか。
ブラバムのカーナンバー推移と使用年数
年度 | カーナンバー |
---|---|
1974-1977 | 7・8 |
1978 | 1・2 |
1979-1981 | 5・6 |
1982 | 1・2 |
1983 | 5・6 |
1984 | 1・2 |
1985-1992 | 7・8 |
カーナンバー | 使用年数 |
---|---|
7・8 | 12年 |
5・6 | 4年 |
1・2 | 3年 |
ブラバムは1974年のチーム固有ナンバー設定時、カーナンバー7・8を割り当てられました。
その後1978年に、前年フェラーリでドライバーズチャンピオンを獲得したニキ・ラウダがカーナンバー1を持って加入します。
余談ですが、あのBT46B通称ファンカーはこの年のマシンですよね。
ブラバムが実力でカーナンバー1を獲得したのは、1981年と1983年にネルソン・ピケのドライブによってもたらされましたが、この時に付けていたカーナンバーは6でしたね。
しかし私の中ではブラバムといえばカーナンバー7・8が印象に残っています。
ティレルのカーナンバー推移と使用年数
年度 | カーナンバー |
---|---|
1974-1995 | 3・4 |
カーナンバー | 使用年数 |
---|---|
3・4 | 22年 |
ティレルのカーナンバーといえば中嶋悟さんや片山右京さんも付けたカーナンバー3と4です。
前述しましたが、ティレルは1974年以来前年のドライバーズチャンピオンが所属することはなかったため、チーム固有ナンバー制では常にカーナンバー3・4を付けていました。
主要5チームのカーナンバー別推移
上記のとおり、チーム固有ナンバー制時代はティレルを除く5チームがカーナンバー1・2を付けました。
ということは、その5チームの中でカーナンバーが巡っていた※と考えられます。
※ 1995年のベネトンを除く
そこで、今度はカーナンバーを基準にして推移を見ていきましょう。
1・2 | 5・6 | 7・8 | 11・12 | 27・28 | |
---|---|---|---|---|---|
1974 | ロータス | マクラーレン | ブラバム | フェラーリ | – |
1975 | マクラーレン | ロータス | ブラバム | フェラーリ | – |
1976 | フェラーリ | ロータス | ブラバム | マクラーレン | – |
1977 | マクラーレン | ロータス | ブラバム | フェラーリ | – |
1978 | ブラバム | ロータス | マクラーレン | フェラーリ | ウィリアムズ |
1979 | ロータス | ブラバム | マクラーレン | フェラーリ | ウィリアムズ |
1980 | フェラーリ | ブラバム | マクラーレン | ロータス | ウィリアムズ |
1981 | ウィリアムズ | ブラバム | マクラーレン | ロータス | フェラーリ |
1982 | ブラバム | ウィリアムズ | マクラーレン | ロータス | フェラーリ |
1983 | ウィリアムズ | ブラバム | マクラーレン | ロータス | フェラーリ |
1984 | ブラバム | ウィリアムズ | マクラーレン | ロータス | フェラーリ |
1985 | マクラーレン | ウィリアムズ | ブラバム | ロータス | フェラーリ |
1986 | マクラーレン | ウィリアムズ | ブラバム | ロータス | フェラーリ |
1987 | マクラーレン | ウィリアムズ | ブラバム | ロータス | フェラーリ |
1988 | ロータス | ウィリアムズ | ブラバム | マクラーレン | フェラーリ |
1989 | マクラーレン | ウィリアムズ | ブラバム | ロータス | フェラーリ |
1990 | フェラーリ | ウィリアムズ | ブラバム | ロータス | マクラーレン |
1991 | マクラーレン | ウィリアムズ | ブラバム | ロータス | フェラーリ |
1992 | マクラーレン | ウィリアムズ | ブラバム | ロータス | フェラーリ |
1993 | ウィリアムズ | – | マクラーレン | ロータス | フェラーリ |
1994 | ウィリアムズ | – | マクラーレン | ロータス | フェラーリ |
1995 | – | ウィリアムズ | マクラーレン | – | フェラーリ |
※ ウィリアムズの1992年・1993年は0・2
1985年以降のマクラーレンの強さ、それに対してフェラーリ・ロータス・ブラバムの低迷ぶり・・・。
表にするとよくわかりますね。
ちなみに1988年のロータスのカーナンバー1は、前年ウィリアムズでチャンピオンを取ったネルソン・ピケが移籍とともに持ってきたもので、1990年のフェラーリのカーナンバー1も、同様にアラン・プロストが前年マクラーレンでチャンピオンを取ってフェラーリに持ってきたものなので、実力でもぎ取ったものではありません。
主要6チームの年度別カーナンバー推移(1974-1995)
最後にカーナンバーの移り変わりを、年度ごとフェラーリ・マクラーレン・ウィリアムズ・ロータス・ブラバム・ティレルの名門6チームに絞って見ていきましょう。
ちなみにカーナンバーが前年から変更した場合は、赤字にしてあります。
1974年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | ロータス |
3・4 | ティレル |
5・6 | マクラーレン |
7・8 | ブラバム |
11・12 | フェラーリ |
20・21 | イソ・マールボロ (旧ウィリアムズ) |
1975年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | マクラーレン |
3・4 | ティレル |
5・6 | ロータス |
7・8 | ブラバム |
11・12 | フェラーリ |
20・21 | 旧ウィリアムズ |
1976年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | フェラーリ |
3・4 | ティレル |
5・6 | ロータス |
7・8 | ブラバム |
11・12 | マクラーレン |
20・21 | 旧ウィリアムズ |
1977年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | マクラーレン |
3・4 | ティレル |
5・6 | ロータス |
7・8 | ブラバム |
11・12 | フェラーリ |
20 | ウルフ (旧ウィリアムズを買収) |
1978年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | ブラバム |
3・4 | ティレル |
5・6 | ロータス |
7・8 | マクラーレン |
11・12 | フェラーリ |
27 | ウィリアムズ |
1979年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | ロータス |
3・4 | ティレル |
5・6 | ブラバム |
7・8 | マクラーレン |
11・12 | フェラーリ |
27・28 | ウィリアムズ |
1980年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | フェラーリ |
3・4 | ティレル |
5・6 | ブラバム |
7・8 | マクラーレン |
11・12 | ロータス |
27・28 | ウィリアムズ |
1981年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | ウィリアムズ |
3・4 | ティレル |
5・6 | ブラバム |
7・8 | マクラーレン |
11・12 | ロータス |
27・28 | フェラーリ |
1982年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | ブラバム |
3・4 | ティレル |
5・6 | ウィリアムズ |
7・8 | マクラーレン |
11・12 | ロータス |
27・28 | フェラーリ |
1983年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | ウィリアムズ |
3・4 | ティレル |
5・6 | ブラバム |
7・8 | マクラーレン |
11・12 | ロータス |
27・28 | フェラーリ |
1984年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | ブラバム |
3・4 | ティレル |
5・6 | ウィリアムズ |
7・8 | マクラーレン |
11・12 | ロータス |
27・28 | フェラーリ |
1985年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | マクラーレン |
3・4 | ティレル |
5・6 | ウィリアムズ |
7・8 | ブラバム |
11・12 | ロータス |
27・28 | フェラーリ |
1986年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | マクラーレン |
3・4 | ティレル |
5・6 | ウィリアムズ |
7・8 | ブラバム |
11・12 | ロータス |
27・28 | フェラーリ |
1987年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | マクラーレン |
3・4 | ティレル |
5・6 | ウィリアムズ |
7・8 | ブラバム |
11・12 | ロータス |
27・28 | フェラーリ |
1988年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | ロータス |
3・4 | ティレル |
5・6 | ウィリアムズ |
7・8 | ブラバム |
11・12 | マクラーレン |
27・28 | フェラーリ |
1989年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | マクラーレン |
3・4 | ティレル |
5・6 | ウィリアムズ |
7・8 | ブラバム |
11・12 | ロータス |
27・28 | フェラーリ |
1990年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | フェラーリ |
3・4 | ティレル |
5・6 | ウィリアムズ |
7・8 | ブラバム |
11・12 | ロータス |
27・28 | マクラーレン |
1991年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | マクラーレン |
3・4 | ティレル |
5・6 | ウィリアムズ |
7・8 | ブラバム |
11・12 | ロータス |
27・28 | フェラーリ |
1992年主要6チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | マクラーレン |
3・4 | ティレル |
5・6 | ウィリアムズ |
7・8 | ブラバム |
11・12 | ロータス |
27・28 | フェラーリ |
※ この年限りでブラバム撤退
1993年主要5チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
0・2 | ウィリアムズ |
3・4 | ティレル |
5・6 | (ベネトン) |
7・8 | マクラーレン |
11・12 | ロータス |
27・28 | フェラーリ |
※ブラバム撤退でカーナンバー5・6はベネトンへ、マクラーレンは7・8を選択
1994年主要5チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
0・2 | ウィリアムズ |
3・4 | ティレル |
5・6 | (ベネトン) |
7・8 | マクラーレン |
11・12 | ロータス |
27・28 | フェラーリ |
※この年限りでロータス撤退
1995年主要4チームのカーナンバー
カーナンバー | コンストラクター |
---|---|
1・2 | (ベネトン) |
3・4 | ティレル |
5・6 | ウィリアムズ |
7・8 | マクラーレン |
27・28 | フェラーリ |
最後に
今回はチーム固有ナンバー制時代のフェラーリ・マクラーレン・ウィリアムズ・ロータス・ブラバム・ティレル主要6チームのカーナンバー推移について書いてみましたが、いかがだったでしょうか?
フェラーリが27と言う大きなカーナンバーを付けていたのが、当時まだ新興チームだったウィリアムズからもたらされ、ジル・ビルヌーブの事故によって神格化されました。
その後の低迷もあり、長らくフェラーリの27は同チームのエースナンバーとなった、と言うことがわかりました。
マクラーレンはこの期間、最も多くのドライバーズチャンピオンを獲得し、陥落とともに様々なカーナンバーを付けたため、ナンバーが安定しなかったという経緯があったのですね。
ウィリアムズは、無冠の帝王ナイジェル・マンセルが6年もカーナンバー5を付け、カーナンバー5はウィリアムズというよりマンセルのナンバーとして定着しました。
そういえばマンセルは、ウィリアムズを去った翌年チャンプカーでもレッド5を付けましたね。
ロータスは低迷期に長らく11・12を付けたので、世界的にはロータスのカーナンバーとして印象が薄いのかもしれませんが、日本においては中嶋悟さんが付けた番号(1988年はカーナンバー2だが)として愛着があります。
私がF1を見始めた1989年以降、ブラバムは予選もまともに通過できない弱小チームでしたが、まだF1の知識が浅い私でもシングルのカーナンバーで名門チームだとわかりました。
そしてティレルは、チーム固有ナンバー制時代の1974年から1995年まで、全ての年でカーナンバー3・4を付けてエントリーしました。
今回はそんな古き良き時代の、F1カーナンバーについて書いてみました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
他にもカーナンバーに関する記事を書いていますので、よかったらご一緒にご覧下さい。