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ヤマハコミュニケーションプラザへ行ってきた!【ジョーダンヤマハ編】

前回の『ヤマハコミュニケーションプラザへ行ってきた!【WGP/MotoGPマシン編】』につづき、今回は【ジョーダンヤマハ編】になります。

新型コロナウイルスの影響で昨年の『スーパーGT×DTM特別交流戦』以来モータースポーツイベントは延期や無観客開催になり、レーシングマシンを観る機会がなくなり、私はストレスが溜まるばかり。

そこで地元静岡県でレーシングマシンを観れる場所、ヤマハコミュニケーションプラザで1992年のF1マシンであるジョーダンヤマハを観てきました。

ヤマハ発動機のF1活動

2輪メーカーとして日本が世界に誇るヤマハ発動機ですが、古くからレーシングエンジンの開発も行なっており、4輪レースの最高峰であるF1世界選手権にもチームにエンジンを供給していた時代がありました。

供給チーム搭載エンジン出走数獲得ポイント
1989年ザクスピードOX88160
1991年ブラバムOX99163
1992年ジョーダンOX99161
1993年ティレルOX10A160
1994年ティレルOX10B1613
1995年ティレルOX10C175
1996年ティレルOX11A165
1997年アロウズOX11A179

1989年に3.5L V8エンジンを鈴木亜久里が所属したザクスピードへ供給しましたが、予備予選すらも通過できずに、この年限りでいったん撤退をしますが、1990年に復帰し、ブラバムへ3.5L V12エンジンを供給し2度の入賞を記録します。

1992年には参戦2年目のジョーダンへ供給しますが、獲得ポイントは1ポイントのみと、成績はふるいませんでした。

1993年には3.5L V10エンジンを開発し、1994年にはドライバーの片山右京やマーティン・ブランドルが上位を走行し、ブランドルの3位表彰台を含む13ポイントを獲得し、ヤマハのF1活動では最高の成績をあげました。

ティレルとは1996年までの4年間タッグを組み、1997年にアロウズへ供給し、ヤマハF1活動は8年間で終了しました。

ジョーダンヤマハをじっくり堪能!

今回訪れたヤマハコミュニケーションプラザには、1992年に供給したジョーダンのマシンが展示されています。

新型コロナウイルス蔓延による休止から再開したばかりのヤマハコミュニケーションプラザは、コロナ禍による県をまたいでの移動の自粛と平日ということで観覧客は地元民の私ひとり、ということでじっくり観ていくことにしましょう。

ジョーダンといえば、ヤマハが1992年の1年のみ供給したチームですね。

同じく1年のみの鮮やかなブルーのSASOLカラーも、前年のアイリッシュグリーンに負けず劣らず美しいカラーリングです。

そして流れるようなノーズのデザイン。

いやー美しい!

このマシン何かおかしいぞ!?

そしてこのフロントウィング・・・。

んっ!

あれっ!

なんかおかしいぞ、このマシン!

1992年のジョーダン192はこんなに美しいウィング形状ではなかったはず・・・。

ノーズももっと高かったし、フロントウィングももっと曲線基調だった!

あっ特徴的なこのリヤディフューザーは!!

実態はテスト車両のジョーダン191Y

間違いない、このマシンは1991年のジョーダン191に1992年のカラーリングを施したマシンです!

こちらが元のジョーダン191のカラーリングです。

調べてみるとこのマシンは、本来フォードHB V8エンジンを搭載していたジョーダン191に、ヤマハOX99 V12エンジンを搭載したジョーダン191Yで、1992年シーズンを前に黒澤琢弥選手がテストを行っていたテストマシンらしい。

それにしてもV8エンジンを搭載するために設計したマシンに、よくもまあ大きく重いV12エンジンを載せたものだと感心させられます。

排気管の取り回しも苦労した跡がうかがえます。

エンジン搭載の完全体の展示は貴重

F1マシンの展示車両は、エンジンが搭載されていない、いわゆるドンガラのショーカーという場合が多く見られます。

しかしこのマシンの主役はエンジン。

そのためショーカーではなくエンジン搭載の完全体として、マシンを堪能できるのもファンとしては嬉しい限りです。

ハイノーズ極初期のF1マシン

F1マシンがハイノーズになったのもこの頃で、ジョーダン191Yも控えめではありますが、ノーズの下に空気を取り入れるよう設計されています。

こんな接近したアングルからお腹の下を撮影できるのも、ヤマハコミュニケーションプラザならではの素晴らしい点です。

ジョーダン191Y接写ギャラリー

ジョーダン191Y最後は各部を接写してみます。

※写真をクリックするとアップになります。

ヒルがトップを快走したアロウズ搭載のヤマハOX11Aも展示

ジョーダンヤマハの隣には、1997年製OX11Aエンジンも展示されていました。

供給先はアロウズで、カーナンバー【1】を付けた前年度のチャンピオンであるデーモン・ヒルがドライブし、第11戦のハンガリーグランプリでは予選3位からスタートし序盤にシューマッハをオーバーテイクしてからは数十周に渡りトップを快走し、終盤にギアボックスが壊れなければヤマハF1活動で初の優勝を成し得ていたであろうあのエンジンです。

結局ヤマハはこの年を最後にF1活動を終了・・・もう撤退して20年以上になるのですね。

最後に

モータースポーツイベントが軒並み延期や無観客での開催で、レーシングマシンを間近でみる機会がなく悶々としていましたが、今回はWGPやMotoGPのマシン、そして往年のジョーダンヤマハを観ることができて満足の一日でした。

『ホンダコレクションホール』『スズキ歴史館』につづき今回の『ヤマハコミュニケーションプラザ』は自動車/バイクメーカーの企業博物館は3度目の観覧でした。

ホンダコレクションホールはF1やインディカー、WGPマシンなど、モータースポーツにチカラを入れているメーカーだけあり、モータースポーツファンの誰が訪れても満足できる国内屈指の規模を誇る博物館です。

スズキ歴史館はモータースポーツの展示マシンは少ないながらも、比較的新しい博物館で、見せる展示を意識した家族で楽しめる博物館です。

そして今回のヤマハコミュニケーションプラザは規模は2つのメーカーに比べると小さいながらも、往年の名マシンが至近距離から観覧できる素晴らしい博物館で、ぜひ機会があればまた訪れてみたいと思いました。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。