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【新人の当たり年は何年?】F1デビューシーズン別ドライバー生涯成績表(2000年代編)

F1には毎年新人ドライバーが参戦をする。

デビューからトップチームに所属するドライバーもいるが、大抵は下位チームでデビューし、のちにトップチームに移籍したキャリア中盤以降に活躍する者も少なくない。

そう、成功するかどうかは数年後に分かるのだ。

そこで『F1デビューシーズン別ドライバー成績表』と題し、前回の1990年代に引き続き、今回は2000年代にデビューした新人のその後の活躍をシーズン毎に見てみた。

はたして新人の当たり年は、何年のシーズンだったのか?

1990年代編はこちら↓

表の説明
・チャンピオン獲得ドライバーを赤字で、優勝ドライバーを太字で記載
・ドライバーの成績は2020年シーズン終了時
・2021年現在現役の乳ライバーは※印を表記

2000年デビュードライバーの生涯成績

ドライバー出走PP優勝表彰台FLpts
N.ハイドフェルド18510132259
J.バトン3098155081235
L.ブルティ1500000
G.マッツァカーネ2100000

2000年デビューのドライバーとしては、ジェンソン・バトンが見事F1ワールドチャンピョンになっている。

ウィリアムズでデビューしたバトンは、ベネトン、ルノーを経て、2003年にBARに移籍すると、2006年にBARを買収したホンダで初優勝(ハンガリーグランプリ)を遂げる。

そして、ホンダ撤退後に引き継いだブラウンGPにて2009年のワールドチャンピオンに輝く。

その後もマクラーレンに移籍して、グランプリ優勝を重ねた。

また同年にデビューしたドライバーとしては、ニック・ハイドフェルドも優勝こそできなかったが、多くのポイントを稼いだ名脇役だった。

2001年デビュードライバーの生涯成績

ドライバー出走PP優勝表彰台FLpts
F.アロンソ314223297231899
T.エンゲ300000
E.ベルノルディ2900000
F.パブロ・モントーヤ951373012307
A.ユーン1800000
K.ライコネン3321821103461863

6人のドライバーがデビューした2001年は、ふたりのチャンピオンドライバーを輩出した。

まず一人目はフェルナンド・アロンソ。

この年ミナルディでデビューしたアロンソは、翌年にルノーのテストドライバーとして一旦グランプリを退くも、2003年にルノーのレギュラードライバーとなると、2005年に最強フェラーリのミハエル・シューマッハを打ち負かし、見事チャンピオンに輝いた。

翌2006年もシューマッハとの死闘を繰り広げた末に連覇を達成。

その後はマクラーレン、ルノー、フェラーリ、マクラーレンとチームを転々として2018年に引退。

しかし、3年のブランクを経て、2021年にルノーから名前を変えたアルピーヌから復活参戦している。

この年デビューしたもうひとりのチャンプオンはキミ・ライコネン。

ライコネンはF3すらも経験せずに2001年にザウバーからF1デビュー。

翌2002年に当時のトップチームであるマクラーレンに移籍すると、2003年に初優勝を果たし、2005年には7勝をあげてフェルナンド・アロンソとチャンピオン争いを演じ選手権2位となった。

そして2007年にフェラーリに移籍するとその年に悲願のチャンピオンに輝く。

2009年を最後に一旦F1を引退してWRCドライバーになるが、2012年にロータスF1からF1に復帰し、その後フェラーリ、アルファロメオと移籍し、現在も現役でF1に参戦している。

この年はアロンソ、ライコネンのほか、ファン・パブロ・モントーヤもデビューをしている。

モントーヤはアメリカオープンホイールの最高峰であったCARTチャンピオンという看板を引っさげてウィリアムズからF1にデビューし、その後マクラーレンでも活躍してF1通算7勝をあげた当時のトップドライバーのひとりだった。

ということで、2001年はアロンソとライコネンというふたりのチャンピオン、そしてモントーヤを輩出した超豊作の年だった。

2002年デビュードライバーの生涯成績

ドライバー出走PP優勝表彰台FLpts
M.ウェバー21713942191047.5
佐藤琢磨92001044
A.デビッドソン2400000
A.マクニッシュ1700000
F.マッサ272161141151167

2002年にデビューの新人は、チャンピオンを獲得したドライバーはいなかったが、グランプリ通算11勝のフェリペ・マッサと、9勝のマーク・ウェバーがデビューした年だった。

マッサは今年ザウバーからデビューし、2006年に名門フェラーリに移籍してミハエル・シューマッハのNo.2ドライバーとして2勝をあげると、翌2007年には3勝、2008年には6勝をあげてチャンピオンシップ争いを演じ、通算11勝を記録している。

ウェバーはこの年にミナルディでデビューすると、ジャガー、ウィリアムズを経て、2007年にレッドブルに移籍する。

2009年からチームの競争力が上がると、4度のチャンピオンになるチームメイトのセバスチャン・ベッテルと、時には互角以上の走りを見せて、通算9回の優勝を記録した。

またこの年は日本人F1ファンの多くが夢を見た佐藤琢磨がデビューした年。

琢磨は2002年にジョーダンからデビューすると、2003年にBARに移籍して、翌2004年にはアメリカグランプリで3位表彰台を獲得した。

2003年デビュードライバーの生涯成績

ドライバー出走PP優勝表彰台FLpts
J.ウィルソン1600001
N.キエーサ500000
C.ダ・マッタ28000013
Z.バウムガルトナー2000001
A.ピッツォニア2000008
R.ファーマン1500001

2003年は6人のドライバーがデビューしたが、その後生涯を通じて表彰台を獲得したドライバーはいなかった。

その中で一番成績を残したのはクリスチアーノ・ダ・マッタ。

彼はジャック・ヴィルヌーヴやファン・パブロ・モントーヤと同様に、アメリカンオープンホイールの最高峰であるCARTチャンピオンを獲得してトヨタからF1にデビューしたが、先人のCARTチャンピオンと同様の活躍はできずに、2シーズンでF1を去った。

次のページでは、2004年以降にデビューしたドライバーの生涯成績を紹介します。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。