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ドライバーより重要?現役トップF1マシンデザイナー4人のチーム遍歴

F1はマシン8:ドライバー2とも言われるよに、ドライバーの実力があってもマシンの実力がなければ、優勝はおろか入賞もできません。

そのため、マシンの出来不出来は成績に直結するので、マシン製作の要である空力デザイナーの職は重要で、多くのF1チームは豪腕空力デザイナーの引き抜きを画策し、彼ら空力デザイナーはチーム移籍とともにステップアップをしていきます。

そこで今回は、現在F1界で活躍する豪腕マシンデザイナー4人のチーム&役職遍歴を見ていきましょう。

エイドリアン・ニューウェイ

エイドリアン・ニューウェイ作 2019年型レッドブルRB15
生年月日1958年12月26日
国籍イギリス
現所属チームレッドブル
現役職最高技術責任者
チーム役職
1980フィッティパルディ空力チーフ
1986ハースローラ不明
1987マーチチーフデザイナー
1989レイトンハウステクニカルディレクター
1990ウィリアムズチーフデザイナー
1997マクラーレンテクニカルディレクター
2006レッドブル最高技術責任者

F1界でナンバー1の空力デザイナーといえば多くのファンはエイドリアン・ニューウェイ氏の名前を挙げるでしょう。

ウィリアムズ・マクラーレン・レッドブルと、多くのチームで最強空力マシンを手掛けてきた空力の鬼才ニューウェイ氏のマシンは、他のチームのマシンと一線を画す流麗な美しいフォルムで、デザイナーの顔が浮かぶマシンに仕上がるのが特徴です。

1980年に大学を卒業後F1チームのフィッティパルディに加入し、ハーベイ・ポストレスウェイトの下で空力チーフとして働きます。

1981年にマーチへ移籍し、アメリカのCARTのマシン開発を歴任した後、一時F1チームのハースローラ(現在のハースとは異なる)に所属するもチームが解散したためふたたびマーチに戻ります。

F1で初めて手掛けたマシンは、最強マクラーレンMP4/4を鈴鹿でオーバーテイクしたことで知られる1988年のマーチ881でした。

マーチが改名しレイトンハウスとなった1989年にはテクニカルディレクターに昇格しましたが、予選落ちした1990年メキシコグランプリの後に成績不振から解雇されました。

空力に妥協がないニューウェイ氏のマシンは成績が路面状態に左右されることが多く、予選落ちしたバンピーなメキシコグランプリの後に行われたスムースな路面のフランスグランプリでは、ラスト2周までトップを快走し、2位表彰台を獲得しました。

これも現代までつづく、ニューウェイデザインの特徴ですね。

ニューウェイ氏の離脱を知ったウィリアムズは、すぐに彼と契約を結び、ニューウェイ氏はチーフデザイナーとして初めてトップチームで手腕を発揮します。

ウィリアムズではテクニカルディレクターのパトリック・ヘッド氏が駆動系やサスペンションを設計し、チーフデザイナーのニューウェイ氏は空力部門を統括し、マンセル・プロスト・ヒルと3人のチャンピオンを生み出す、すばらしいマシンを設計しました。

しかし、ドライバー選定の行き違いからチームと確執が生まれ、1997年末にウィリアムズを去りマクラーレンへ移籍しました。

マクラーレンではレイトンハウス時代以来のテクニカルディレクターに就任し、1999年のMP4/14で本格的にマシンの設定をし、ハッキネンのドライバーズチャンピオンに貢献しました。

しかし、質実剛健なマクラーレンと自由奔放なニューウェイ氏の性格が合わず、たびたび移籍の噂が勃発し、2005年を最後にチームを離脱しました。

2006年に当時まだ2年目のレッドブルに、最高技術責任者の待遇で移籍します。

新興チームということもあり、当初は成績を残すことができませんでしたが、2009年からのレギュレーションの大変革に合わせマシンを開発し、その年にレッドブルとして初優勝を飾ると、2010年から4年間セバスチャン・ベッテルとともにドライバーズとコンストラクターズの4連覇を達成しました。

2015年のマシンを最後に第一線を退く発表しましたが、ホンダとパートナーを組んだ2019年から徐々にマシン開発に関与するようになっています。

ジェイムズ・アリソン

ジェイムズ・アリソン作 2019年型メルセデスF1 W10 EQ Power+
生年月日1968年2月22日
国籍イギリス
現所属チームメルセデス
現役職テクニカルディレクター
チーム役職
1991ベネトン空力部門
不明ラルース空力責任者
不明ベネトン空力責任者
2000フェラーリ空力部門
2005ルノー副テクニカルディレクター
2009ルノーテクニカルディレクター
2012ロータスF1テクニカルディレクター
2013フェラーリテクニカルディレクター
2017メルセデステクニカルディレクター

現在、最強メルセデスのテクニカルディレクターとして活躍しているのが、ジェイムズ・アリソン氏です。

アリソン氏は1991年に現ルノーの前身であるベネトンでF1キャリアをスタートさせ、ラルースの空力責任者を経て、ふたたびベネトンに戻り空力責任者の職に就きます。

2000年にフェラーリへ移籍してロリー・バーン氏の下で黄金期のチームを支えると、2005年にまたもベネトンからルノーに変わったエンストンのチームで副テクニカルディレクターに昇格し、チーム名がロータスF1に変更した2012年以降もチームに留まります。

2013年にロータスF1からフェラーリに戻り、シャシーテクニカルディレクターを経てテクニカルディレクターとして働きますが、2016年にチームを離脱。

2017年からは現在のメルセデスでテクニカルディレクターとして黄金期のチームでシルバーアローを製作しています。

シモーネ・レスタ

シモーネ・レスタ作 2019年型フェラーリSF90
生年月日1970年9月14日
国籍イタリア
現所属チームフェラーリ
現役職テクニカルチーフ
チーム役職
1998ミナルディ
2001フェラーリシニアエンジニア
2006フェラーリ開発部門責任者
2012フェラーリ副チーフデザイナー
2014フェラーリチーフデザイナー
2018ザウバーテクニカルディレクター
2019フェラーリテクニカルチーフ

ジェームス・アリソン氏は、フェラーリのイタリア出身エンジニアです。

1995年に大学を卒業し、イタリアのミナルディでF1チームに初めて所属します。

そして2001年、全盛期のフェラーリにシニアエンジニアとして移籍し、2006年に開発部門の責任者を務め、2012年に副チーフデザイナーになります。

2014年にチーフデザイナーに昇格し、現在フェラーリのチーム代表を務めるマッティア・ビノット氏がテクニカルディレクターだった時にその片腕として働きました。

2018年にテクニカルディレクターとしてアルファロメオザウバーに移籍し、翌年にフェラーリに復帰すると、技術部門のトップに就任し現在に至ります。

ジェームス・キー

ジェームス・キー作 2019年型マクラーレンMCL34
生年月日1972年1月14日
国籍イギリス
現所属チームマクラーレン
現役職テクニカルディレクター
チーム役職
1998ジョーダンデータエンジニア
2000ジョーダンテストエンジニア
2002ジョーダンシニアレースエンジニア
2003ジョーダン車体制御部門トップ
2005ジョーダンテクニカルディレクター
2006MF1テクニカルディレクター
2007スパイカーテクニカルディレクター
2008フォースインディアテクニカルディレクター
2010ザウバーテクニカルディレクター
2012トロロッソテクニカルディレクター
2019マクラーレンテクニカルディレクター

2018年シーズン中にホンダとタッグを組んだばかりのトロロッソを電撃辞職し、日本人ファンにショックを与えたことで、日本でも一気に名前が知れ渡ったジェームス・キー氏。

それもホンダを罵倒していたマクラーレンに移籍して、そのマシンが速いから余計に腹が立つ・・・すみませんワタクシ取り乱しました。

そのキーさん、キャリア序盤はジョーダン→MF1→スパイカー→フォースインディアと、シルバーストンのファクトリーでキャリアアップしてきました。

補足
ジョーダン・MF1・スパイカー・フォースインディアは買収によりオーナーや名称が変わったが、すべてシルバーストンの同様のファクトリーを使用する。

通常はヘッドハンティングというカタチで、チームを移籍してキャリアアップをするのが一般的ですが、同じ職場で昇進するとは相当な実力と察することができますね。

そして2005年末には、33歳という若さでテクニカルディレクターに就任します。

初めての移籍は2010年、イギリスを離れてスイスのザウバーへ。

ウィリー・ランプ氏の後任で、前任と同じくテクニカルディレクターに就きます。

2012年キー氏が設計したザウバーC31は、小林可夢偉選手が日本グランプリで表彰台に立った、ザウバー史上もっとも成功を収めたマシンでしたが、その活躍を現場で見ることなく、その年の2月に2年という短い期間でザウバーを離脱しました。

2012年からはイタリアのトロロッソへ所属し、テクニカルディレクターとして活躍します。

ジェームス・キーが設計したトロロッソSTR13
2018年F1日本GPにて

しかし前述のとおり2018年7月にマクラーレンが突如ジェームス・キー氏の獲得を発表しトロロッソを離脱。

離脱の背景には、2019年以降トロロッソは姉妹チームのレッドブルとさまざまな部品を共通化することを計画しており、マシンデザインに相当な制約を強いられることを嫌っての移籍だと言われています。

2019年、ジェームス・キー氏が設計したマクラーレンMCL35は中団のトップとしてコンストラクターズで4位に入ったことから、キー氏の実力はあらためて証明されました。

2020年F1チームデザイン部門責任者一覧

メルセデスW11ジェームス・アリソン
(テクニカルディレクター)
フェラーリSF1000シモーネ・レスタ
(テクニカルチーフ)
レッドブルRB16エイドリアン・ニューウェイ
(チーフテクニカルオフィサー)
マクラーレンMCL35ジェームス・キー
(テクニカルディレクター)
ルノーR.S.20パッド・フライ(2020-)
(シャシーテクニカルディレクター)
ディルク・デ・ビア
(エアロダイナミクスチーフ)
アルファタウリAT01ジョディ・エジントン
(テクニカルディレクター)
レーシングポイントRP20アンドリュー・グリーン
(テクニカルディレクター)
アルファロメオC39ヤン・モンショー
(テクニカルディレクター)
ハースVF-20ロブ・テイラー
(チーフデザイナー)
ベン・アガサンジェロー
(チーフエアロダイナミスト)
ウィリアムズFW43デイヴ・ロビンソン
(チーフエンジニア)
デイビッド・ワーナー
(デザイナー)
ジョナサン・カーター
(デザイナー)

最後に

古くはゴードン・マレー氏やジョン・バーナード氏、近年では先にあげたエイドリアン・ニューウェイ氏やロリー・バーン氏など時代の先駆者がデザインし、それにともなってF1の空力トレンドは変化していきました。

長く空力デザインの先頭に立って活躍してきたエイドリアン・ニューウェイ氏はすでに60歳を超えており、第一線でのF1デザインはしていないと言われています。

その中でニューウェイ氏につづく次世代の空力デザイナーは誰になるのか?

今現在ではメルセデスの快進撃でジェイムズ・アリソン氏が一歩リードした感がありますが、若手のジェームス・キー氏もマクラーレンの快走で注目を集める人物になりました。

シモーネ・レスタ氏は、時代に逆行した2020年型フェラーリSF1000の太いノーズが、将来を不安にさせます・・・。

注目は2022年のF1マシン空力大改革(2021年から1年先送りされた)で、どの人物がデザインしたマシンが注目を浴びるかでポスト エイドリアン・ニューウェイ氏が決定するでしょう。

その時までしばしお待ちを・・・。

以上、今回は現在F1で活躍する空力デザイナー4名に注目してみました。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。