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初めて生で観たレースは感動の連続だった!1996年フォーミュラニッポン第7戦を振り返る

現在はモータースポーツに取り憑かれ、年間10レース近くサーキットで観戦する私ですが、そんな私にももちろん初めてサーキットに行った日がありました。

1996年9月1日、富士スピードウェイで行われたフォーミュラニッポンが、人生初のサーキットでのモータースポーツ観戦でした。

F1ブーム世代真っ只中の私は、1990年からF1にハマり毎レーステレビで観戦していましたが、初めてのサーキットはテレビで観るそれとは全く別次元で、ただただ感動の連続だったことを、四半世紀が経過した現在でもよく覚えています。

初めてのサーキット テレビとはまったく違うフォーミュラマシンの迫力!

1996年フォーミュラニッポン第7戦のプログラム表紙

朝5時前に出発し、サーキットに到着したのが6時すぎ。

当時まだトヨタが買収する前の富士スピードウェイは、お世辞にもキレイとは言い難い雰囲気でしたが、そのグランドスタンドの入場ゲートをくぐった瞬間、

「うわー!コレがピットガレージか!!」

と、感動のあまり身体中に鳥肌が立ちました。

そしてプラットホームに目をやると、あの憧れだったひとりの男を発見!

「中嶋だ!中嶋悟が居るよ!」

隣にいた先輩に大声で話し掛けます。

白地に黒のPIAAのシャツを着た、F1ブームの牽引者である伝説のF1ドライバーは、オーラが溢れ出ていました。

やがてピットガレージから

「グォーン!グォーン!グォーン!グォーン!グォォォォーン!!」

と、凄まじい爆音が聞こえはじめます。

「すげー!!」

そして時刻は8時になり、フォーミュラニッポンフリー走行が始まる。

ピットロードに並んだマシンが一斉にコースイン。

「ギュガガガギャーン!ギュアーン!ギュアーン!」

今まで聴いたことのないけたたましい爆音とともに、マシンが一斉にコースになだれ込む。

「コレが生のフォーミュラマシンか!」

そしてマシンが通り過ぎたあとに漂う、擦れたタイヤとオイルの焼ける匂い・・・。

テレビとはまったく異なるマシンの存在感に、全身の毛が逆立つような感動を覚えたことを鮮明に覚えています。

生ける伝説星野一義は別格だった

スターレットカップやシビックレース、ミラージュカップなどのサポートレースを楽しんだ後、いよいよフォーミュラニッポンの決勝が行われます。

当時の地上波放送では割愛されていたインストレーションチェックやダミーグリッドの様子など、その場面場面すべてが新鮮でした。

ポールポジションは服部尚貴選手。

そして2番グリッドに高木虎之介選手、3番手に中野信治選手、5位ペドロ・デ・ラ・ロサ選手、8位ラルフ・シューマッハ選手と、その後F1に上がる錚々たるドライバーの中で、ひときわ輝きを放つ男がいました。

この年は星野一義現役最終年だった

当時すでに生ける伝説であった星野一義選手。

グランドスタンドにはその星野一義選手を一目見ようとするファンが群がり、星野選手はスタンドに何本ものタオルを投げ入れます。

カルソニックカラーのレーシングスーツを身にまとった星野一義選手は、他のドライバーとは別格でした。

レーススタート!

やがてスタート前セレモニーが終わり華やかさが一転、スタンドは緊張感に包まれます。

一周のフォーメーションラップの後、全車がスターティンググリッドに並ぶと、それまで賑やかだったグランドスタンドは静寂に包まれます。

「ガチャン!」

当時まだHパターンだったシフトレバーを1速に入れる音が聴こえました。

「ガガガガガガガッ!」

エンジン音が高鳴る!

そしてスタート!

「ギュアーーーン!!!」

うぉー凄い!!!

26台のマシンが一瞬にしてグリッドを離れ、各マシンは右へ左へポジション争いをするが、驚くことにぶつからなく、コレが日本のトップドライバーかと驚く!

近藤真彦も出場

後方からは近藤真彦選手もこの集団に食らいつく!

私はそれまで、

「たかが芸能人がレーサー気取りで出場しやがって」

と思っていましたが、彼もまた本気のレースをしており、この命をかけたレースを観てからは、そんな気持ちは微塵も思わなくなりました。

300km/hで富士スピードウェイの長いホームストレートを駆け抜けるマシン。

それまで観ていたテレビでは、正面からのアングルでずっとマシンを捉えており、正直マシンの迫力はあまり感じられませんでしたが、サーキットでは一瞬で通り過ぎ、その迫力はテレビとは大きくかけ離れていました。

1コーナーでブレーキングの迫力を知る!

プログラムの特集はラルフ・星野・虎之介

グランドスタンドでスタートからの数周を堪能した後、今度は1コーナー※へ観戦場所を移します。

※改装前の富士スピードウェイは現在のような別料金ではなかったことを記憶している

当時まだフォーミュラニッポンはカーボンブレーキを採用していなかったが、それでも300km/hからのフルブレーキングは凄い迫力でした。

そして定点での観戦は、ドライバーごとのブレーキングポイントの違いや、コースどりの違いを知ることができ、コレもまたテレビでは味わえない楽しみ方だと感じました。

目の前の事実に始終興奮し、レースはあっという間に終わってしまいました。

そして、『またサーキットに来たい!』と言う気持ちが深く芽生えたかけがえのない1日になったのでした。

最後に

1996年当時富士スピードウェイはまだ旧コースだった

本文で何度も書いたとおり、テレビで楽しむモータースポーツとサーキットのそれとは大違いでした。

テレビでのモータースポーツはレース展開と抜きつ抜かれつを楽しむもので、サーキット観戦は、レーシングマシンのとんでもない爆音とその迫力を楽しむまったく別のものと言うことを知り、この素晴らしい経験はその後の私のモータースポーツライフの礎となり、それ以降、幾度となくサーキットに足を運ぶことになるのでした。

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以上、今回は初めてサーキットでレース観戦をした時のことを振り返ってみました。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。