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【9社が参入】F1タイヤ戦争の歴史(1950-2021)

F1の大パワーを路面に伝えるタイヤ。

そのF1用タイヤはメーカーの競争、いわゆるタイヤ戦争により大きく進化を遂げていった。

そこで今回は、F1黎明期から現在に至るまでに参戦したタイヤメーカー9社の参戦時期と、タイヤ戦争の歴史について書いていこうと思う。

【1950年代】6社が参入する群雄割拠時代

レジェンドF1デモランで使用されるエイボンだが1950年代は実戦でも使用されていた

F1黎明期の1950年代は、まだ市販タイヤとほぼ変わらない溝付きの細いタイヤだった。

そんな1950年代前半にタイヤを供給していたのが、ピレリとダンロップ、そしてイングルベール。

その中で、当時最強だったアルファロメオやフェラーリに供給したピレリが勝ち星を重ねていった。

そして1954年からメルセデスがF1に参戦すると、同じドイツのコンチネンタルのタイヤを履き勝ちまくっていく。

しかし1955年にメルセデスがル・マン24時間で観客を巻き込む大事故を起こすと、同年でF1を含むモータースポーツ活動をすべて撤退し、同じくコンチネンタルも参戦を取りやめる(1958年の数戦にクーパーに供給し1勝)。

メルセデス撤退後は、フェラーリのイングルベール、マセラティやヴァンウォールのピレリ、ヴァンウォールやクーパーのダンロップが勝利を重ねた。

旧型F1のデモランイベントでお馴染みのエイボンも1954年からF1に参入したが、勝利を手にすることはなかった。

ちなみにファイアストンの各年の1勝は、当時F1シリーズに組み込まれていたインディ500によるもの。

1950年代は多くのメーカーが鎬を削った、まさに群雄割拠の時代だった。

タイヤメーカー別優勝回数(1950-1959)

PDEFCA
19506001
19517001
19527001
19538001
195440014
195510015
195620510
195770010
1958072110
1959810
合計4215710100
P=ピレリ・D=ダンロップ・E=イングルベール・F=ファイアストン・C=コンチネンタル・A=エイボン

【1960年代】ダンロップからアメリカ勢に

グッドイヤー初勝利はホンダRA272
ホンダコレクションホールにて

1950年代は多くのタイヤメーカーが参戦したが、1960年代に入るとダンロップの独占状態が続く。

その後1964年最終戦に、デシントンフランシスレーシングなるチームが、アメリカのグッドイヤーを履いてエントリーすると、グッドイヤーは1965年からブラバムとホンダに供給をして本格参戦をする。

そしてその年の最終戦にホンダが勝利し、のちに368勝するグッドイヤーの、記念すべき1勝目を上げる。

翌1966年からF1は排気量が1.5Lから3.0Lに倍増し、その大パワーを路面に伝えるために、タイヤは大幅に太くなるが、この年からグッドイヤーと同じくアメリカのファイアストンも参戦を開始し、1960年代後半はダンロップ、ファイアストン、グッドイヤーの三つ巴の戦いとなる。

タイヤメーカー別優勝回数(1960-1969)

DFG
196091
19618
19629
196310
1964100
196591
1966234
1967065
1968263
1969623
合計651816
D=ダンロップ・F=ファイアストン・G=グッドイヤー

【1970年代】王者グッドイヤーに挑むミシュラン

富士スピードウェイ50周年イベントにて

1960年代に活躍したダンロップだったが、1971年にF1タイヤがスリックタイヤになると、その前年を最後に撤退(1976・1977年の日本開催のみ日本人が装着)する。

その後は徐々にグッドイヤーが差を広げ、1973年からは連勝街道をひた走る。

1977年にルノーがF1参戦を開始すると、ルノーと同じくフランス企業のミシュランが供給する。

そのミシュランは、今では当たり前となっているラジアル構造のタイヤをF1にはじめて導入した。

1978年にミシュランは、ルノーに加え強豪のフェラーリにも供給し、数で勝るグッドイヤーに対し供給2チームながら5勝を上げる。

同じく1979年もルノーとフェラーリのみの供給だったミシュランだが、グッドイヤーの8勝に対し7勝と、勝利数では負けたが、フェラーリが年間王者となり、チャンピオンタイヤ(賞典はない)に輝く。

タイヤメーカー別優勝回数(1970-1979)

DFGBM
19702101
197147
197275
1973015
1974015
1975014
19760160
197701600
1978115
197987
合計221108012
D=ダンロップ・F=ファイアストン・G=グッドイヤー・B=ブリヂストン・M=ミシュラン

【1980年代】グッドイヤーvs.ミシュランからグッドイヤー1強に

グッドイヤーの1強時代の勝ち頭であるウィリアムズFW11とマクラーレンMP4/4
ホンダコレクションホールにて

1980年代に入ってもグッドイヤーとミシュランの戦いは続く。

1980年は、ミシュランの2チームの供給先のひとつであるフェラーリの極度の不振で勝利数を伸ばせなかったが、1981年にグッドイヤーが撤退(第8戦フランスグランプリから復帰)を発表すると、上位チームはミシュランに急遽変更し、ミシュランは勝ち星を稼ぐ。

ちなみに、この年ミシュランの供給枠から漏れた下位チームは、ピレリやエイボンに急遽スイッチしている。

1982年はグッドイヤーが持ち直すも、1983年、1984年と、上位チームを抑えていたミシュランが徐々にグッドイヤーを引き離す。

しかし1985年にミシュランが撤退すると、上位チームに供給するグッドイヤーはピレリを圧勝し、1987年にピレリが撤退し、グッドイヤーの独占状態になった。

1989年にピレリが復帰し、1991年までの3年間は予選用Qタイヤが登場。

ピレリの皮剥き職人が登場したのもこの頃だった。

ピレリは1度使用したQタイヤを皮剥きしてもう一度使う戦法を編み出したが、それでもグッドイヤーに勝利することはなかった。

タイヤメーカー別優勝回数(1980-1989)

PAGM
1980113
198100213
19820097
1983069
19840214
1985115
1986115
198716
198816
1989016
合計2010846
P=ピレリ・A=エイボン・G=グッドイヤー・M=ミシュラン

次のページでは、ブリヂストンが参入した1990年代から現在に至るまでを見ていきます!

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。