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かつてプロレーシングドライバーだった6人のF1チーム幹部

F1で働くチーム関係者の中には、かつてプロドライバーとして活躍した人物も少なくない。

中にはF1に参戦経験のある者や、インディ500優勝者も。

メルセデスのチーム代表であるトト・ウォルフや、レッドブルのチーム代表であるクリスチャン・ホーナーも、かつては有名なシリーズに参戦していたのだ。

果たして彼らは、ドライバーとしてどれほどの実力だったのか・・・。

そこで今回は、2022年にF1チーム幹部として名前を連ねる人物の中から、かつて名のあるシリーズに参戦した経験のある6人を紹介してみようと思う。

トト・ウォルフ【メルセデス・チーム代表】

ドライバー時代の主な実績
  • 1994年 ニュルブルクリンク24時間 クラス優勝
  • 2004年 FIA GT選手権 参戦
  • 2006年 ドバイ24時間 クラス優勝

メルセデスのチーム代表として、時にはヘッドフォンをぶん投げながら手腕を振るうトト・ウォルフ。

そんな彼も、かつてはレーシングドライバーとしてF1を目指した青年だった。

22歳でフォーミュラフォードオーストリア選手権にデビューしたウォルフは、その後GTレースに転身する。

そして1994年のニュルブルクリンク24時間ではクラス優勝を果たす。

2004年には元F1ドライバーのカール・ヴィンドリンがーと組んで当時のGTカーレース世界最高峰であるFIA GT選手権した。

2006年にはドバイ24時間で優勝。

ウォルフはGTレースを中心に参戦したドライバーだった。

クリスチャン・ホーナー【レッドブル・チーム代表】

ドライバー時代の主な実績
  • 1994年-1995年 イギリスF3 参戦
  • 1996年 イギリスF2 参戦
  • 1997年-1998年 国際F3000 参戦

メルセデスの最大のライバルとして、2021年シーズンで激戦を繰り広げたレッドブルのチーム代表であるクリスチャン・ホーナーも、かつてはレーシングドライバーだった。

1994年にイギリスF3に参戦を開始すると1996年にはトムスチームからイギリスF2にエントリーする。

そのイギリスF2が同年で終了したため、翌1997年にはアーデンインターナショナルを設立し、自身がオーナードライバーとなり国際F3000に参戦。

1998年も国際F3000に参戦したが、ドライバーとしての能力に見切りをつけ、この年を最後にレーシングドライバーを引退した。

ホーナーはフォーミュラでF1直下の国際F3000まで上り詰めたため、ある程度才能のあるドライバーだったのだろう。

ヘルムート・マルコ【レッドブル・モータースポーツアドバイザー】

ドライバー時代の主な実績
  • 1971年-1972年 F1 参戦
  • 1970年-1971年 ル・マン24時間 クラス優勝

モータースポーツ界の一大勢力であるレッドブルジュニアドライバーの管理を一手に担う、ヘルムート・マルコの実績はすごい。

青年時代から友人だった後のF1世界チャンピオンであるヨッヘン・リントともに、学生時代からモータースポーツをはじめる。

1968年にジュニアフォーミュラのフォーミュラVeeでチャンピオンを獲得し、翌1969年にはF3に参戦する。

そして1970年のル・マン24時間にエントリーし、総合3位、クラス優勝を成し遂げる。

1971年には念願叶い、当時の老舗チームであるBRMからF1にデビューする。

続く1972年もBRMからF1に参戦するも、第6戦フランスグランプリでエマーソン・フィッティパルディが跳ね上げた小石が目に直撃し視力が極端に低下したため、レーシングドライバーを引退した。

フランツ・トスト【アルファタウリ・チーム代表】

ドライバー時代の主な実績
  • フォーミュラフォード1600 チャンピオン
  • F3 参戦

アルファタウリのチーム代表であるフランツ・トストも、かつてレーシングドライバーとして活躍していた過去があった。

時期は不明だが、フォーミュラフォード1600のチャンピオンになり、その後はF3にも参戦。

当時は、後にF1ドライバーとなるローランド・ラッツェンバーガーとともに寝泊まりしながら、サーキットを転戦していたという。

トストは今回のテーマであるプロレーシングドライバーにはなっていないようだが、F3にまで上り詰めたので一応紹介してみた。

ザック・ブラウン【マクラーレン・CEO】

ドライバー時代の主な実績
  • 1994年 イギリスF3 参戦
  • 1995年 インディライツ 参戦
  • 1996年 ドイツF3 参戦
  • 1997年 デイトナ24時間GT2 2位
  • 1997年 セブリング24時間GT2 2位
  • 2010年 スパ24時間GT3 3位
  • 2012年 イギリスGT選手権 優勝

現在マクラーレンのCEOを務めるザック・ブラウンの、ドライバーとしての実績もなかなかのもの。

1986年にアメリカでカートデビューし、1990年までの間に22勝をあげる。

その後ヨーロッパに渡り、フォーミュラフォード1600で優勝を遂げ、1994年にはイギリスF3に参戦する。

1995年にインディライツにデビューすると、1996年にはドイツF3に参戦している。

そして1997年にデイトナ24時間にエントリーし、GT2カテゴリーで2位に入る健闘を見せ、同年のセブリング12時間でもクラス2位になっている。

その後はレーシングドライバーから離れたブラウンだが、2006年にブリットカー24時間レースで復帰しクラス優勝を果たすと、2007年に北米のフェラーリチャレンジシリーズに参戦し優勝も経験している。

2010年はスパ24時間でクラス優勝を記録し、2012年にはイギリスGT選手権で優勝をするなどの活躍を見せた。

ブラウンはマクラーレンCEOとなった現在でも、モナコヒストリックフランプリなどで定期的にステアリングを握っている。

ジル・ド・フェラン【マクラーレン・スポーティングディレクター】

ドライバー時代の主な実績
  • 2000年・2001年 CART(アメリカンオープンホイール最高峰)チャンピオン
  • 2003年 インディ500優勝

メルセデスのニキ・ラウダやアルピーヌのアラン・プロストが去った現在のF1幹部の中で、ドライバーとしてもっとも実績がある人物は、マクラーレンのスポーティングディレクターであるジル・ド・フェランだろう。

1983年にブラジルでカートデビューしたフェランは、1985年にブラジルのフォーミュラフォードに参戦を開始し、1987年に同シリーズのチャンピオンとなる。

翌1988年からイギリスに渡り、フォーミュラフォード、イギリスF3とステップアップし、1993年にはF1直下の国際F3000に参戦すると、1994年にシリーズ3位となる。

1995年にはアメリカンオープンホイールの最高峰であったCARTに進出し、ルーキーオブザイヤーを獲得する。

そして2000年と2001年には、史上5人目の2年連続ドライバーズチャンピオンに輝いた。

2002年にはインディレーシングリーグに参戦を開始し、2003年にインディ500で優勝を果たした。

最後に

かつてはF1チームの幹部にも多く元プロドライバーがいたが、より専門性が高くなった現代のF1チームの中では数を減らしているようだ。

しかし、チーム代表やスポーティングディレクターといったよりF1ドライバーに近い職にはプロドライバーを経験した者もチームによってはまだまだ存在している。

その中でもレッドブルグループ(アルファタウリ含む)やマクラーレンは、プロドライバー出身のチーム幹部が多く、また、アメリカを中心にプロドライバーとして活躍したザック・ブラウンが、アメリカンオープンホイールで名を馳せたジル・ド・フェランを招き入れたのも面白い。

そして、メルセデスもドライバー出身のトト・ウォルフがチーム代表におり、かつては3度の世界チャンピオンであるニキ・ラウダが非常勤会長として名を連ねていたし、アルピーヌも2021年まで4度の世界チャンピオンであるアラン・プロストが在籍していた。

ということで、今回は、名のあるシリーズに参戦した経験のあるF1チーム幹部を紹介してみた。

以上、最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。