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セルモの歴代GT500マシン ドライバー タイトルスポンサー タイヤ 成績一覧(1995-2024)

今回はスーパーGT GT500クラスに参戦する、トヨタ系の強豪チームセルモのGT参戦の歴史を見ていきたいと思います。

セルモはレース界で知らぬ者はいないほどの名物エンジニア、佐藤正幸さん(通称バテさん)が1981年に設立し、1991年からは自チームを結成。全日本GT選手権へはシリーズ発足2年目の1995年から参戦を開始しました。

では1995年から順に見ていきましょう。

敬称について

現役選手の敬称については〇〇選手と表記すれば失礼がないと思いますが、引退選手の敬称についてはどのように表記すればいいのか・・・いつも悩んでしまいます。

〇〇元選手?それとも〇〇氏?いやちょっと硬いですね。では〇〇さん?うーん、チカラが抜けてしまいます。

色々考えましたが、現役時代のことについて書くため引退選手に関しても〇〇選手と表記します。

ちょっと違和感があるかもしれませんがあしからず。

1995年

38号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:エリック・コマス
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:19位
  • チームズランキング:12位

セルモが全日本GT選手権に初参戦したのが1995年。シリーズ発足2年目とかなり早い段階での参戦でした。

ドライバーは前年までF1に参戦していたエリック・コマス選手、タイヤはブリヂストンと、ドライバーもタイヤも最高峰でしたが、タイトルスポンサーはなくマシンを見ても資金調達がやや厳しい初年度だったと思われます。

そんな1995年シーズンの全日本GT選手権は日産GT-Rの独壇場で、スープラを使用するセルモは苦戦。開幕戦で5位に入賞するも、その後は一度も入賞することなくシリーズを終えることになりました。

1996年

37号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:エリック・コマス/光貞秀俊→竹内浩典
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:カストロール
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:3位
  • チームズランキング:2位

参戦2年目は躍進の年でした。

ドライバーはコマス選手に加えて光貞秀俊選手を招聘し、シリーズ途中からはその後同チームで長く活躍することになる竹内浩典選手が加入。そしてタイトルスポンサーとしてカストロールと契約をしました。

この年は黒船襲来と言われた2台のマクラーレンF1 GTRが圧倒的な速さを誇っていましたが、その中でセルモのスープラだけは善戦し、第3戦の仙台ハイランドでチーム初優勝を決めると、最終戦のMINEでも2位に入り、ドライバーズランキングで3位に躍進しました。

ちなみに1996年はトムスとトヨタカストロールチームを結成し、トムスとセルモは同チームという扱いでした。またチーム史上で唯一カーナンバー37で参戦しています。

1997年

38号車
  • ドライバー:竹内浩典/金石勝智
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:カストロール
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:10位
  • チームズランキング:1位

1997年はエリック・コマス選手に代わり金石勝智選手が加入。前年途中から同チームで参戦している竹内浩典選手とコンビを組みました。

この年は前年の好調から一転、最高位は第3戦仙台ハイランドの4位と表彰台に上がることはできませんでした(オールスター戦では2位を獲得)。

ただし前年と同じくトムスとトヨタカストロールチームを形成しており、好調トムスのおかげでチームズランキングではチャンピオンになっています。

1998年

38号車
  • ドライバー:竹内浩典/野田英樹
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:FKマッシモ
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:11位
  • チームズランキング:9位

1998年は金石勝智選手に代わり元F1ドライバーの野田英樹選手が加入し、竹内浩典選手とコンビを組みます。ちなみに野田英樹選手といえば今をときめく野田樹潤選手のお父さんですね。

そしてタイトルスポンサーはカストロールから富士興産のエンジンオイルブランド、FKマッシモに変更。そのためトムスとの共闘は前年で終了しています。

そんな新しい体制で挑んだ1998年シーズンでしたが、ドライバーズランキングは前年から一つ下げて11位。ただ最終戦のSUGOでは3位に入り、2年ぶりに表彰台に上がりました。

1999年

32号車
  • ドライバー:木下隆之/近藤真彦
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:cdmaOne
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:18位
  • チームズランキング:11位
38号車
  • ドライバー:竹内浩典/立川祐路
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:FKマッシモ
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:14位
  • チームズランキング:8位

セルモは1999年から2台体制になります。

従来からの38号車は野田英樹選手がチームを離脱し、代わりに立川祐路選手が加入して竹内浩典選手とコンビを形成。立川選手はこの1999年から現在(2023年)までセルモドライバーとして四半世紀もの間所属することになります。

2台目のマシンのカーナンバーは32号車。このマシンには木下隆之選手と、現在はKONDOレーシングの監督として活躍する近藤真彦選手のコンビ。

そしてタイトルスポンサーはauブランドを展開するKDDIの2Gサービス、cdmaOne。懐かしいですね。

そんな2台体制で挑んだセルモの1999年体制でしたが、ドライバーズランキング最高位は14位と厳しい成績に終わりました。

2000年

32号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:木下隆之/近藤真彦
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:cdmaOne
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:15位
  • チームズランキング:11位
38号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:竹内浩典/立川祐路
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:FKマッシモ
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:5位
  • チームズランキング:5位

2000年もセルモは2台体制で参戦し、2台ともにドライバーラインナップやタイトルスポンサーは1000年から変わらず。

この年は38号車がコンスタントに上位フィニッシュをしてドライバーズランキング5位に入ります。またセパンサーキットで行われたスペシャルラウンドでは、ノンタイトル戦ながらも久々の優勝を記録しています。

次のページでは2001年から2006年のセルモを紹介します

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。