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チームクニミツの歴代GT500マシン ドライバー タイトルスポンサー タイヤ 成績一覧(1994-2024)

今回はホンダ系GT500チームのチームクニミツのGTでの歴史を見ていきます。

チームクニミツといえば、日本人初の世界GP優勝ライダーで、四輪転向も日本の黎明期のモータースポーツで幾多の伝説を残した高橋国光さんが設立したチームです。

参戦はスーパーGTの前身である全日本GT選手権の最初のシーズン(1994年第3戦)から。

その後ホンダが全日本GT選手権にワークス参戦するとホンダ陣営に加わり、2023年現在ホンダ系チームの中では最多のチャンピオン回数(2回)を誇る、ホンダを代表する名門チームに成長しました。

それでは1994年の参戦開始シーズンから年代順に見ていきましょう。

敬称について

現役選手の敬称については〇〇選手と表記すれば失礼がないと思いますが、引退選手の敬称についてはどのように表記すればいいのか・・・いつも悩んでしまいます。

〇〇元選手?それとも〇〇氏?いやちょっと硬いですね。では〇〇さん?うーん、チカラが抜けてしまいます。

色々考えましたが、現役時代のことについて書くため引退選手に関しても〇〇選手と表記します。

ちょっと違和感があるかもしれませんがあしからず。

1994年

100号車
  • ドライバー:高橋国光/土屋圭市
  • マシン:ポルシェ911 RSR-T(964型)
  • タイトルスポンサー:アドバン
  • タイヤ:ヨコハマ
  • ドライバーズランキング:7位
  • チームズランキング:5位

チームクニミツは全日本GT選手権の初年度である1994年に参戦を開始しています。ただし開幕戦からではなく、初エントリーは第3戦からでした。

初年度のドライバーラインナップはチームオーナーの高橋国光選手と国光選手を師と仰ぐドリキン土屋圭市選手のコンビ。

現在はホンダ陣営のエースであるチームクニミツですが、当時はポルシェ911 3.8RSR(964型)で参戦をしていました。

カーナンバーは当時も現在と同様に100。この番号は高橋国光選手が2輪の世界GPに参戦していた時代に、初優勝をした時に付けていたナンバーでした。

古くからのファンは高橋国光選手といえばブラックとレッドのアドバンカラーのマシンを操るイメージがあったと言いますが、やはりGT初年度もヨコハマタイヤを履くアドバンカラーで参戦していました。

そんなGT初年度のチームクニミツは参戦2戦目となる第4戦SUGOで早くも初優勝を記録。続く最終戦MINEでも2位表彰台を獲得し、途中参戦ながらドライバーズランキングで7位になりました。

1995年

99号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:道上龍
  • マシン:ポルシェ911 RSR-T(964型)
  • タイトルスポンサー:KANEKO
  • タイヤ:ヨコハマ
  • ドライバーズランキング:25位
  • チームズランキング:7位
100号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:高橋国光/土屋圭市
  • マシン:ポルシェ911 RSR-T(964型)
  • タイトルスポンサー:BP
  • タイヤ:ヨコハマ
  • ドライバーズランキング:10位
  • チームズランキング:7位

1995年はチームクニミツの長いGTの歴史で唯一、2台体制でエントリーした年でした。

エースの100号車は前年と変わらずに高橋国光選手と土屋圭市選手の師弟コンビ。

100号車はこの年からタイトルスポンサーがイギリスのオイル関連企業BPになり、グリーンとイエローのBPカラーになります。

一方99号車は第4戦富士から参戦。のちにホンダのエースになる道上龍選手がステアリングを握りました。

この年は第2戦富士の3位が2台通じて唯一の表彰台になり、ドライバーズランキングは100号車が10位、99号車が25位と、前年を下回る結果でした。

1996年

100号車
写真提供:Mさん
写真提供:Mさん
  • ドライバー:高橋国光/土屋圭市
  • マシン:NSX GT2
  • タイトルスポンサー:アドバン/BP→レイブリック
  • タイヤ:ヨコハマ
  • ドライバーズランキング:17位
  • チームズランキング:10位

1996年は100号車の1台体制に戻ります。ドライバーは3年連続となる高橋国光選手と土屋圭市選手のコンビです。

タイトルスポンサーは当初アドバンとBPでしたが、のちに自動車の電子機器の製造販売を行うスタンレー電気のブランドであるレイブリックになり、マシンのカラーリングが大幅に変更されています。

チームクニミツのル・マン24時間参戦マシン
2019年ホンダコレクションホールにて

そしてこの年からマシンをNSXにチェンジします。ただ当時ホンダはワークス参戦しておらず、ル・マン24時間で使用したマシンに小変更を施した程度のNSX GT2で参戦します。

このシーズンはマクラーレンF1が圧倒的な強さを発揮した年でしたが、マクラーレンはおろか、すでにワークス参戦をしていたトヨタスープラや日産スカイラインGT-Rといった国産勢にも歯が立たず、ドライバーズランキング17位でシーズンを終えました。

1997年

100号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:高橋国光/飯田章
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:レイブリック
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:9位
  • チームズランキング:6位

前述した通り、高橋国光選手といえばアドバンでしたが、1997年からタイヤをブリヂストンに変更します。

その関係からか、高橋国光選手同様に長年ヨコハマからサポートを受けていた土屋圭市選手は、ヨコハマタイヤを履くチームタイサンに移籍。その代わりにはル・マン24時間でチームクニミツに所属していた飯田章選手が加入。

ホンダはこの年から全日本GT選手権にワークス参戦を開始。チームクニミツも事実上のワークスチームの一角になり、この年からメンテナンスを由良拓也さん率いるムーンクラフトに委託するようになります。

そんな1997年シーズンは、新たなマシンということもあり前半戦はポイント圏外のレースが続きますが、第5戦MINEでファステストラップから2位表彰台を獲得。さらに続く最終戦SUGOではチーム初のポールポジションを記録し、決勝でも2戦連続の2位になりました。

結局この年のドライバーズランキングは9位でしたが、翌年に期待がかかるシリーズ後半戦でした。

1998年

100号車
  • ドライバー:高橋国光/飯田章
  • マシン:NSX-GT(初代)
  • タイトルスポンサー:レイブリック
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:10位
  • チームズランキング:8位

1998年も引き続き高橋国光選手と飯田章選手のドライバーコンビで参戦するチームクニミツ。

この年は開幕戦鈴鹿と第4戦富士でポールポジションを獲得し速さは見せるもの前半戦は結果が出ず。

そしてシーズン後半の第6戦MINEでシーズン3度目のポールポジションを獲得するとそのまま優勝。

結局これがシーズン唯一の表彰台になり、ドライバーズランキングは10位でシーズンを終えました。

次のページでは1999年から2003年のチームクニミツを紹介します

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。