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トムスの歴代GT500マシン ドライバー タイトルスポンサー タイヤ 成績一覧(1995-2024)

スーパーGT GT500クラスに参戦するトヨタ系チームでNo.1の名門は?と聞かれれば、多くのスーパーGT通は迷わずトムスと答えます。

そう、トムスは設立当初からトヨタのモータースポーツ活動と深く関わりを持っており、スーパーGTや前身の全日本GT選手権でもトヨタ系でもっとも成功を遂げているチームです。

今回はスーパーGTと全日本GT選手権に於けるトムスの歴代のドライバーやタイトルスポンサー、タイヤやシーズン成績などを調べてみました。

それでは全日本GT選手権に参戦を開始した1995年から順に見ていきましょう。

敬称について

現役選手の敬称については〇〇選手と表記すれば失礼がないと思いますが、引退選手の敬称についてはどのように表記すればいいのか・・・いつも悩んでしまいます。

〇〇元選手?それとも〇〇氏?いやちょっと硬いですね。では〇〇さん?うーん、チカラが抜けてしまいます。

色々考えましたが、現役時代のことについて書くため引退選手に関しても〇〇選手と表記します。

ちょっと違和感があるかもしれませんがあしからず。

1995年

36号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:関谷正徳/ミハエル・クルム
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:カストロール
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:5位
  • チームズランキング:5位

名門トムスが全日本GT選手権に参戦を開始したのはシリーズ発足2年目の1995年。

ドライバーはこの年ル・マン24時間で日本人として初の優勝を遂げることになる関谷正徳選手と、前年の全日本F3王者ミハエル・クルム選手のコンビでした。

古くからトヨタと関わりの深いトムスは、当然トヨタのスポーツカー最高峰であるスープラを選択し、ブリヂストンタイヤを履き、カストロールカラーを纏い参戦します。

そんな最初のシーズンは第3戦で優勝を果たすもドライバーズランキング最高位が5位、チームズランキングも5位という結果でした。

1996年

36号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:関谷正徳/ペドロ・デ・ラ・ロサ
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:カストロール
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:8位
  • チームズランキング:2位

全日本GT選手権参戦2年目はミハエル・クルム選手に替え、後にF1ドライバーになるペドロ・デ・ラ・ロサ選手を起用し、関谷正徳選手とコンビを組みました。

マシン、タイヤ、タイトルスポンサーは前年から踏襲しますが、成績は低迷しドライバーズランキングは8位という結果でした。

ちなみにチームズランキングの2位は、セルモとともにトヨタチームカストロールとして2台体制で参戦したためです。

1997年

36号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:ミハエル・クルム/ペドロ・デ・ラ・ロサ
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:カストロール
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:1位
  • チームズランキング:1位
37号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:関谷正徳/鈴木利男
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:カストロール
  • タイヤ:ブリヂストン
  • ドライバーズランキング:3位
  • チームズランキング:1位

1997年はトムス初の2台体制として参戦します。

ドライバーは36号車がミハエル・クルム選手とペドロ・デ・ラ・ロサ選手の外国人ドライバーコンビで、37号車は関谷正徳選手と鈴木利男選手の日本人ドライバーコンビでエントリー。

体制を強化したトムスは36号車が同じくスープラ勢のセルモと熾烈なチャンピオン争いを演じ、同ポイントでシーズンを終え、優勝2回、2位2回までセルモと同一。結果、3位の回数で36号車がドライバーズチャンピオンの栄冠に輝きます。

37号車は未勝利ながらも4回の表彰台フィニッシュという安定したシーズンを送り、シリーズ3位を獲得。

全日本GT選手権3年目は素晴らしい結果でシーズンを終えました。

1998年

36号車
  • ドライバー:関谷正徳/ノルベルト・フォンタナ
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:カストロール
  • タイヤ:ダンロップ
  • ドライバーズランキング:7位
  • チームズランキング:3位
37号車
  • ドライバー:鈴木利男/ケビン・バート
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:カストロール
  • タイヤ:ダンロップ
  • ドライバーズランキング:9位
  • チームズランキング:3位

ディフェンディングチャンピオンとして挑む1998年のトムスは、36号車が関谷正徳選手と新たにチームに加わったノルベルト・フォンタナ選手のコンビで、37号車が鈴木利男選手とこちらも新加入のケビン・バート選手のコンビでシーズンを戦います。

そしてこのシーズンのトピックとしてタイヤが挙げられます。

参戦以来ブリヂストンを使用していたトムスですが、1998年はダンロップと契約。しかしこの選択が失敗し、優勝はおろか2位も獲得できず、2台揃ってドライバーズランキングは下位に沈みました。

1999年

35号車
  • ドライバー:山路慎一/ピエール・アンリ・ラファネル
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:マツモトキヨシ
  • タイヤ:ミシュラン
  • ドライバーズランキング:16位
  • チームズランキング:9位
36号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:関谷正徳/黒澤琢弥
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:カストロール
  • タイヤ:ミシュラン
  • ドライバーズランキング:2位
  • チームズランキング:1位
37号車
  • ドライバー:鈴木利男/片山右京
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:カストロール
  • タイヤ:ミシュラン
  • ドライバーズランキング:9位
  • チームズランキング:1位

トムスはこの年体制を大きく変更します。

まずはこの年トムスは36号車と37号車に35号車を加え、3台体制になります。その35号車はマツモトキヨシからのサポートを受けます。

ドライバーラインナップも変更し、36号車にはノルベルト・フォンタナ選手から黒澤琢弥選手に変更。37号車はF1を引退した片山右京選手が加わります。新たに導入した35号車は山路慎一選手とピエール・アンリ・ラファネル選手のコンビで参戦しました。

さらにタイヤはダンロップとの契約を1年で解除して、この年からミシュランと契約をします。

2000年

35号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:山路慎一/ピエール・アンリ・ラファネル
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:マツモトキヨシ
  • タイヤ:ミシュラン
  • ドライバーズランキング:14位
  • チームズランキング:9位
36号車
写真提供:Mさん
  • ドライバー:関谷正徳/土屋武士
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:カストロール
  • タイヤ:ミシュラン
  • ドライバーズランキング:17位
  • チームズランキング:10位
37号車
  • ドライバー:荒聖治/鈴木利男
  • マシン:スープラ
  • タイトルスポンサー:カストロール
  • タイヤ:ミシュラン
  • ドライバーズランキング:21位
  • チームズランキング:10位

2000年も36号車と37号車のドライバーラインナップを変更。36号車は関谷正徳選手の相棒に土屋武士選手が加入し、37号車は後にル・マン24時間を制することになる荒聖治選手が鈴木利男選手とコンビを組みます。

タイトルスポンサーやタイヤは前年から変更はありませんでした。

この年は3台のマシンともに成績は低迷し、ランキング下位に沈みました。

次のページでは2001年から2006年のトムスを紹介します

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。