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タミヤ本社で見た『6輪たいれる』の記憶 ティレルP34の思い出

今回は30年前の『6輪たいれる』ことティレルP34との出会いと思い出について書いてみました。

私の好きなF1マシン

あなたの一番好きなF1マシンは?

長い歴史を誇るF1なので、世代によってその答えは様々ですよね。

私の好きなF1マシンは、

第3位 ウィリアムズFW11 1986年

2019年8月 ホンダコレクションホールにて

古きF1マシンの雰囲気が残るも、現代F1の始まりといった感じのたたずまい。

そして1000馬力を超える超ビッグパワーターボエンジンを路面に伝える、箱のようなデッカいリヤウイングが、モンスターマシンを彷彿させます。

何より大好きだったナイジェル・マンセル選手が、腕と腕力で猛獣を操っていたのも、このマシンが大好きな理由です。

第2位 ティレル019 1990年

2016年11月 SUZUKA Sound of ENGINEにて

1990年のモナコグランプリからほぼ全戦F1中継を見ている私が、同じくこのレースからデビューしたことも、好きなポイントのひとつです。

現代のF1にも受け継がれる、ハイノーズを本格的に取り入れた最初のマシンが、このティレル019になります。

アンヘドラルウイングやコルセアウイングなどと言われたフロントウイングは、吊り下げ式ではなく、ノーズから左右斜めに生えているあの感じが、素晴らしくカッコ良かったです。

2016年のSUZUKA Sound of ENGINEで、2台のティレル019を中嶋悟氏と息子の中嶋大祐選手がデモ走行した時には、涙が出るほど感動してしまいました。

第1位 ティレルP34 1976年

そして私が1番好きなF1マシンは、6輪たいれることティレルP34です。

このマシンの現役当時、私はまだ就学する前で、F1の存在すらも知りませんでした。

小学1年生の頃、友達がF1のチョロQを見せてくれ、

「なぜそのF1は6輪じゃないの?」

と、問いただした記憶があります。

私が小学1年ということは1981年なので、6輪たいれるがF1から撤退して3年以上が経過していることを考えると、当時日本の子供はF1の存在は知っているが、1977年を最後に日本グランプリが途絶え、情報を知り得るすべはほぼ無くなり、1977年の6輪たいれるの記憶だけが残っていた、と考えるのが普通でしょうか。

1990年、高校に入った私はF1ブームに乗りどハマりしてしまいました。

野球部の練習が早く終わると、高校からの帰り道に必ず寄る場所がありました。

それはタミヤ模型の本社。

地方では見ることのできない生のF1マシンを、唯一拝見できる場所でした。

しかも1990年当時の現役マシンをも上回る伝説のF1マシン、6輪たいれるがエントランスに『でーん!』と飾られていたのです。

写真はミニカーですが、無論ミニカーでもプラモデルではありません・・・本物です・・・念の為。

受付のおねえさんに許可をもらい、行くたびに1台のそのマシンを20分も30分もずーと見ていました。

F1ブームといえど、そこはタミヤ本社の中で平日の夕刻だったこともあり、ほぼ独占状態でさまざまな角度から舐め回すように・・・。

多分受付のおねえさんは「何このガキ」と思ったに違いありません・・・。

しかし私にとっては至福の数十分だったのでした。

最後に

時は経ち2019年、約30年が経過した現在も私はF1マシンが、そして6輪たいれるが大好きです。

そしてその、30年前舐め回すように見ていた6輪たいれるが、今月行われる『SUZUKA Sound of ENGINE』で展示されます。

しかも同イベントでは、1980年代から1990年代にF1で活躍したピエルルイジ・マルティニ氏とともに、彼の所有する6輪たいれることティレルP34(1977年型)がデモ走行を行うことが決定しました。

SUZUKA Sound of ENGINEは毎年楽しみにしているイベントですが、今年は格別の年になりそうです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。