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スーパーGT JGTCで複数回チャンピオンを獲得した12人のドライバー(1994-2021)

1994年にはじまった全日本GT選手権は2005年にスーパーGTと名称は変えながらも成長を続け、2022年現在では日本でもっとも人気のあるモータースポーツカテゴリーに成長し、その30年近い歴史の中で多くのチャンピオンを生み出してきた。

そこで今回は、スーパーGTと前身の全日本GT選手権で、複数回ドライバーズチャンピオンを獲得した12人のドライバーを紹介してみよう。

引退選手など敬称についてなんて書けばいいのか迷ってしまう。

〇〇元選手?それとも〇〇氏や〇〇さん?

どうもしっくりこないので、少々失礼にも感じるが今回は現役選手を含めすべての方の敬称を略させていただく。

もちろん心の中ではしっかりと敬意の念を込めてます。

脇阪寿一

3度目の王者になった2009年の脇阪寿一
写真提供:Mさん

チャンピオン獲得回数 3回

  • 2002年(チームルマン)
  • 2006年(トムス)
  • 2009年(トムス)

GTで複数回チャンピオンになったドライバーで最初に紹介しなければならないのは脇阪寿一だろう。

現在はトヨタガズーレーシングアンバサダーを務める脇阪寿一は、のちにミスターGTと呼ばれるこのカテゴリーの中心的人物だった。

その脇阪寿一がスーパーGTとその前身の全日本GT選手権で3度のチャンピオンを獲得している。

脇阪が全日本GT選手権にデビューしたのは1998年。

トヨタガズーレーシングアンバサダーを務める脇阪だが、デビュー時はホンダ系のドライバーで、童夢(無限×童夢プロジェクト)からスポット参戦し、翌1999年からレギュラーシートを獲得する。

脇阪寿一がトヨタに電撃的に移籍したのがフル参戦3年目の2001年で、この年に後年監督としてチャンピオンを獲得することになるチームルマンに移籍した。

初のチャンピオン獲得はトヨタに移籍して2年目の2002年。

脇阪寿一が初のGT王者になった時のマシン
2019年東京オートサロンにて

古くからのGTファンならば誰もが覚えているであろうあの伝説のエッソウルトラフロースープラで初のチャンピオンを決めた。

ちなみにこのエッソウルトラフロースープラはトヨタの永久保存車両に認定されており、現在でもビッグイベントなどで脇阪寿一自らステアリングを握りデモ走行を行なっているため、近年のGTファンでも馴染みがあるだろう。

そして2006年にトヨタ系のエースチームであるトムスに移籍すると、その年に2度目の王者になり、2009年にも同じくトムスで3度目となるGTチャンピオンを獲得。

その後はクラフト、サード、レーシングプロジェクトバンドウと渡り歩き、2015年を最後に惜しまれつつも引退をし、現在はトヨタがズーレーシングのアンバサダー兼トヨタ系のサードチームの監督として精力的にトヨタのモータースポーツ活動を支援している。

立川祐路

立川祐路
2017年スーパーGT第2戦にて

チャンピオン獲得回数 3回

  • 2001年(セルモ)
  • 2005年(セルモ)
  • 2013年(セルモ)

脇阪寿一のライバルであった立川祐路も脇阪と同じく3度のチャンピオンを記録している。

1996年に日産フェアレディZを走らせるBROSファクトリーから全日本GT選手権にデビューした立川祐路は、翌年チームルマン(当時は日産系)で開幕戦のみスポットでエントリーする。

そして今も所属するセルモに移籍したのが1999年。

立川祐路が初のGT王者になった時のマシン
2019年東京オートサロンにて

そのセルモで2001年に未勝利ながら、自身初の全日本GT選手権王者になる。

2度目のチャンピオンは2005年。

この年は3勝を上げて、名称を変えたシリーズで初代スーパーGTチャンピオンになった。

そして8年後の2013年に自身3度目の王者になり、ライバルである脇阪寿一の記録に並んだ。

立川祐路は2022年現在もなおセルモに所属しており、年を重ねても一発の速さと甘いマスクは衰えず、老若男女を問わず人気が高い。

そんな彼がシリーズ最多タイとなる4度目のチャンピオンを期待するファンは多い。

ロニー・クインタレッリ

「ありえないよ〜」とマイクで叫ぶ(嘘)ロニー・クインタレッリ
2019年東京オートサロンにて

チャンピオン獲得回数 4回

  • 2011年(モーラ)
  • 2012年(モーラ)
  • 2014年(ニスモ)
  • 2015年(ニスモ)

次に紹介するのはスーパーGTでもっともチャンピオンを獲得したドライバーのロニー・クインタレッリで、その数は4回にのぼる。

クインタレッリは2005年にスーパーGTにサードから参戦を開始すると、翌2006年はセルモで1戦のみスポットで参戦し、2007年は同じくトヨタ系のクラフトで3戦に出場する。

2008年からは日産に移籍し、ハセミモータースポーツ、チームインパルで活躍。

そして2011年からはGT500クラスにステップアップしてきたモーラに移籍して優勝1回、2位4回の好成績で自身初のスーパーGTチャンピオンに輝き、2012年は2度の優勝でシリーズ連覇を達成した。

2013年にニスモに移籍し、2014年と2015年にまたも連覇を記録して、スーパーGT最多の4度のチャンピオンに輝いた。

そんなクインタレッリは2022年現在も日産のエースチームであるニスモで参戦を続けており、今後この記録がさらに伸びる可能性を秘めている。

本山哲

チャンピオン獲得回数 3回

  • 2003年(ニスモ)
  • 2004年(ニスモ)
  • 2008年(ニスモ)

日産のエースとして日本のモータースポーツ史にその名を刻む本山哲も、3度のGTチャンピオンを記録している。

本山哲は1996年、GT300クラスにホシノレーシングからデビューした。

そして翌1997年にはチームインパルからGT500クラスに昇格する。

その後日産系チームだった頃のARTA、ニスモ、チームインパルと1-2年ごとにチームを移籍し、2002年にふたたびニスモのシートを得る。

そしてそのニスモで2003年に未勝利ながら自身初の全日本GT選手権のチャンピオンに輝くと、翌2005年は2勝を上げて連覇を達成した。

それから4年後の2008年には年間3勝を上げて、自身3度目の王者の栄冠に輝いた。

2013年からはニスモのシートを離れ同じ日産系チームのモーラに移籍し、同チームがスーパーGTを撤退した2017年を最後に本山もGT500クラスを離れ、GT300クラスに戦いの場を変えたが、2022年第2戦を前にシートを失った。

次のページでは、往年のGT複数回チャンピオンドライバーが登場します!

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奥が深いモータースポーツ撮影の世界
MOTORSPORT撮影術

モータースポーツ撮影歴18年。腕に覚えは全く無いが、知識だけは豊富なワタクシぴぴが、レース撮影について偉そうに解説します。




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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。