今回は旧東海道踏破の旅の続きです。
昨年末、東海道最大の難所である箱根八里をなんとか踏破。
年が明けて2026年一発目は、三島宿を出発して、沼津宿を経由して原宿を目指します。
ということで、今回はその午前の部。三島宿から沼津宿までになります。

では、前回の目的地、三島市の本町交差点から出発です。
ザックリ見出し
世古本陣跡

本町交差点からすぐの場所にあるのが、二軒あった三島宿本陣のうちの一軒、世古本陣跡。
世古本陣は一の本陣と呼ばれ、世古六太夫が務めました。
安政四年(1857年)に三島宿に泊まったアメリカ人のハリスが、世古本陣の日本庭園の素晴らしさを日記に書いているらしいです。

そんな美しき日本庭園があった世古本陣の現在はこんな感じに。
樋口本陣跡

もう一軒の本陣は、世古本陣の向かいにあった樋口本陣。
写真では少しわかりにくいですが、歩道に碑と、商店の前に説明板が設置してあります。
樋口本陣にあった茶室不二亭は、近くの三嶋大社に移築されているそうです。

旧東海道は、三島広小路というよく整備された商店街になっており、正月三が日ということで、歩道には日の丸が掲げられていました。

しばらく歩くと源兵衛橋を渡るのですが、その先に次の目的地が見えてきました。
時の鐘

こちらは時の鐘。江戸時代、明け六つ(現代の午前6時ごろ)と暮れ六つ(現代の午後6時ごろ)に、三島宿内に時を知らせました。
第二次世界大戦で鐘が軍用に共出されたため、現在の鐘は昭和二十五年に造られたそうです。

この日はとても寒かったのですが、鐘の横にはストーブや暖房機が設置されていて、ありがたかったです。

そして時の鐘の先にある伊豆箱根鉄道駿豆線(通称いずっぱこ)の広小路踏切を横断し、

その先のY字路を道なりの左へ進みます。

進んだ先はこんな感じで、三島市の中心街から少し外れた雰囲気。

こちらのお宅はむかし美容院をしていたのかな、などと考えながら歩くのが楽しいです。

そして次の目的地が右に見えてきました。
林光寺

こちらは林光寺。
なんと武田信玄の子とされる故信上人が開山したお寺だそうです。
武田信玄といえば山梨県を中心とした地域が領土だったことは有名ですが、この先も元家臣たちの神社がありましたが、なぜなのでしょう。
思えば今でも休日になると、山梨ナンバーの車両が多く静岡にやってきますが、甲斐国の人々は海に憧れがあるのかな?
西見附跡

林光寺の先で、道がやや広くなっているのですが、この辺りにあったのが三島宿の京口の西見附があった場所になります。

この秋葉神社の前だったそうです。
さあ、ここから三島宿を出て、沼津宿に向かいます。
千貫樋

その西見附のとなりの境川橋が伊豆國と駿河國の境になります。

橋には説明板があり、それによると、天文二十四年(1555年)、今川、武田、北条が和睦し、証に北条氏康は小浜池から樋を築き、今川氏真に送水したそうで、この費用に銭千貫を要したらしく、千貫樋になったとのこと(諸説あり)。
その樋は当初木製でしたが、大正十二年の関東大震災で崩落し、その後鉄筋コンクリートに改められたそうです。
さあ、駿河国に帰ってきました(数時間前までいましたが・・・)。
常夜燈

千貫樋の先には、弘化三年(1846年)建立の常夜燈が残されています。


これは名主をはじめとした村人が防火を願い造ったもので、両側には秋葉大権現と富士浅間宮という、火を鎮める神様の名が刻まれています。

美しい石灯籠をしっかりカメラに収めたいと思いましたが、向かいの電柱の陰が、ちょうど常夜燈の真ん中に・・・こんなことある!?
晴天はいいことばかりじゃ無いんだ、と初めて知りました。
30分ほど待てば無くなるのですが、時間がないので泣く泣く先を急ぎます。
玉井寺の一里塚(伏見の一里塚)

常夜燈から700mほど歩いたところにあるのが玉井寺の一里塚。

玉井寺のとなりにあるこちらの一里塚は、慶長九年(1604年)に作られた当時のものがそのまま残っています。
石積みの柵がとっても良い感じで、とっても見応えがありました。
宝池寺の一里塚(伏見の一里塚)

玉井寺の一里塚の向かいの宝池寺の敷地内には、宝池寺の一里塚があり、両方の一里塚は合わせて伏見の一里塚と呼ばれています。
こちら宝池寺の一里塚の方が形が整っていますが、これは復元。長い年月で風雨にさらされて原型が損なわれたため、昭和六十年に原寸通りに復元されました。
往時はここに立場があり、人夫が駕籠を停めて休憩したそうです。
江戸日本橋から二十九里(約116km)を歩きました。

その後、国道1号線の沼津バイパスを横断して少し歩くと、右側に対面石の看板がありました。
八幡神社

こちらは清水町の八幡神社。
入り口にも看板があった通り、この八幡神社といえば境内の対面石が有名です。
ということで、本殿の左手奥にあるその石へ。

陰でわかりづらいですが、ここにある二つの石が対面石。
となりにある説明看板によると、源頼朝と源義経が平家打倒を誓い合った際に腰掛けた石だそうです。本当に!?

空は青く、ずっと富士山を右に見ながら歩くのが気持ちいい。

そして左には松並木が見えてきました。
江戸時代の旅人も、こんな景色を見ながら歩いていたんでしょうね。
智方神社

そんな松並木の向かいにあるのが智方神社。
鎌倉時代末期、皇族であり征夷大将軍だった護良親王は鎌倉で斬首され、従者が首級を奪って京に持ち帰る途中にこの先の黄瀬川の洪水に遭い、やむなくここに葬りました。
そしてその場所にクスノキを植え、後に智方神社が創建されたそうです。

その黄瀬川を渡ります。
晴天のこの日は川が穏やかに流れ、愛鷹山の向こうの富士山が川面に写っていました。

黄瀬川を渡り少し歩くと、次の目的地が見えました。
潮音寺

このお寺は潮音寺です。
潮音寺は駿河三十三観音霊場の三十三番札所で、かつて廃寺になった亀鶴山観音寺の本尊が移されたことで、亀鶴の伝説が残る歴史あるお寺になったそうです。
私は視聴しませんでしたが、2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のゆかりの地として知られているようです。
沼津藩傍示石

潮音寺のとなりにあったのが、『従是西 沼津領』と書かれた碑があります。
横の説明板によると、沼津は慶長十九年(1614年)に大久保忠佐の死後、程なくして天領となりました。
その後、初代沼津藩主の水野出羽守忠友が二万石の大名になり、沼津の所領を与えられると、安永七年(1778年)に『従是西 沼津領』と書かれた杭を設置。後年石製の現在のものに作り替えられたそうです。

傍示石の先で旧東海道は左に曲がり、県道に合流します。
富士隠れ坂

ここが富士隠坂と呼ばれた場所。
往時は急な堀割の上り坂だったそうですが、現在は土地改良が行われていて緩やかな上り坂。まったく苦になることのない道でした。
ずっと右に見えていた富士山の前に愛鷹山が現れ、剣ヶ峰が僅かに見える程度に。富士隠坂の所以です。
ご覧の通り、私は右の歩道に移りましたが、これが間違いの原因でした。
出発した時は肌寒い感じでしたが、お日様ぽかぽかで、日向ではちょうどイイ感じ。気持ちよく足を進め、本来左に入るべき大岡二ツ谷東交差点を直進してしまい、その先のY字路を大岡二ツ谷東交差点と勘違い。
次に向かう平作地蔵や沼津の一里塚が無く、後に合流する交差点の付近でやっと間違いに気付き引き返す羽目に。結局1km以上無駄に歩いてしまいました。

本来は富士隠れ坂の先の、このY字路を左に進みます(もう一度元に戻って撮影してます・・・)。

そして狩野川の土手のとなりを歩き、

黒瀬橋のガードをくぐると次の目的地になります。
平作地蔵

こちらは平作地蔵。中にはお地蔵様が大切に安置されていました。
平作地蔵尊は、浄瑠璃『伊賀越道中双六』に出てくる沼津の平作にゆかりの深い地蔵尊で、日本三大仇討ちの一つとされているそうです。

となりにあった説明板を載せておきますので、興味のある方はどうぞ。

平作地蔵から100mあまり先に次の目的地があります。
沼津の一里塚

一里塚公園内にあるのが沼津の一里塚(日枝の一里塚)。こちらは縮小して復元されています。
そして伏見の一里塚から一里(約4km)も距離があったかなあ(実際には道を間違え4km以上歩いたが)と思いましたが、本来一里の距離だと沼津宿内になり、それを避けるために里数が短くなっているそうです。
公園内には一里塚の説明があり、それによると江戸幕府が慶長四年(1604年)に主要街道に一里塚を設ける以前は一里は六町だったそうですが、一里を三十六町に変えた際、その周知を目的にしたらしいです。
ここまで何度も一里塚の説明板を見てきましたが、このことは書かれていなかったので、学びになりました。

また、公園内には玉砥石があります。これは今から二百年から三百年ほど前、玉類を磨くために用いられていた砥石だそうです。

沼津の一里塚の先で、先ほど歩いてきた道とふたたび合流。

500mほど進み、この交差点を斜め左に曲がります。
わかりにくい場所ですが、左手に『旧東海道 川廊通り』の標石があったら間違いありません。

川廊通りは右にゆるく曲がっているのですが、そのカーブの外側に水神社があります。

神社に手を合わせ、その先の狩野川を見てみると、青く澄んだ空が水面に映りとっても綺麗。
奥に見えるのは鷲頭山でしょうか。
歩みの記録

水神社の先の丁字路が午前中の目的地。沼津宿に到着です。
では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリで、歩みの記録を見てみましょう。

まずは歩いた軌跡を地図で見てみます。
午前中は、三島市から沼津市まで。
静岡県東部の覇権争いをする両市。古くは沼津市が優勢でしたが、新幹線駅が開業してからは三島市が優勢になっています。
そんな両市の中心街までの距離はかなり近かったです。
地図の沼津市の市の文字の上辺りで、軌跡が二重になっていますが、文中でも書いた通り道間違いをして引き返した場所。
要するにこの区間は県道二往復と旧東海道が一回、合計三回歩いたことに・・・。

続いては詳細。
9時40分に三島宿を出発して沼津宿に到着したのが12時16分ということで、2時間半を要しましたが、その原因はやっぱり道間違い。あれで20分ほど無駄にしてしまい、通常一里半、実測6kmの距離を8.7kmも歩いてしまいました。
ただ、急ぐ旅ではなく、ウォーキングを楽しみながらののんびり旅なので、ヨシとします。
ということで、沼津宿に到着した私が午後に向かうのは原宿。
次回もゆっくりのんびり観光地を見ながら旅を進めていきますので、よかったら次もご覧ください。










やはり街中に入ってくると街道!という雰囲気は薄らいでくるようですね。でも、一里塚等が往時を思い出させてくれているのも良いように思います。現在と過去の共存・・・。それにしても富士山を眺めながらの道中って素敵ですね。今なら新幹線でピューっと通り過ぎてしまいますものね。渡辺数馬・荒木又右衛門 ゆかりの地であることも初めて知りました。曽我兄弟と合わせて三つのうち二つが駿河と関連するのも面白いですね。☺️