今回は旧東海道踏破の旅の続きで、興津宿から江尻宿までの五里二町の道のりの歩き旅。
前日、二週間後に控えた静岡マラソンに向けて12Kmを走ったので足が少し痛いが、前回の降雪から一転のぽかぽか陽気の中、今回もライカM11を首にぶら下げて、道中をゆるーく楽しむことにしよう。

では、前回歩いた興津宿内の興津駅前交差点から出発!
東本陣跡

国道1号線を歩いて行くと、右の歩道脇に石碑が見えてきた(黒い車の手前)。

こちらは市川新右衛門が務めた本陣があった場所。
興津宿には東と西2つの本陣があり、こちらは東本陣と呼ばれていたようだ。
潮屋

東本陣の筋向いにあるのが、明治三十年創業の老舗潮屋。
米糀の甘酒を用いた鮭饅頭『宮様まんぢう』が有名だそうだが、朝食を腹一杯食べてきたので、少々後ろ髪引かれつつ通り過ぎる。
脇本陣水口屋跡

潮屋の並びに水口屋の看板が見える。ここが武田信玄の家臣だった望月氏が務めた脇本陣水口屋になる。
明治以降は旅館一碧楼水口屋として繁盛し、現在は清水の巨大企業である鈴与グループが所有して、ギャラリーとして一部を無料開放しているようだ。
西本陣跡

興津宿のもう一つの本陣の西本陣は、水口屋のすぐ先に。
こちらは手塚十右衛門が務め、寛永十二年(1635年)から明治三年までは、東本陣の市川家と月番で営んでいたそうだ。
現在はアパートになっている。
清見寺

西本陣跡から少し歩くと右手にあるのが、清見関の鎮護寺だった清見寺。
YouTuberスーツくんが動画内で、明治時代に東海道本線を敷く際に清見寺の境内がかかってしまい、住職に持ちかけると、日本の一大プロジェクトに貢献したいと快く敷地を献上し、受け取った保証金のすべてを寄付したというエピソードを何度も紹介しているあの清見寺だ。

今日も境内の真ん中を東海道本線が通り、列車が頻繁に行き交っていた。

2月下旬ということで、境内には梅の花が綺麗に咲いていた。今川氏の人質になった竹千代(家康)が手習いの合間に接木した梅の木はこちらだろうか・・・。
坐漁荘

清見寺の先に立派な和風建築が見えてきた。
道路看板にもある通り、こちらが伊藤博文の腹心だった西園寺公望の晩年の別荘だった興津坐漁荘。

当時は総理や大臣が訪れ、西園寺詣でや興津詣でと言われたそうだ。
尚、当時の建物は愛知の明治村に移築されている。

国道1号線を進むと国1バイパスのガードがあり、

ガード下にあるY字の歩道を左に進み、

住宅街の中を歩く。

そして突き当たりを右折し、

東海道本線の横砂踏切を横断。

その後、先ほどまで歩いてきた国道1号線に合流する。
横砂の延命地蔵堂

その合流地点に延命寺地蔵堂がある。
病は治せるが寿命は延ばせない、という、無理な願いを叶えてくれるのが横砂の延命地蔵さん。
堂の中には、大宝珠を両手に持つ石造延命地蔵尊坐像が安置されているそうで、堂前には常夜燈があった。
となりの蔵もなかなか趣があり良い感じ。
東光寺

横砂の延命地蔵堂の先にあるのが、天文年間(1532-1554年)創建の東光寺。
立派な格子門は、勅使下向の際に興津川の渡が川止めになり、東光寺に泊まることになった際に急遽造られた門だそうなのだが・・・見た感じそんな古くない。建て替えられたのか。

そして庵原川を渡り、

名残の一本松を見ながら江尻宿を目指す。
興津宿までを歩いた先週は、静岡では珍しく雪が降り非常に寒い一日だったが、本日はトレーナー一枚でも背中に汗をかくほどのポカポカ陽気で、気分良く足を進める。

複雑な袖師交差点の歩道橋上から駿河湾方向を望む。遠くに見えるコンビナートは日本きっての良港の清水港。

旧東海道の静岡県内区間に設置されている夢舞台東海道の道標。江尻宿までは0.7kmと、もう後少し。

ここまで国道1号線を歩いてきたが、辻町のY字路交差点を右に進み国1と別れます。
細井の松原跡


その辻町の交差点に一本の松が植えられていた。
ここはかつて二百六本の松並木だったのだが、昭和十九年に松根油採取のために伐採されてしまったそう。
戦況が厳しくなっていた中で、松の油を燃料として採取していたとは・・・。平和な時代でぬくぬくと育った私たちにとってはちょっと考えられない。

その伐採の際に、東海道で倒れた旅人のものとみられる多くの人骨が出土し、一本松の傍らには供養の碑が建てられたそう。
辻の一里塚跡

そして細井の松原跡から少し歩くと立て看板。ここは辻の一里塚(江尻の一里塚)があった場所になる。

すでに塚は撤去されていて、面影を残すのはこの看板のみ。こんな簡易的な立て看板ではなく、せめて標石を建ててほしいものだ。
江戸日本橋から四十二里(約168km)。

辻の一里塚跡の向かいには辻村の高札場跡を示す立て看板があった。

その先に『ファミリーファッション タクトン』というお店があった。
『タクトン』といえば、午後に行く府中宿の近くの北街道にもかつて出店されおり、短ランやボンタンなど、いわゆる変形学ランを扱うお店で、四十年近く前の学生時代にはお世話になったが、看板の色味からおそらくあの店の系列店。

清水といえばビーバップハイスクールの舞台にもなったヤンキーの聖地だが、今じゃ、あんな学ランを着る学生などはいなくなり、形態を変えたのだろうか。タクトンがおしゃれファッションとは・・・。

そのタクトンの辺りにあるはずの東木戸跡の立て看板は発見できなかったが、ご覧の趣のある木造建築があり、すでに江尻宿に入ったはず。

江尻宿の看板があり確信。
歩みの記録

そして、国道1号線と交差する江尻東交差点でこの日の前半の部は終了。
では、いつものようにiPhoneのフィットネスアプリで、歩みの記録を見ていこう。

まずは地図から。本日は東海道本線の興津駅から清水駅近くまでの1駅区間を、南西方向に歩いた。
道中左手には静岡県最大の港である清水港があるのだが、海岸線から少しだけ内陸だったため、見られなかったのがちょっと残念。

続いては旅の詳細。
興津宿から江尻宿までの距離は一里二町。現在の道での実測が5kmと短く、今回は寄り道もしなかったので、ほぼ実測値と同じ距離を1時間30分ほどかけて歩いた。
前回の由比宿や蒲原宿の周辺は、歴史的建造物や古い町家を多く見ることができたが、今回の道中は開発が進み、残念ながら江戸時代の遺恨がほぼ残っていなかったのが残念だった。
ということで、この日の前半の部は終了。次回はここ江尻宿から駿府城の城下町として栄えた府中宿までの道のりを書いていくので、興味のある方はお付き合いを。











寒さも和らぎ歩きやすくなってきましたね。病は治せるが寿命は延ばせないという延命地蔵さん、なるほどと妙に納得しました。お薬師さんのような存在でしょか。松根油、久しぶりに聞きました。木炭自動車というのもあったと小学校低学年の頃、聞いたことがあります。変形学生服専門のお店があったのですね。たぶん学校の先生は苦々しく思ったのではないでしょう
か。 これから歩きやすい季節になりますが、お気をつけて・・・。☺️