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ヤマハコミュニケーションプラザへ行ってきた!【WGP/MotoGPマシン編】

新型コロナウイルスの影響でモータースポーツイベントが中止や延期になり、7月に開幕するスーパーGTは無観客。

毎年10レース近くサーキットでレース観戦する私にとって、レーシングマシンを撮影できないのは一番のストレスになります。

県をまたいでの移動はできないので、私が住む静岡県で、レーシングマシンを撮影できる展示施設を考えてみたところ・・・磐田市のヤマハコミュニケーションプラザだっ!

ヤマハはバイクメーカーですが、レーシングエンジンも手掛けており、1989年からはF1エンジンを手掛けてブラバムやジョーダン、ティレルなどのF1チームへ供給していました。

ヤマハコミュニケーションプラザには1992年のジョーダンヤマハが展示されており、今回はその1台を観るために行ってきました。

そしてヤマハのモータースポーツといえば、ロードレースの最高峰であるWGP・MotoGPということで、ズラリと並ぶ2輪のWGP・MotoGPマシンも撮影しますよ!

ヤマハコミュニケーションプラザに到着。

二輪メーカーなのにクルマでアクセスしてゴメンなさい・・・18歳の頃にヤマハビラーゴを所有してたので許してください。

ヤマハ発動機本社の隣に位置し、

すぐ近くにはヤマハスタジアムもあり、一大ヤマハタウンといったところでしょうか、発動機の方のね。

受付のきれいなお姉さんに声を掛けて、おそらくコロナ対策と思われる記入シートを書き、入館料は・・・無料!?

バイクは15年前に降り、現在は某ライバルメーカー系列に勤める私も無料で入館させていただけるとは・・・さすがヤマハさん、太っ腹!!

一番目立つ場所には今年のカラーリングを施したMotoGPマシン『YZR-M1』がお出迎え。

多分、多くのヤマハファンはこのMotoGPマシンに大感激するでしょうが、すみませんワタクシF1が観たいんです・・・ジョーダンヤマハが・・・。

4輪スーパーカー

そしてエントラントから目をひく場所にスーパーカーが2台鎮座します。

1台は限定500台が販売されたレクサスLFA。

ヤマハはかねてより高性能トヨタのエンジン開発を手がけており、このLFAのエンジンの開発と生産をおこないました。

ちなみにサウンド開発には楽器の方のヤマハが参画したそうです。

そしてもう1台が幻のスーパーカー、ヤマハOX99-11です。

当時F1エンジンを手がけていたヤマハがそのF1エンジンをベースにしたエンジンをカーボン製のモノコックシャシーに搭載したスーパーカーです。

1994年の発売を見込んでいましたが不況の影響で断念し、ヤマハの4輪進出はバブルとともに消えました。

実車を見るのはもちろん初めてですが、30年近く前に開発した(発表は1992年)クルマとは思えないほどの斬新なエクステリアで、ヤマハが4輪に進出していたら今頃どうなっていたのかと、つい思いにふけってしまいました。

ヤマハWGPマシン

その他1階には現在市販されているバイクなどが展示されていましたが、このブログを見てくれている方はレース用マシンの方が興味があると思うので、それが展示してある2階に移動します。

早速ありました!WGP・MotoGPマシンがズラリ並んでおり、一番奥には今回の大本命、ブルーのマシンが鎮座してます!

そして驚いたことに私の他に観覧客がひとりもいません。

実はヤマハコミュニケーションプラザは、新型コロナウイルスによる休館から1週間前に再開したばかりで、平日ということも関係しているのでしょうね。

県外のみなさんすみません、地元の理ということでお許しを・・・。

では、WGPマシンを観ていきましょう!

テーマは『挑戦 1000分の1秒を刻んできたレースマシン』・・・なんかイイ感じの展示ですね。

それでは古いレースマシンから順に観ていきましょう(ロードレースは専門外なのでツッコミはコメントで優しくお願いします・・・)。

ヤマハRD56(1965年)

RD56(1965年)

ヤマハ発のGP250マシンであるRD48の発展型で、1963年にWGPにデビューして1965年までの間に通算15勝を記録し、1964年・1965年にはメーカーとライダーのWタイトルを達成したマシンです。

半世紀以上前のマシンで、丸っこいデザインが時代を感じさせます。

ヤマハRA31A(1968年)

RA31A(1968年)

GP125のファクトリーマシンで、メーカーとライダーのWタイトルを獲得したマシンです。

125ccだからかRD48に比べるとスリムで、1997年に発売したホンダドリーム50にカウルを付けたようなデザインが私は好きです。

ヤマハRD05A(1968年)

RD05A(1968年)

GP250マシンで、1967年はタイトルを逃したものの、1968年にWタイトルを獲得しました。

ヤマハTZ250(1973年)

TZ250(1973年)

長年にわたりWGPに参戦するプライベーターの主力として活躍したマシンです。

ヤマハYZR500 0W20(1974年)

YZR500 0W20 (1974年)

1973年から投入されたヤマハ初のGP500ファクトリーマシンで、こちらは1974年仕様になります。

私の生まれた年のマシンですが、この頃もまだホイールはスポークなんですね。

ヤマハYZR350 0W16(1975年)

YZR350 0W16(1975年)

GP350ファクトリーマシンで1974年と1975年にライダーチャンピオンを獲得しました。

ヤマハYZR500 0W35K(1978年)

YZR500 0W35K(1978年)写真右

GP500ファクトリーマシンで、1978年に4勝をあげWGP500の3連覇への第一歩を踏み出したマシンです。

ホイールがアルミになりましたね。

ヤマハYZR250 0W82(1982年)

YZR250 0W82(1982年)

1973年以来13年ぶりに登場した250ccクラスのファクトリーマシンです。

このマシンで1986年のWGPでライダーチャンピオンを獲得し、最終戦のサンマリノグランプリでは平忠彦がグランプリ初優勝を飾りました。

1980年代のマシンはもう古さを感じさせず、WGPに詳しくない私にとっては現代のマシンと言われてもわかりません。

ヤマハYZR500 0W81(1985年)

YZR500 0W81(1985年)

GP500ファクトリーマシンで、エディ・ローソンとクリスチャン・サロンがランキング2位・3位を獲得し、全日本選手権では平忠彦が500ccクラス3連覇を達成したマシンです。

WGPに詳しくない私でもエディ・ローソンぐらいは知っています。

ヤマハYZR500 0W86(1987年)

YZR500 0W86(1987年)

1987年のGP500ファクトリーマシンで、エディ・ローソンが3勝、ランディ・マモラが3勝をあげ、ヤマハに4度目のメーカータイトルをもたらしました。

ヤマハYZR500 0WC1(1990年)

YZR500 0WC1(1990年)

ウェイン・レイニーが初のチャンピオンに輝いたGP500ファクトリーマシンで、展示車のゼッケンやスポンサーは1991年シーズンのものです。

ヤマハのファクトリーマシンは長年マールボロのサポートを受けていたのですね。

WGP界のマクラーレンといったところでしょうか。

ヤマハYZR500 0WE0(1992年)

YZR500 0WE0(1992年)

ヤマハのGP500ファクトリーマシンで、ウェイン・レイニーに年間3勝、1990年からの3連覇をもたらしました。

ウィイン・レイニーもよく耳にしたライダーで、後年事故により下半身不随になってしまったのですよね。

2019年の鈴鹿サウンドオブエンジンで数十年ぶりに鈴鹿サーキットを走りましたが、WGPに詳しくない私でもその場面を鈴鹿で観て感動してしまいました。

ヤマハYZR500 0WF2(1993年)

YZR500 0WF2(1993年)

GP500ファクトリーマシンで、1993年にヤマハ8度目のメーカーチャンピオンをもたらしたマシンです。

ちょうど私がバイクの中型免許をとった頃で、『ヤングマシン』や『オートバイ』などの雑誌を一生懸命に見ていたころのマシンで、当時を思い起こさせてくれました。

ヤマハTZ250M 0WF3(1993年)

TZ250M 0WF3(1993年)

市販レーサーをベースに開発されたファクトリーマシンで、原田哲也がWGP参戦1年目でチャンピオンを獲得マシンです。

原田哲也もよく名前を耳にしたライダーで私も知ってます。

ヤマハYZR500タンデム仕様(2002年)

YZR500タンデム仕様(2002年)

YZR500 0WL9をベースに、二人乗りのためのタンデムシートや燃料タンクにグリップをつけた特別仕様のマシンです。

展示車両の中ではひときわ迫力がありましたが、デモ走行用のマシンでしたか・・・。

ん〜、でもカッコいい!

ヤマハYZR-M1(2015年カラーリング)

YZR-M1(2015年カラーリング)

2015年仕様のMotoGPマシンのカラーリングを施したロードレーサーです。

いにしえのヤマハWGPマシンを堪能した私は、ヤマハコミュニケーションプラザの一番奥に鎮座する1992年のF1マシン、ジョーダンヤマハを貸切状態でじっくり観覧するのでした。

ということで今回はここまで。

三流テレビ番組のごとく中途半端な状態ですが、次回の投稿までしばしお待ちを・・・。

次のページは、ヤマハコミュニケーションプラザへ行ってきた!【ジョーダンヤマハ編】です。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。