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【特別編】フットワークFA13 運送会社フットワークと鈴木亜久里 無限の日本国籍マシン【ミニカー#90】

1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はフットワークが1992年のF1に参戦するために開発した、フットワークFA13を取り上げていこうと思う。

シリーズ90回目の記念ということで、スパーク製のミニカーで紹介していく。

当モデルは、日本人F1ドライバーのパイオニア的存在である鈴木亜久里氏のドライバーフィギュアが付いた、非常に精度の高い製品になる。

マシンデータと戦績

まずはフットワークFA13の主要諸元をチェック。

年式1992年
カテゴリーF1
コンストラクターフットワーク
マシン名FA13
デザイナーアラン・ジェンキンス
ボブ・ベル
エンジン無限ホンダMF-351H
主要諸元表

つづいてフットワークFA13の戦績を見てみる。

コンストラクターアルボレート鈴木亜久里
シーズン順位7位10位20位
シーズンポイント6P6P0P
優勝0回0回0回
表彰台0回0回0回
ポールポジション0回0回0回
ファステストラップ0回0回0回
戦績表

フットワーク・無限・鈴木亜久里の日系F1チーム

フットワークという会社をご存知だろうか?

フットワークとは1990年代にはたくさんのトラックが日本の道を往来していた運送業者で、ホワイトをベースにオレンジで描かれたダックスフントのイラストがトレードマークだった。

そのフットワークは1990年にF1チームアロウズのメインスポンサーになり、のちに買収。翌1991年にはチーム名が、そして1992年にはコンストラクターとしてもフットワークを名乗ることになる。

資金面が安定したチームは、前年までティレル、その前はマクラーレンで使用していたホンダ製V型10気筒エンジンの改良版である、無限ホンダ製のV10エンジンを1992年に獲得。

また、それと同時に鈴木亜久里氏をチームに招き入れ、かつてのフェラーリエースドライバーだったミケーレ・アルボレートとコンビを組むことになり、チーム国籍・エンジン・ドライバーのひとりが日本になった。ちなみに当時F1実況を行なっていた古舘伊知郎氏が付けたあだ名が『F1日本大使館』。

1992年製フットワークFA13のシャシーは、フロント部分のデザインを前年好走したジョーダン191風のハイノーズに変更。

そして第13戦からは、ドライバーの負担を軽減する目的でオートバイのようなシーケンシャルタイプのトランスミッションを採用する。

中堅チームにしては豊富な資金で、リタイヤの少ない安定した成績を残したが、マシンは一発の速さがなく、獲得した選手権ポイントは6でコンストラクターズランキングは7位にとどまった。

では、そのフットワークFA13のミニカーを詳しく見ていこう。

フットワークFA13のミニカーを実車のように撮る!

それでは1/43のフットワークFA13を撮影していこうと思う。

もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。

フットワークのカーナンバー10は鈴木亜久里のマシン。

ジョーダン191のようなフロントウイングになったフットワークFA13だが、どことなく前年のFA12のような1本支柱の独創的な吊り下げ型デザインが垣間見える、同じアラン・ジェンキンス作のフロントセクション。

リヤセクションもしっかり再現されたスパークのミニカー。

たしかこのモデルは、モデラーズやフジミ模型でもモデル化されたいた記憶がある。

ノーズに厚みがあるからか、かなりフロントオーバーハングが重そうに感じるのだが・・・。

フロントウイングから後方に、長くボーテックスジェネレーターが伸びているのはこの頃の流行だ。

1990年代に日本の道を縦横無尽に走っていた、フットワークのトラックと同様のカラーリングは、時代を感じさせる。

フットワークFA13をスターティンググリッドに移動する。

奥に見えるのは、この年デビューした片山右京のヴィンチュリーLC92。

この紅白ストライプのカラーリングは、今の時代にあらためて見るとセンスがないなあ。

ちなみに1990年、アロウズのタイトルスポンサーになった年のA11Bには、ドライバーサイドに蝶々結びのリボンまで描かれていた。

F1マシンに赤いリボン・・・いやはや。

鈴木亜久里のヘルメットが懐かしい!

F1ミニカーをジオラマで再現するとき、ドライバーフィギュアがあると再現度が高くなるね。

このフットワークFA13は、かつて存在したモデラーズというモデルメーカーから1/20のプラモデルが、そしてタミヤからは1/10のラジコンが発売されている。

好成績を残すことはできなかったが、日本国籍のチーム、そして鈴木亜久里のマシンだったこともあるが、それにも増して当時のF1ブームがいかに凄かったかを物語っている。

そして近年フジミ模型と、このスパークの記念モデルのミニカー・・・もっと復刻すべきマシンがあるだろうと思うのだが・・・。

以上、1/43のフットワークFA13を実車のように撮影してみた。

今回登場したミニカー

今回撮影に登場したミニカーを紹介する。

【スパーク製】フットワークFA13

2020年に発売された、レーシングオンとスパークのアニバーサリーモデルスパーク『1/43″Japanese F1 Pioneers” 中嶋悟/鈴木亜久里/片山右京 3台セット 限定BOX』の1台。

【スパーク製】ヴェンチュリーLC92

こちらも同じく2020年に発売された、レーシングオンとスパークのアニバーサリーモデルスパーク『1/43″Japanese F1 Pioneers” 中嶋悟/鈴木亜久里/片山右京 3台セット 限定BOX』の1台。

今回の撮影機材

今回ミニカーを撮影したカメラ機材を紹介する。

カメラキヤノンEOS R5
レンズキヤノンRF35mm F1.8 IS STM
スピードライトキヤノン430EX Ⅱ
三脚ベルボンEX-Macro
撮影機材

最後に

ということで今回は、フットワークFA13について書いてみたが、最後はそのフットワークFA13に乗って活躍した、日本人レジェンドF1ドライバーの鈴木亜久里について少し書いてみよう。

鈴木亜久里は1988年の日本グランプリで、病気により欠場したヤニック・ダルマスの代役としてF1にデビューし、見事に完走を果たす。

そして翌1989年に、中嶋悟に次ぐ日本人フルタイムF1ドライバーの二人目としてザクスピードから参戦するも、全戦に渡り予備予選落ちの憂き目にあう。

1990年に、自身のパーソナルスポンサーでもあった日本のエスポがフランスのラルースチームのオーナーになったこともあり、ラルースに移籍する。

バランスの良いラルース(ローラ製)のマシンとパワフルなランボルギーニV12により、シーズンが進むにつれて上位に進出。

そして第15戦の日本グランプリでは、ワンツーフィニッシュしたベネトンの後でチェッカーを受け、日本人初となるF1表彰台という快挙を達成した。

レースはマクラーレンやフェラーリが全滅するという幸運もあったが、ウィリアムズの2台に先行してのフィニッシュということもあり、彼のドライビングテクニックを大いに発揮した素晴らしいレース運びで、F1ブーム真っ只中の日本でその快挙が広く報道された。

しかし、翌1991年から苦難がはじまる。

日本グランプリの快挙もあり、トップチームの一角であるベネトンからのオファーもあったが、エスポへの恩義でラルースに移籍したものの、チームはコンストラクターズポイントを剥奪される。

理由は、ローラ製シャシーを使ったのにも関わらずコンストラクター名をラルースと誤ってエントリーしたから。

その陰には同じフランスのライバルチームであるリジェの訴えが原因だった。リジェは前年コンストラクターズ11位で、10位までに入るとFOCA便を使えるためだった。

さらにラルースはメインスポンサーのエスポの支援が縮小してしまい、資金難に陥ってランボルギーニエンジンをリジェに奪われてしまう。

それでも鈴木亜久里は開幕戦で6位1ポイントを獲得するが、それ以来1度も完走することなくシーズンを終えた。

翌1992年は、鈴木亜久里の全日本F3000時代のスポンサーだった縁から、フットワークに移籍する。

しかしここでは精彩を欠き、チームメイトのアルボレートやワーウィックが入賞する中、2シーズンで1ポイントを稼ぐことなく、1994年にジョーダン、1995年にはリジェから数戦に出場し、F1ドライバー人生は終了した。

その後は国内レースに出場し、のちにARTAの監督として国内で活躍していた鈴木亜久里だが、2006年にスーパーアグリのチームオーナーとしてF1にカムバックする。

初年度はアロウズの型落ち(2002年のA23ベース)で出場し、2007年にはホンダの型落ちマシンでワークスチームを凌ぐ走りを見せて2度の入賞を果たす。

結局2008年のスペイングランプリまでまで2シーズン半に渡り、夢だったF1チームのオーナーとして活躍したのだった。

以上、今回は1/43のフットワークFA13を実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。