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ミナルディM191【ミニカーで振り返るレーシングマシン78】門外不出のフェラーリエンジンをはじめて搭載したマシン

1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はミナルディが1991年のF1に参戦するために開発した、ミナルディM191を取り上げていきたいと思います。

マシンデータと戦績

まずはミナルディM191の主要諸元をチェック。

年式1991年
カテゴリーF1
コンストラクターミナルディ
マシン名M191
デザイナーアルド・コスタ
エンジンフェラーリTipo 036・Tipo 037
主要諸元表

ミナルディM191のデザイナーは、のちにフェラーリのテクニカルディレクターとなるアルド・コスタで、エンジンはフェラーリV12を搭載する。

つづいてミナルディM191の戦績を見てみる。

コンストラクターマルティニモルビデリ
シーズン順位7位11位24位
シーズンポイント6P6P0.5P
優勝0回0回0回
ポールポジション0回0回0回
ファステストラップ0回0回0回
戦績表

※モルビデリのポイントは、最終戦で代役出走したフェラーリで獲得したもの またモレノが最終戦のみ出走したが、今回の表では割愛す

1991年のコンストラクターズ7位は、ミナルディの21シーズンに及ぶF1参戦の中でもっとも良い成績だった。

門外不出のフェラーリV12エンジンを搭載したマシン

ミナルディM191と聞いてまず思うのが、門外不出と言われていたフェラーリのV型12気筒を搭載したマシンということだろう。

フェラーリは1960年代までは稀にプライベートレベルでマシンやエンジンを供給していたが、公式に他チームへエンジンの供給を行なったのは同じイタリアのチームであるミナルディがはじめてだった。

F1ブーム世代なら、ミナルディのチームオーナーであったジャンカルロ・ミナルディがエンジン供給の契約を交わし、フェラーリのトランスポーターから誇らしげに出てくる姿を思い出す方も多いだろう。

そしてフェラーリエンジンを搭載するマシンのデザインは、のちにフェラーリでテクニカルディレクターを務めることになるアルド・コスタが担当している。

そのミナルディM191はフェラーリV12を搭載したことにより予選はもとより決勝でも上位を走行したが、前年のコスワースV8よりも重量が重く、マシンバランスではあまりよくなかった。

またフェラーリがセミオートマチックトランスミッションなのに対しミナルディは旧来のマニュアルトランスミッションで、フェラーリエンジンは本家のセミオートマに合うようにセッティングされており、ミナルディのマニュアルミッションとの相性は悪く、それもウィークポイントになった。

それでも時には本家フェラーリを上回る成績も残し、エースのミスターミナルディと言われたマルティニがサンマリノグランプリとポルトガルグランプリの2度4位に入賞し、コンストラクターズ選手権ではチーム最高の7位に入った。

だがフェラーリエンジンの使用料があまりにも高く、前年終盤に契約をしたパイオニアが突然契約を解除しフェラーリに鞍替えをしたことも痛手で、わずか1年でフェラーリとの契約を解除し、翌年は同じイタリアのランボルギーニV12を搭載することになる。

では、そのミナルディM191のミニカーを詳しく見ていこう。

ミナルディM191のミニカーを実車のように撮る!

それでは1/43のミナルディM191を撮影していこうと思う。

もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。

前年のホワイトとイエローが中心のカラーから、本来のミナルディマシンらしい濃紺が多くあしらわれたカラーリングに戻った1991年のミナルディM191。

そしてカーナンバー23は、Mr.ミナルディことピエルルイジ・マルティニの番号だ。

当時のF1マシンは全幅2000mmでワイドタイヤを装着し、いかにもF1らしいリヤビューだ。

※F1は1998年に全幅1800mmになり、2017年からふたたびワイドになっている

そして奥に見えるトランスミッションがミナルディM191のウィークポイントだった。

ミナルディM191のエンジンカウルから後ろのデザインは、フェラーリが1991年シーズンの序盤に使用したフェラーリ642に酷似している。

フェラーリ642【ミニカーで振り返るレーシングマシン】vol.26 6戦で退役した短命マシン

サスペンションはこの時代のもっともオーソドックスな形態で、前後ともに上下ダブルウィッシュボーン、プッシュロッド式で構成されていた。

そのサスペンションに装着されるタイヤメーカーは、前年までのピレリから、この年フェラーリと同じグッドイヤーに変更されている。

マシンをスターティンググリッドに移動し、まったく縁のなかったポールポジションの位置に。

奥に見えるのは1991年シーズンのチャンピオンマシン、マクラーレンMP4/6だ。

ちなみにミナルディM191の予選最高位は、第15戦日本グランプリでマルティニが記録した7位だった。

ミナルディの参戦初期は、例年チームカラーの濃紺×ホワイト×イエローでカラーリングされていて一目でミナルディのマシンとわかる素敵な色合いだった。

だが裏を返せば毎年メインスポンサーを持てなかったからで、チームの台所事情がうかがえる。

この年ミナルディの台所事情をもっとも悪化させたのは、前述のとおりフェラーリの高価なエンジンフィーだが、フェラーリTipo 037は1990年仕様のスペックで、最新の本家フェラーリのものとは異なっていた。

ノーズにはフェラーリと同じくAgipのロゴマークが貼られており、同チームのマシンカラーとマッチして非常にカッコよく見える。

ちなみに2010年にブランド統合によりAgipブランドからEniブランドへと移行しているが、Agipのトレードマークである6本脚の火を吹く犬はEniのマークでもあるため変更はない。

以上、1/43のミナルディM191を実車のように撮影してみた。

今回登場したミニカー

今回撮影に登場したミニカーを紹介する。

【ixo製】ミナルディM191

デアゴスティーニF1マシンコレクションの109号で、製造はイタリアの老舗ミニカーメーカーのixoが行なっている。

1991年当時、F1ミニカーといえば子供の遊具の延長のような精度のオニキス製のものしかなく、その後台頭したミニチャンプスやスパークなどのメジャーなミニカーブランドでも、マクラーレンやウィリアムズなどの強豪チームのミニカーしか復刻されていない。

そのためこのデアゴスティーニが企画したixo製のミナルディM191のミニカーは非常に貴重である。

【ixo製】マクラーレンMP4/6

こちらもデアゴスティーニF1マシンコレクションの90号でixo製。

このマクラーレンMP4/6は多くのミニカーメーカーが復刻したが、その度に精度が上がり、近年発売されたixo製のミニカーは3,000円にも満たない価格ながらもなかなかのものである。

マクラーレンMP4/6【ミニカーで振り返るレーシングマシン80】セナ&ホンダ最後のチャンピオンマシン

最後に

最後は今回取り上げたミナルディチームとそのエースドライバーであるピエルルイジ・マルティニについて書いてみよう。

ミナルディは1985年から2005年までF1に21シーズンに参戦したチームで、イタリアの弱小コンストラクターでありながら多くのF1ファンや関係者に愛された。

参戦後期の印象から万年テールエンダーの印象が強いが、今回取り上げた1991年前後は中堅チームとして活躍し、幾度か予選で上位に食い込んだりと光るレースもあったが、結局21シーズンで表彰台に上がることはなかった。

現代のシステム化されたF1チームとは違い、家族的な雰囲気とF1への情熱が漲るチームで、イタリアのチームらしくモーターホームで提供されるパスタは絶品で、在りし日のアイルトン・セナが常連であったことはあまりにも有名。セナはパスタのお礼に現役最後の年は無給でミナルディをドライブするとも語っていたという。

そういえば、パスタ製造で世界的な企業であるバリラ社の御曹司であるパオロ・バリラが1989年の日本グランプリ(スタートでなぜか消火器をぶちまけた)から1990年シーズン終了までチームに所属していたが、これも何かの縁だったのかもしれない。

※パオロ・バリラ自身はバリラ社からの直接の支援は受けていない

ミナルディは多くの有能なF1ドライバーを発掘してきた実績があり、のちにF1で優勝したドライバーとしては、

  • アレッサンドロ・ナニーニ
  • ジャンカルロ・フィジケラ
  • フェルナンド・アロンソ
  • ヤルノ・トゥルーリ
  • マーク・ウェバー

が挙げられる。

また片山右京や中野信治が所属していたこともあり、日本人F1ファンからも好意を持って受け入れられている。

ただ、ミナルディのドライバーとしてもっとも有名なのは、今回のミナルディM191のドライバーであるピエルルイジ・マルティニだろう。

1985年にミナルディが1カー体制でF1にデビューした際にステアリングを握ったのが当のマルティニだった。

翌年以降ミナルディはアンドレア・デ・チェザリスなどの持参金付きドライバーを起用するが、1988年第6戦よりふたたびマルティニがチームに復帰すると、今回の1991年まで同チームに所属し、エースドライバーとして活躍する。

1992年に1年間だけ同じイタリアのスクーデリアイタリアに移籍するが、1993年にまたもミナルディに復帰し、1995年の第9戦ドイツグランプリまでチームに所属した。

マルティニはF1出走124戦のうち107戦でミナルディのマシンをドライブし、当時F1の実況をしていた古舘伊知郎から『ミスターミナルディ』と呼ばれ、そのあだ名は多くの日本人F1ファンに浸透した。

余談だが、現在はティレルP34(6輪タイレル)のコレクターとして知られ、2019年の鈴鹿サウンドオブエンジンでは、自身でその6輪タイレルを走らせ、スタンドからはミナルディのフラッグも見られた。

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慢性的な資金難で幾度となく撤退の噂があったミナルディだが、その度にジャンカルロ・ミナルディ率いるチームメンバーは苦境を乗り越えてきたものの、2000年を最後にチームはジャンカルロ・ミナルディの手を離れヨーロピアン航空社長のポール・ストッダートに売却されるもチームの名称はミナルディを継続する(ヨーロピアンミナルディ)。

しかし2005年末にレッドブルグループに売却されて、F1でのミナルディの歴史は21年で終焉を迎えたのであった。

その後、レッドブルグループが買い取ったファエンツァのチームは2006年からトロロッソの名で参戦したのち、現在はアルファタウリへと名称を変えている。

以上、今回は1/43のミナルディM191を実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。

【まとめ】ミニカーで振り返るF1マシン 〜実車のように撮影し追憶にふける〜

最後までご覧いただきありがとうございました。

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モータースポーツ撮影歴18年。腕に覚えは全く無いが、知識だけは豊富なワタクシぴぴが、レース撮影について偉そうに解説します。




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ぴぴ
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。 一眼レフデビューは2001年頃、CANON EOS7(フィルム機)。腕に覚えは全くないが、年数だけはそこそこ長い。 【一眼レフ遍歴】 CANON EOS 7 → CANON EOS kiss N → CANON EOS 60D → CANON EOS 7D MarkⅡ → CANON EOS 5D MarkⅣ & SONY α7R Ⅲ 【所有カメラ】 CANON EOS 5D MarkⅣ SONY α7R Ⅲ SONYサイバーショット DSC-RX1R 【所有レンズ】 CANON EF100mm-400mm f/4.5-5.6L IS Ⅱ USM CANON EF70-200mm f/2.8L IS Ⅱ USM CANON EF24mm-70mm f/4L IS USM CANON EF50mm f/1.2L USM CANON EF85mm f/1.4L IS USM SONY FE24-105mm F4 G OSS