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ウィリアムズFW07B ウィリアムズ初のチャンピオンマシン【ミニカー#97】

1/43のミニカーを実車のように撮影し、実車の現役時代を紹介するこのコーナー、今回はウィリアムズが1980年のF1に参戦するために開発した、ウィリアムズFW07Bを取り上げていこうと思う。

マシンデータと戦績

まずはウィリアムズFW07Bの主要諸元をチェック。

年式1980年
カテゴリーF1
コンストラクターウィリアムズ
マシン名FW07B
デザイナーパトリック・ヘッド
ニール・オートレイ
フランク・ダーニー
エンジンコスワースDFV
主要諸元表

つづいてウィリアムズFW07Bの戦績を見てみる。

コンストラクタージョーンズロイテマン
シーズン順位1位1位3位
シーズンポイント120P67P
(71P)
42P
(49P)
優勝6回5回1回
表彰台18回10回8回
ポールポジション3回3回0回
ファステストラップ6回5回1回
戦績表

ウィリアムズ初のチャンピオンマシン

1977年のロータス78によりF1にグランドエフェクトカーが登場し、翌1978年のロータス79でその効果が証明されたため、各チームはこぞってその構造を模写した。

当時はまだ新興チームだったウィリアムズも、徹底的にグランドエフェクト効果を研究し、チーム初のウイングカーとして誕生したのが1979年のウィリアムズFW07だった。

開発の中心はフランク・ウィリアムズの僚友であるパトリック・ヘッドで、それを補佐するのがのちにマクラーレンで活躍するニール・オートレイと、リジェやアロウズなどで空力のスペシャリストと呼ばれたフランク・ダーニーという錚々たる布陣だった。

またサウジアラビア航空など中東のスポンサーを獲得したため、開発資金も豊富だった。

完成したウィリアムズFW07は1979年の第5線スペイングランプリから実戦に投入すると、第9線のイギリスグランプリでアラン・ジョーンズがチーム初のポールポジションを獲得し、決勝でもクレイ・れガッツォーニが悲願のチーム初優勝を遂げた。

好調は続き、ジョーンズが翌第10戦の西ドイツグランプリから3連勝を決め、ウィリアムズは一躍トップコンテンダーの一員となった。

そして翌1980年に、前年のウィリアムズFW07を改良したのが、今回のミニカーであるウィリアムズFW07Bである。

FW07からの大きな改良箇所としては、モノコックの補強とサイドウイングのリヤサスペンション後方まで延長。

ウィリアムズFW07Bは開幕のアルゼンチングランプリでジョーンズが幸先よく優勝を決めると、第6戦モナコからロイテマン、ジョーンズ、ジョーンズと3連勝。

チャンピオンシップはブラバムのネルソン・ピケとの一騎打ちになるが、終盤2戦のアメリカ東とカナダを2連勝し、ジョーンズ初のドライバーズチャンピオンを獲得した。

またロイテマンも選手権で3位に入り、ウィリアムズは初めてドライバーズとコンストラクターズのチャンピオンに輝いた。

Wチャンピオンになった要因は、ウィリアムズFW07Bの速さとともに信頼性の高さにあった。

当時のF1は現代に比べると完走率が以上に低い。

しかしウィリアムズは、シリーズ14戦でリタイヤしたのは2台ともに3回ずつのみで、第7戦以降はすべてのレースで2台ともに完走している。

このシーズンを通しての安定感も、Wチャンピオンを獲得した大きな勝因だったのだ。

では、そのウィリアムズFW07Bのミニカーを詳しく見ていこう。

ウィリアムズFW07Bのミニカーを実車のように撮る!

それでは1/43のウィリアムズFW07Bを撮影していこうと思う。

もちろんテーマはいつものように、『実車のように撮る!』。

ウィリアムズFW07Bのカーナンバー27は、この年チャンピオンを獲得したアラン・ジョーンズのマシン。

ちなみにこの頃のカーナンバー制度は、チーム毎にカーナンバーを持つ、いわゆる『チーム固有カーナンバー制』時代で、前年にドライバーズチャンピオンを獲得したドライバーが所属するチームが、カーナンバー1を付け、前年カーナンバー1を付けていたチームのカーナンバーと入れ替えていた。

当時新興チームだったウィリアムズは27という大きなカーナンバーを付けて、ジョーンズがドライーバーズチャンピオンを獲得し翌年もチームに残留したため、ウィリアムズは初めてカーナンバー1を付ける。

そして前年にカーナンバー1を付けたフェラーリが27と28という、本来は歴史の浅いチームがつけるナンバーを付け、フェラーリはその後、長いことドライバーズチャンピオンを獲得できなかったため、27がフェラーリのカーナンバーとして定着した。

ちなみにその詳細は、下記別の記事で書いているので、よかったらご覧いただきたい。

現在はリヤのみでグランドエフェクト効果を発生させるF1マシンだが、当時はサイドポッド下側で発生させていたため、リヤディフューザーは装着されていない。

グリーンとホワイトのカラーリングは、当時のウィリアムズの定番カラーだった。

1979年からサウジアラビア航空がメインスポンサーとなり、同航空会社のサポートを得て、ウィリアムズの財務状況は安定していた。

前回取り上げた同年のフェラーリ312T5と比べると、非常にコンパクトな車体。

通常フォードコスワースDFV搭載のマシンは、エンジンにFORDのプレートが入るのだが、この年のウィリアムズにはブリティッシュレイランド(サイドポッド側面)という自動車メーカーがスポンサーとして名を連ねていたため、プレートにはCOSWORTHと書かれていた。

ウィリアムズFW07Bをスターティンググリッドに移動し、ポールポジションの位置に置いてみた。

この年、6回の優勝をし18回の表彰台を獲得したウィリアムズだったが、ポールポジションは意外にも3回しか獲得していない。

奥に見えるのはこの年不調を極めたフェラーリ312T5。

ウイングカー構造のウィリアムズFW07Bのサイドポッド下には、長く伸びたスライディングスカートが確認できる。

そのサイドポッド下から強大なダウンフォースを発生させるため、このミニカーは装着されているが、レースによってはフロントウイングを外して出走した。

右がウィリアムズFW07、そして左がその発展型であるFW07B。

サイドウイングをリヤサスペンション後方まで延長した以外、外観上の大きな違いはないが、モノコックを補強し剛性アップが図られている。

以上、1/43のウィリアムズFW07Bを実車のように撮影してみた。

今回登場したミニカー

今回撮影に登場したミニカーを紹介する。

【ixo製】ウィリアムズFW07B

デアゴスティーニF1マシンコレクションシリーズの第34号で、イタリアのixoが製造を担当。

【マテル製】フェラーリ312T5

2000年代中盤に、当時フェラーリのミニカーを独占契約していたマテルから発売された、特別バージョンのモデル。

【ixo製】ウィリアムズFW07(写真右)

デアゴスティーニF1マシンコレクションシリーズの第68号でixo製。

今回の撮影機材

今回ミニカーを撮影したカメラ機材を紹介する。

カメラキヤノンEOS R5
レンズキヤノンRF35mm F1.8 IS STM
スピードライトキヤノン430EX Ⅱ
三脚ベルボンEX-Macro
撮影機材

最後に

最後は、この年ウィリアムズFW07Bでチャンピオンに輝いたアラン・ジョーンズについて、少し書いてみよう。

ジョーンズというと、私たち日本のF1ブーム世代にとってはあまり馴染みのないドライバーだ。

強いて挙げると、以前のオーストラリアグランプリの舞台であったアデレード市街地コースで、ブラバムストレートの手前にあった直線がジョーンズストレートという名前で、彼から名付けられたという知識ぐらいか。

ジョーンズはオーストラリア出身のドライバーで、1975年にヘスケスからF1にデビューしている。

その後ヒル、サーティースと渡り歩き、1977年にシャドウから参戦すると、南アフリカグランプリで予選14番手から逆転し初優勝を果たす。

ちなみにこの勝利はシャドウが記録した唯一のF1勝利になる。

そのシャドウでの活躍により1978年にウィリアムズに移籍し、ウィリアムズ2年目の1979年には4勝をあげてシリーズ3位になる。

それまで弱小の新興チームだったウィリアムズが一気に開花するのと重なり、ジョーンズもタイトルコンテンダーのひとりとなった。

そして迎えた1980年。

今回取り上げたウィリアムズFW07Bを駆り、ブラバムのネルソン・ピケとの一騎打ちを制して、ジョーンズは5勝をあげて自身初のチャンピオンに輝く。

ちなみにオーストラリア人としては、ジャック・ブラバムに続いて2人目のF1チャンピオンドライバーだ。

カーナンバー1を付けたジョーンズは、1981年もウィリアムズでチャンピオン争いをするのだが、チームオーダーをめぐりチームやチームメイトのロイテマンとの関係が悪化する。

その結果、ロイテマンとポイントを奪い合うようになり、僅差でピケに敗れてしまう。

そしてジョーンズはこの年限りでF1を引退し、翌年からは故郷のオーストラリアで国内のGT選手権に参戦(チャンピオン獲得)。

1983年にはアロウズより1戦のみF1に参戦するも、スポーツカー選手権やル・マン24時間、CARTなどに参戦した。

CARTで所属したニューマン・ハース・レーシングとの縁で、1985年の第12戦よりハース(現在F1に参戦するハースとは別)からF1に本格参戦したが、往年のような速さはなく1986年に再度F1を引退したのだった。

以上、今回は1/43のウィリアムズFW07Bを実車のように撮影し、実車の現役時代を振り返ってみた。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。