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日本トップフォーミュラに参戦した14人のF1優勝ドライバー

ラルフ・シューマッハ

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F1優勝回数:6

日本トップフォーミュラ参戦

  • 1996年全日本選手権フォーミュラニッポン(シーズンエントリー)

F1優勝ドライバーで日本トップフォーミュラでチャンピオンを獲得したのはラルフ・シューマッハ選手が唯一です。

ラルフ・シューマッハ選手が日本のトップフォーミュラに参戦したのは1996年。フォーミュラニッポンの初年度でした。

兄ミハエルの勧めもあり来日を決め、チームルマンからフォーミュラニッポンにデビューしたラルフ選手は、開幕戦の鈴鹿で3位表彰台を獲得すると、翌第2戦のMINE戦で初優勝を記録します。

その後も十勝スピードウェイで行われた第4戦と第8戦の2度目のMINE戦でも優勝し、日本トップフォーミュラ参戦初年度ながらシリーズチャンピオンに輝きました。

ちなみにこの年は全日本GT選手権にもダブルエントリーをして、あのラークマクラーレンでシリーズ2位になっています。

ピエール・ガスリー

2022年F1日本GPにて
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F1優勝回数:1

日本トップフォーミュラ参戦

  • 2017年全日本スーパーフォーミュラ選手権(シーズンエントリー)

日本トップフォーミュラに参戦したF1優勝ドライバーで、唯一の現役F1ドライバーはピエール・ガスリー選手です。

ガスリー選手は2016年のGP2でチャンピオンになり、所属するレッドブルジュニアドライバーの刺客として2017年の全日本スーパーフォーミュラ選手権にチーム無限からシリーズエントリーします。

2017年スーパーフォーミュラ第3戦にて

第4戦のもてぎ戦で初優勝を果たすと第5戦オートポリスでは唯一のソフトタイヤスタートを成功させ連勝。最終戦の鈴鹿を残しランキング1位の石浦宏明選手から0.5ポイント差のシリーズ2位につけていました。

シリーズ後半からガスリー選手はF1に参戦しており、最終の鈴鹿戦と同日にアメリカグランプリがあり、どちらに出場するか注目されましたが、F1を欠場しスーパーフォーミュラを選択。

最終戦の予選で1ポイントを獲得できるポールポジションを目指してアタックするもスピンを喫し、決勝は台風襲来で中止になってしまい、0.5ポイント差でタイトル獲得はなりませんでした。

まとめ

2017年スーパーフォーミュラ第3戦にて

今回は日本トップフォーミュラに参戦しその後F1で優勝したドライバーを14人紹介しました。

所属チームではチームルマンがもっとも多く、ハーバート選手、M.シューマッハ選手、R.シューマッハ選手と、同チームから3人がエントリーしています。

国別ではフランスが圧倒的に多く6人(ラフィット、タンベイ、ピローニ、アルヌー、アレジ、ガスリー)で、ドイツ3人(M.シューマッハ、R.シューマッハ、フレンツェン)、イギリス2人(ハーバート、アーバイン)と続きます。

1970年代後半に最終戦JAFグランプリにスポット参戦したドライバーが多く、この時代は富士スピードウェイで初のF1が開催されたため現在では考えられないほど観客動員数があり、ヨーロッパで名のあるドライバーを多くの資金を投入して招待したのでは、と想像されます。

スポット参戦ではなくシリーズエントリーが定着したのが1990年代前半。この時代はF1ブームの影響で国内モータースポーツが活況で、ヨーロッパF3000選手権以上のハイレベルな開発競争があり、それを求めて(もちろんサラリーも)当時の若手トップドライバーが日本にやってきたのでしょう。

時代が変わり近年ではF1登竜門のFIA-F2が、チャンピオンになったドライバーの翌年以降の参戦を禁止していることもあり、レッドブルジュニアドライバーを中心にF1予備軍がスーパーフォーミュラに参戦しています。

スーパーフォーミュラNEXT50と称し、次の50年へ向けたプロジェクトが始動した日本のトップフォーミュラ。今後も才能あるドライバーの参戦を期待したい。

以上、最後までご覧いただきありがとうございました。

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。