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2010年代にF1を撤退した11のコンストラクター

2015年を最後にF1を撤退したコンストラクター

DATA
  • マルシャ(2012-2015)
  • ロータス(エンストン)(2012-2015)

2015年はマルシャとエンストンのロータスがF1を撤退しています。

マルシャ(2012-2015)

2010年からF1に参戦したヴァージンは2011年にロシアの自動車メーカーのマルシャにチーム株式の一部を売却しマルシャヴァージンとして参戦。そして2011年シーズン終了後にチーム名をマルシャに変え、2012年シーズンからコンストラクター名もマルシャに変更します。

2012年のマルシャMR01はこの年のマシンで唯一KERSを搭載していなかったが、レースではライバルのHRTを大きく引き離します。さらに信頼性も高く、最終戦を前にしてコンストラクターズ10位をキープしていましたが、最終戦でケータハムに逆転を許し、この年は11位でシーズンを終えます。

2013年も信頼性は高く、所属するマックス・チルトン選手はルーキードライバーとして初の全戦完走を果たします。その結果速さで勝るライバルのケータハムを上回るコンストラクターズランキング10位を獲得しました。

2014年シーズンはフェラーリエンジンを搭載し、ライバルのケータハムよりも速さを発揮。第6戦のモナコグランプリではチーム初の9位入賞を果たします。2010年に新規加入した3チームに由来するチーム中、唯一ポイントを獲得しました。

しかしチームの財政事情は深刻化し、第17戦のアメリカグランプリを前位にして破産申請を行い残る3戦を欠場するも、コンストラクターズランキング9位に入り賞金約72億9000万円を獲得して2015年シーズンに復活します。

2015年シーズンはマシン開発をする資金がなく2014年マシンを改良し参戦するも、当然最下位を淡々と走るレースが続きます。

結局このシーズン終了後にチーム名をマノーレーシングに改名し、コンストラクター名もMRTに変更。マルシャのF1活動は4年で終了しました。

ロータス(エンストン)(2012-2015)

ロータスE20(2012)

2015年にはロータスも撤退をしています。

・・・ロータス?2011年に撤退していない?1994年にもロータスというコンストラクターが撤退していたような・・・。

はい、こちらは1994年に撤退した元祖ロータスの名称権をめぐって争った3番目のロータスです。ここでは詳しく書きませんが、知りたい方は下記の記事を参照ください。

1980年代にトールマンの名で参戦し、その後ベネトン、ルノーと名前を変え、2011年にロータスルノーGP(コンスタラクター名はルノー)と名乗ったこのエンストンのチームは、ロータスブランド問題の末に2012年にコンストラクター名もロータスとします。

そんなロータスとして参戦した初年度の2012年は、キミ・ライコネン選手の加入(前年までF1を休止してWRCに参戦)もあり素晴らしいシーズンになります。

2人のドライバーで8度の表彰台に上がり、全20戦中19戦でポイントを獲得。さらに第18戦のアブダビグランプリではライコネン選手によってチーム初優勝を上げます。

その結果ライコネン選手はドライバーズランキング3位に入り、コンストラクターズランキングは4位になりました。

2013年も好調をキープ。開幕戦のオーストラリアグランプリで、ライコネン選手によりチーム2度目の勝利を上げると、一時はレッドブルのセバスチャン・ベッテル選手とチャンピオンシップ首位争いを演じます。

しかしこの頃から主要スタッフの離脱やドライバー、スタッフへの給料未払いなど、財政難が取り沙汰されました。

2014年は財政難の影響でチーム代表や主要スタッフ、エースライコネン選手など多くがチームから離脱。

そんな中で迎えた2014年シーズンは新車の作成が遅れ、さらにはルノー製パワーユニットのパワー不足もあり、前年から大きく戦闘力を下げます。

2015年はパワーユニットをメルセデス製に変更して成績が向上するも、財政難はさらに深刻化。

結局2015年シーズン中に元のルノーに再度買収され、2016年からルノーとして参戦することになりました。

2016年を最後にF1を撤退したコンストラクター

DATA
  • MRT(2016)

2016年にF1を撤退したコンストラクターは前年のマルシャを引き継いだMRTです。

MRT(2016)

MRTはマノーモータースポーツチームの略称で、2016年よりコンストラクター名をMRTとあらためて参戦。名称どおりこのチームの源流はマノーモータースポーツでF1に参戦してからはヴァージン→マルシャと変化して、このシーズンからチーム名を元のマノーの名称を使い参戦しました。

この年は当時最強を誇ったメルセデス製パワーユニットに変更し、そのおかげもあって時に既存のコンストラクターを脅かすほどのパフォーマンスを発揮。オーストリアグランプリでは10位に入り1ポイントを獲得しています。

貴重な1ポイントを獲得したMRTですが、最終戦前のブラジルグランプリでザウバーが9位2ポイントを獲得。その結果MRTはコンストラクターズランキング11位に降格し、10位までに払われる分配金を失いました。

オーナーは新たな買い手と交渉を行い、FIAが発表する2017年の暫定エントリーリストにも掲載されていましたが、買い手との交渉が決裂し、チームの消滅が決定しました。

その後チームのピット用機材の一部は元ミナルティのオーナーだったポール・ストッダートが購入して、F1ファン向けのイベントで使用されました。

次のページでは、2018年以降にF1を撤退したコンストラクターを紹介します!

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大福
モータースポーツをこよなく愛す、セナプロ世代の四十代。 サーキット観戦デビューは、1996年フォーミュラニッポン第7戦の富士スピードウェイ。ど迫力のエキゾーストノートとタイヤの焼ける匂いを実感し、それまでテレビでしか観戦してこなかった事を悔やむ。以降、F1・WEC・スーパーGT・スーパーフォーミュラなどを富士スピードウェイ・鈴鹿サーキットを中心に多数観戦する。